非情の行方 (1)
目覚めに違和感があるが、それが何かはわからない。
ベッドで上体を起こした俺は、何気なく窓を見て、そこにカーテン越しの朝日を確認した。今日がまた始まる。
ベッドから降りる前に、クセになっている動きで首筋を撫でつつ、「意識」を展開する。
次の瞬間、視界にいくつもの残像のようなものが浮かび、さらに耳にも複数の音が重なったノイズのようなものが走る。しかしそれも一瞬、すぐに消える。目の奥でチリチリする感覚。
人工の有機物の研究と発展は、人間の精神という聖域へと踏み込んですでに短くない時間が流れた。俺が生まれた時にはすでに確立されていたその技術は、人間の精神、心を、「意識」と「心識」の二つに分けた。
誰にも侵されない真の聖域たる「心識」。
誰もと共有される、外へ開かれた心である「意識」。
人間は意識同士で繋がり、情報や意思を共有することが可能となった。この技術の発展は、機械工学へも変化を及ぼし、それは有機物と無機物の融合という、キメラを生むことになった。
ベッドを離れて、クローゼットへ移動。同時に、意識上の決められた稼動として情報収集を開始。
部屋で身支度をしつつ、意識に流れ込んでくる情報を精査する。文字や音声、映像が感覚としてあっという間に流れていく。
仲間たちが話しているのは、もっぱら強盗の話である。強盗と言っても、食料品店を襲うとか、空き巣を狙うとか、そんな生易しいものではない。
我々が暮らすトキオ・シティにあるカジノの一つ、「ナイトフッド」の売上金をまとめて掻っさらうのだ。そのために、現実の世界、物理面と、意識の世界、情報面の両方の腕利きが、この件に加わり、またこれから一枚噛もうとしているのだ。
意識の発見と展開は、機械の発展によって実現した、情報伝達を遅らせる距離の消滅、遠方の人間同士の意思疎通をタイムラグなしで行う、という状況をさらに一歩、前進させた。
意識で共有される情報は、文章や音声、動画と、変化はない。ただ、その全てに感情が付与され、文字は文字以上、声は声以上、動画には詳細なイメージ、感覚が追加される。
今も、俺の頭の中に、現実面で強盗を実行するメンバーの、状況を想定した実際的な行動のスケジュールと想定が、俯瞰の映像で浮かんでいる。それには同時に他のメンバーからの批判の声も混ざり、それに加えて、その映像を閲覧している仲間の高揚や不快感も届く。
あまりに余計な情報が多いので、流れ込む情報を制限するフィルターを調整しつつ、身支度を終えた俺は、腕時計を左手首につけた。安物だが、古いという点が気に入っている。意識の発展で、時計というものはただの飾りになったのだ。
(アスカの意見は? 見ているんだろう?)
唐突に声が届く。意識で繋がっている仲間の一人だ。
(どっちに対する意見? 現実の話? 意識の話?)
(両方だよ)
別の誰かの声。すぐに頭に声の主の顔が浮かぶ。
(カジノは逃げないし、壁は壁、道は道だ。事前の情報漏れが一番怖いんじゃないかな)
(だから、こうやって閉じた意識上で議論しているんだろ。手伝う気があるのか? ないのか?)
(意識面では少しはサポートできるよ。現実面でも、詳しい奴、経験者を回せる)
周囲に反発の気配。あまり俺には加わって欲しくないのだろう。
別に加わりたくもないけど。
部屋を出る前に、小さな冷蔵庫からコーラを取り出して、栓を開ける。瓶に入っているのは、容器の再利用が容易だからだ。
(おいおい、アスカ、これ以上、仲間が増えれば分け前が目減りするじゃないの)
(知ってる。じゃあ、二つのグループになって競り合えば良いさ。状況も切迫して、良い仕事ができるだろうしね。俺がそう働きかけても良いけど)
冗談半分だが、返事はない。むしろ、周囲から不快感が押し寄せてくる。
飲み干したコーラの瓶を冷蔵庫の上に置く。すでに五本ほど、空き瓶が並んでいた。食事は外で済ます。
(今更、仲間割れを起こしたりしない)仲間に言いつつ、靴をスリッパから革靴に履き替える。(俺もアマチュアじゃない。できると思えば乗るし、無理だと思えば抜ける。他の連中もそうだろ? 自己責任でやろうや)
俺はドアに向かい、それを開ける。
そこに、黒服の男が立っていた。
「少し、よろしいですか?」
現実の声。意識にばかりのめり込んでいると、そんなものも新鮮に感じる。
「ええ」ちょっとかすれる俺の声。「どこの警察?」
警察だと思ったのは、ちょうど強盗の話をしていたからだし、あるいは目の前の男にはそんな雰囲気があった。
しかし、警察と言っても、正義の後光が差しているような警察ではない。そんな警察はほぼ絶滅した。
目の前の男の背後からは、誰かの怨嗟が聞こえそうな気配。
「セキハラ科学治安警察から参りました」
セキハラね、これはまた、ややこしい。
「詰所まで来てもらえますか?」
「拒否権はないな、腰のそいつを見ちまうと」
男の腰には銃が下がっている。それも火薬式の実弾銃ではない。レーザー銃だ。こいつの一撃を防ぐには、分厚い壁か、特殊な耐熱盾が必要になる。
「では、こちらへ」
男は一人だが、まぁ、俺を制圧するのに一人いれば十分だろう。俺自身、自分を体育会系だとは思っていない。
意識には即座に防壁を張っておいた。目の前の警察の男が意識を侵すマインド・ハッカーではない確信はないが、どうも違うようだ。この男こそ、体育会系、というか、武闘派。
俺が知っているマインド・ハッカーという連中は、どこかピントがずれているものだ。
俺と男は通路からエレベータ、一階のエントランスを抜け、外へ出た。
地震対策で高層ビルはほとんどない。その代わり、地面を覆うように無数の建物が密集している。道路はその間を縦横に伸びていた。
ここがトキオ・シティ。
意識と現実が最も近いとされる街である。
「どうぞ」
俺が生活しているホテルの前に止まっている、生物を連想させる車は、実際に有機物でできている。運転を意識との直結で行うのだ。
俺は色だけは今も昔も変わらない、黒と白で塗られている警察車両に男と乗り込む。
さて、どういう用件だろうか。
トキオ・シティに本当の意味の警察は存在しない。
この街の警察は俗に「私警」と呼ばれる。その私警は、六つの組織で成り立っている。一つ一つが、巨大企業の一部であり、つまり、六つの企業が共同でこの街の治安を維持しているのだ。
そもそも、トキオ・シティには民意を反映する政治システムが存在しない。
あるのは、六企業による合議の場だ。ここで決められたことがトキオ・シティの方針となる。非政治地区などとも呼ばれる、特殊な街なのだった。
ただ、この街には大量の情報が意識と現実の両面で流れ込み、それに合わせて、人も金も出入りが激しい。不正が起こらないわけがないし、その不正を正すのが企業となれば、偏りが出る可能性もある。
その面をカバーする国際連盟の監視団もこの街に常駐するけれど、まぁ、滅多なことでは出てこない。実際には、彼らもざまざまな便宜の誘惑には勝てないのだ。
俺が連れて行かれたセキハラ科学の私警の詰所は決して小さくない。三階建て。内部は賑わっているが、それが良いのか悪いのかは判断がつかなかった。
取調室に連れて行かれ、しばらくすると、初老の背広の男が入ってきた。顔見知りだ。
「よう、アスカ」向こうも慣れたものだ。「最近は何してる?」
「警官にしょっぴかれて、これから雑談をするところ。コーラを出して欲しい、って言おうかな、って感じです」
「警官と雑談とは、それはまた、人生の浪費だな。警官のトークほど不愉快なものはない。ついでに言えば、コーラは出ないと思うがね。警察と言えば、コーヒーだ」
コーヒーね。そんなことを言いつつ、ここでコーヒーを飲んだためしはない。
「誰もがお前はマインド・ハッカーだ、とは知っているが、お前は尻尾を隠すのがやたら上手いからな。それでいつも雑談で終わるのも気にくわない」
「それは噂ですよ。俺はそんな大層なものじゃない」
「よく言うぜ」
机を挟んで座った警官がこちらに身を乗り出す。盗聴されるわけでもないだろうに、声を潜めている。
「どうもカジノを襲う計画があるようでな」
「どこの?」
こっちも素人じゃねぇぞ、とのお返事。
「お前も噛んでるか?」
「俺の意識通信を解析したらどうですか? そこから意識の共有領域を分析ってのが基礎の基礎。ミステリ、読まないんですか?」
「その解析、了承をなしにやったら非合法だって知っているだろ。それを無視した俺の前任者、まだ病院で転がっているんだぜ。それも、お前さんの意識防壁の反動でな」
思わず苦笑してしまう。そんなこともあったか。あれは俺のミスでもある。
何せ、意識を通り抜けて、心識へ入り込もうとしたのだ。そのせいで、緊急用の防壁が発動してしまった。
思い出すと、なんとも間抜けで、いつでも笑っちまうなぁ。
「笑うなよ。私警でも心識への侵入は重罪、明確な法律違反だから、俺たちも黙っちゃいるが、あのお前の対応もギリギリだぜ。再起不能になるほどの防壁だって違法だ」
「あまり深く突っ込んできたんで、過剰になっちゃったんですよ。死ななくてよかった」
俺の意識防壁は実は完全に違法な出力で、いきなり踏み込むと、意識を焼かれて、ついでに心識もすっ飛ぶ。あの時は、相手が警察だとわかったので、ちょっといたずらしたのだ。
当たり障りのない意識を探らせてお引き取りを願うはずが、奴さん、何を思ったか、心識まで入ってきたのだった。
ちなみに、相手を焼くついでに警察の意識侵入と心識侵入の手法がわかって、いい小遣いになった。
「そろそろ、お前さんの意識錠のパスコードを教えてくれんかね?」
「はあ?」思わず俺は声を上げてしまった。「それ、基本的人権を無視してますよ」
「良い就職先があるぜ。お前も警察になれよ」
意外な言葉に、思わず口を開けてしまった。
「俺が警察になれると思います? なれるというか、やっていけると?」
「安定した収入、堅実な立場、魅力的だろ?」
「犯罪者から命を狙われる恐怖、企業に隷属する虚しさ、貧弱な福祉、最悪ですね」
そう言うなよ、と男が顔をしかめる。それでもずいっとまた近づいてくる。
「で、一流のマインド・ハッカーであるお前から見て、カジノをやるのか? やらないのか?」
「知りませんよ、俺はマインド・ハッカーではないですからね。それに強盗なんて、よくあることですし。実際に起こってから対処しちゃダメなんですか?」
「一応、警察だからな。無能だと宣伝するようなことはしたくない」
意外に真面目である。でも教える義理はない。
「話はそれだけですか?」
「いや」警官は口の横に手を立てる。「どうも爆薬の流れが変な動きをしている」
「へぇ」爆薬とは、これも前時代的だ。「流れた相手は企業? 個人? 宗教関係?」
警官がニヤニヤ笑う。
「下請けで調べるかね? 協力費を出せるぞ」
「調べませんよ、興味本位です。爆破テロ、どんどん巧妙になってますし。猫爆弾とか」
「ありゃ猫じゃない」嫌そうな顔の警官。「四本足の有機パーツと人工知能を爆弾にくっつけただけだ。猫はもっと可愛らしいもんだ」
「さっきから雑談ばかりですが、暇なんですか?」
警官がニヤリと笑う。
「俺は暇だが、他の奴は忙しい」
「それが許されるなら、警察も良い仕事だと思います」
「今頃、お前の生活している部屋を捜査員が家捜ししているさ」
なんだ、そういうことか。
「爆薬を仕掛けてありますから、連絡した方が良いですよ。いや、遅いかな」
呆気にとられた後、警官が慌てて、耳元に手を当てる。真っ青な顔で、意識による通信を始めたようだ。
「嘘ですよ」
軽くネタばらし。
「……嘘?」
「そう、嘘です。本当なのは、俺がもう解放される、ってことです」
顔を真っ赤にして何か言い返そうとした警官の言葉は、結局、声にはならなかった。取調室のドアがノックされ、若い警官が入ってきたのだ。そして俺の釈放を宣言した。
初老の警官が、こちらを睨む。憤怒、としか表現できない顔。
「裏から手を回したか。この無法者め」
「調べておきますよ、爆薬の件。せめてものお礼です」
俺は立ち上がりつつ、小声で囁く。
「協力費は、現金じゃない形でお願いしますね」
「現金じゃない、っていうと、仮想通貨か?」
「便宜、という形です。まぁ、この街で最も使われる価値観ですね」
渋い表情の警官を残して、取調室を出る。先導する若い警官がこちらを見てくる。若いと言っても、俺よりは年上だ。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
俺がそう言うと胡散臭そうに警官が振り返る。
「コーラ、ある?」
詰所を出ると、表の道に自転車が駐車され、横に一人の男が立っている。
「なんだ? それ」
歩み寄る俺に、男が不快げに声を投げる。視線は俺の手元に向いている。
「コーラだよ」瓶を振って見せる。「警察にも置いてあるんだな」
男の名前はメイン、俺の相棒だ。メインが自転車にまたがり、俺はその後ろに立つ。自転車がゆっくりと走り始めた。
環境破壊が問題視されたのは大昔、すでに環境維持、環境回復の技術が頭打ちになるほど発展した。それでも環境へ影響を与える行為には高い対価が求められ、排気ガスをどんどん出すと、あっという間に資産が底をつくだろう。
コーラを飲みつつ、俺はメインと話し始める。
「どうも警察がカジノの件に勘づいているよ。やっぱりどこかに穴があるな」
「それはアスカが指摘していたし、つまりアスカには何か、対処方法があるんだろう?」
「対処法は一つさ。抜けること」
ちらっとこちらをメインの視線が撫でる。
「ただでは抜けられないはずだけど。いままでの情報を他に流せないように処置するはず。それは大きな枷じゃないか? 人脈の一部が完全に死ぬ」
「そうなるな。連中のことだから、複数人の署名がないと解錠出来ない情報錠を俺にくっつけると思う」
「それにも対処法がある?」
思わずニヤニヤしてしまうな。
「ま、見てろ、ってことだな。いつまでも連中と連んでいると、こっちも悪人のレッテルを貼られかねん」
「警察の情報も流さないのか?」
「そこは腕の見せ所だよ。むしろ、警察が自分たちの見当を察知されないようにサポートするべきかもな」
はぐらかす俺の姿勢に、メインは諦めたようだった。自転車を黙って走らせる。俺は片手で瓶を傾けていた。
「そうだ」
忘れていた。
「俺の部屋、警察が捜索したのって、本当か?」
「捜査員が三人、入ったよ。ホテルを裏金と権力で押さえ込んでね。でももう帰ったはずだ」
「ひどい奴らだな」
思わずつぶやく俺に、メインが小さく笑う。
「私警を金と権力で黙らせた奴が言うなよ」
警察に連行されると決まった時、ちょっと人脈を利用して、私警に釈放するように圧力をかけさせたのだ。そういうことが可能な人脈が、俺にはある。
「黙らせちゃいない、ちょっと融通してもらっただけだよ」
どうだか、というのがメインの返事。
「それで、今日は予定通り?」
「そう」俺はコーラを飲み干す。「例の依頼を叶える」
自転車はトキオ・シティの中心を離れていく。この街の外縁部には様々な大通りがあり、そこにはそれぞれの母国を持つ集団が固まっている。
その中の一つ、パナマ・ストリートへ向かう。細い通りの上、人通りが多いので自転車を降りる。適当な古びた車止めに特別製のチェーンで結びつけ、メインと二人で奥へ。
パナマ・ストリートというのは、特殊な通りで、ここで商われるのは情報である。あるいは情報を手に入れるための諸々の道具である。
だいぶ前に情報屋で荒稼ぎをした連中が、組合を作ってこの通りを興した。
俺は意識を周囲に解放し、フィルターを調節。実際の声以上に、様々な声が行き交っている。ここでフィルターの調整を間違えると、大音量の複雑な交信に打ちのめされて、失神する。実際に、そういう観光客が年に数人はいるのだ。
通りを構成する雑居ビルは、背丈こそ耐震建築だが、外壁はボロボロである。まぁ、ただの入れ物のようなものだからな。
耳に飛び込んでくる複雑な情報をリアルタイムでチェックし、判断していく。凄まじい大音量とその反響のような気配。視界、そして脳裏では閃光のように瞬く様々な像もチェック。視界でパチパチと火花が散る。フィルターを再調整。
歩きながら、凄まじい情報量を、巨大な波に乗るサーファーのイメージでやり過ごす。
カジノ強盗の情報は流れていないようだが、俺が警察に捕まったという情報があった。実際の視線を走らせ、現実世界でその情報をやり取りしている連中を確認する。店先で雑談している二人の男で、一人は店員、もう一人は明らかに私服の警官だった。職業意識が低いが、まぁ、いつでもどこでも、そんなものか。
通りを進み、一軒の馴染みの情報屋に入った。表向きは陶器を商っている形になっていた。壺を手に取る演技。
(アスカか)
届いた声を受け、意識のチャンネルを変えると、店主の老人の声が耳元で鮮明に流れる。視線を向けると、老人は店の奥のレジに座っていた。このレジも骨董品で、仮想通貨が大半の今の決済とはもはや無関係だ。
壺を棚に戻し、レジの横に進んだ。空いている椅子に俺は座る。メインは周囲を警戒するように店先に立っていた。
(何か面白い情報はあるかい?)
(例えば、何だね?)老人は通りを見つつ、意識だけを送ってくる。(警察の裏事情?)
(警察は俺を疑っててね、あまり探ると、逆襲が怖い)
老人が息を吸って笑う。
(お前ほどの男が恐れることもないだろうに)
(間の抜けた警官を焼き殺しかけたのは話したよな。あの件もあって、安心安全とは言い難い)
(そうかね。危ない橋を渡るもんじゃないよ)
俺は話を本筋に移す。
(マインド・ハッカーを探している。まだ若いが、腕は確かな奴。新顔だ)
(この街にハッカーなど、大勢いるよ。他には?)
(技術はあるが、装備はない。流れ者なんだ)
老人が黙る。俺はポケットを探り、タバコを取り出す。その新品の一箱を老人の前に置いた。老人はゆっくりとそれを手に取ると、箱をチラッと見て、皺だらけの指で開封した。中指に落ちない汚れが見えた。
(どこで手に入れた? 本物の、希少な銘柄だ)
(秘密さ。金より好きだろ?)
(よく知っている、感心するよ)
老人がタバコを一本くわえ、ライターで火をつけた。煙を吸い込み、吐き出す。
(流れのハッカーは多い。ここはそういう街だからね)
老人の意識が流れてくる。
(ただ、装備がない奴は珍しい。そうだな、着の身着のままの奴は、ここ半月で、三人だけだ)
だいぶ絞られたな。
(どこに行けば会える?)
(そこまでは知らない。知っている奴を教えるよ。装備を扱っている店。お前も知っている)
俺の意識に地図と静止画が浮かび上がる。即座に記録。
椅子から立ち上がると、老人がにやっと笑う。しかし何も言わない。
「体を大事にな」
俺は実際に声に出して言い、老人の細い肩を叩く。頷いた老人に手を振り、俺は店を出た。
メインと目配せして、通りを進む。同時に意識を拡張し、周囲から情報を引っ張る。いくつかの目的があるが、一つはカジノ強盗の下準備の様子を探ることだ。
仲間に直接に聞いてもいいが、もっと確実な情報が知りたかった。そう、身内だと逆に流れないような、そんな情報。
ただ、それほど簡単に情報が流れるわけもない。狙っているカジノは「ナイトフッド」という店だが、この店について探っている数人のハッカーは確認できた。タグをつけて、いつでも動向を再確認できるようにする。
警察で聞いた爆薬の件も探るけれど、テロリスト関係には目立った情報はない。
テロリストも巧妙に姿を隠すから、情報自体が少ない。最近のテロリストは、人的資源を第一にするため、自爆テロなんてしないし、テロを実行した後に身を隠すことや、完全に逃亡できる手段や隠蔽工作を、真剣に、かなり密に準備する傾向にある。
その辺の逃走のための情報操作、情報の捏造が、とっかかりになるが今の俺には気づけない。もっと真剣に検討すれば、洗えそうだけど、警察のためにそこまでする必要もないだろう。
そんなことをしているうちに、目当ての店に着いた。メインに視線で指示を出すと、メインは一人で行動を開始、離れていく。
さて。目的地は二階建ての建物の、二階だ。俺一人で狭い階段を上がると、フロアを一つぶち抜いた店内に至る。
そこには様々な機器がそろっている。無機物だけで構成されたものもあれば、有機物と無機物を併用した装置もある。どこか異質な、純有機物の装置もあった。
棚ごとに分類されているが、収まり切らずに床にも物が置かれ、積み上げられている。
棚から溢れるそれらを見つつ、奥へ進む。
(ヘイ、いらっしゃい)
意識に飛んでくる声。本能的に、店内だけで意識空間が限定されているのに気づく。この手の店でよくあるパターン、機密保護のための仕組み。
棚の間を抜けると、カウンターにガタイのいい男が立っている。エプロンが壊滅的に似合わない。
(アスカ、待ってたよ。じいさんから連絡があった)
(話が早くて助かるよ)
男が俺を手招きし、俺はカウンターに寄りかかった。
(道具を揃えに来た奴を探しているんだってな。お前が探偵らしいことをしているとは、知らなかったよ)
(探偵じゃない、もっとみっともないさ)
探偵と言われて、思わずムッとしつつ、しかし軽い調子で応じる。
(便利屋だよ、何でも屋)
(何でも屋ね。聞いた話では、六企業の金庫を全部破れるらしいが、そんな何でも屋がいるかね)
(そんなことができる奴がいれば、それはもう神様だ。それに、六企業のどこかの金庫を破ったら、その日のうちに身元を暴かれて、心識を焼かれて植物状態か、そうでなければ現実世界でレーザー銃で焼かれているだろうね)
違いない、と男が笑う。
話しながら、男は手元の投影式キーボードを叩き、有機と無機が融合したゴーグルを頭につけた。
(話を戻そうか)男の声が届く。(ここ最近、装備を一式、揃えたのは三人だ。そのうち一人は馴染みだ。ここ出身で、外へ出ていたが、そこでちょっとしたヘマで装備一式をおじゃんにした。しばらくここでほとぼりを冷ますそうだ。残り二人は新規の顧客だが、一人は完全な流れだったな)
ふむ、どうやら辿ることはできそうだ。
男がゴーグルを外し、肩のコリをほぐすような動きをする。
(住所か何か、わかるか?)
(機材を届ける時に運送屋にやらせたから、そこに情報が残っているだろう。その辺はそちらでやってくれ。個人情報の保護がやたらうるさいからな。情報保護能力資格なんて、ただの適性チェックなのにな)
(仕方ないさ。適性チェックだからこそ、俺のような人間が簡単にダイブできる)
カウンターの上でメモに男がペンを走らせ、運送屋の連絡先を教えてくれた。
(なんだ、運送屋って言うから堅気かと思ったら、モグリかよ)
(そういう連中じゃないと扱えないものがあってな)
なるほどね。納得。
メモを受け取ったところで、棚の陰からメインがやってきた。箱を抱えている。それがカウンターに置かれた。
(まったく)男がニヤニヤする。(こういうところの如才なさがさすがだよなぁ)
開封された箱の中から、瓶が出てくる。中身はビールだ。
(こっそりやれよ、よく冷やしてな)
そう言う俺に返ってくるのは肩をすくめる動作。
(お前はお子ちゃま、未成年だから、こいつの美味さがわからないんだろうなぁ。まぁ、飲めるようになるのを楽しみにしておけばいい)
(心に留めておく)
俺は棚に置いてあった球形の装置を手に取り、ポケットから財布を取り出して紙幣をカウンターに置く。
(こいつもくれ)
(有機記憶箱か? 何に使うんだ?)
(いや、特に理由はない。強いて言うなら、サービス)
言葉もない、という仕草で首を振った男が紙幣を手に取り、装置を袋に入れて手渡してくれた。
(じゃあ、またそのうち、来るよ)
(はいよ、待ってる。無事な姿が見れるように祈っているよ)
帰ろうとした俺は、その言葉にひっかかりを感じる。足を止めていた。
(何か知っているのか? 今の言葉、そんな感じだけど)
(なんだ、鋭いな。敏感だ)
(そっちがあからさまなんだよ)
カウンターに戻り、少し迫ってみる。
(教える気があるのか、ないのか、はっきりして欲しいな)
そう言いつつ、俺は既に先を読んでいる。教える気がないのなら、全く触れないはずだ。教えるつもりなんだ。ただ、理由はわからない。馴染みだからか、それとも何かの取引か。わずかな可能性として、親切ということもある。
(教えても良いが、見返りが必要だ)
やっぱり。親切もこの世から滅びたようだ。
(あまり面倒なら、聞かなかったことにするけど)
(面倒じゃない。ちょっと情報を操作して欲しいだけなんだ)
(操作? どこの?)
男が耳打ちするような姿勢。
(爆薬の取引の記録を消して欲しい)
爆薬ね、ここで聞くとは。しかし、どうも嫌な感じだな。
(どことどこの取引?)
(海外の武器商人と、日本の企業さ)
(日本の企業ね。大きさは)
(中堅。六企業とは比べ物にならない。ついでに言えば、六企業の気を引くこともないはずだ)
俺の思案は短かった。
(やってみよう。どう介入すればいいか、詳しい情報をくれ。期限は?)
(情報はすぐに渡す。期限は可能な限り早く)
意識に巨大な内容が飛び込んでくる。素早く認識し、整理する。
ふむ。確かに、どうということのない情報だ。爆薬の取引の情報で、お互いの組織の情報もわかった。連絡経路が複雑だから、少しアレンジしてやればどこからどこへ爆薬が移動したのか、そもそも誰が取引したのか、誰も辿れなくなりそうだ。隠蔽もできる。
少なくとも、これで俺は一つ、警察に貸しを作れる状況が成立した。当然、警察に通報すれば、この店の男も、企業も、武器商も、本気で俺を消しに来るはずなので、そんなことは簡単にはできないけど。
匂わす程度で、誰からも恨みを買わないように、やろう。
(今夜中に操作しておく)
恩にきるよ、という返事。
(で、誰が俺を狙ってる?)
(個人を特定はできない。少し前に、お前を消そうという動きがあって、それを受けたクラッカーがいる、ってだけだ)
クラッカーというのは、マインド・ハッカーの中でも、殺人を専門に行う連中だ。
(誰から起こった動き?)
(まぁ、一部の総意、とでも呼べる奴だ。お前も方々で色々やりすぎたな)
一部の総意、なかなか、現実的な言葉だ。
(情報、感謝するよ。仕事が終わったら、連絡する)
店を出て、メインと並んで歩く。
一体、誰が俺を消そうとしているのやら。警官の関係かな。警官と言っても、普通の警察じゃないのが、面倒だ。私警とはつまり、なんでもありの暴力屋のような側面もある。
ちょっと六企業の私警のバランスを確認しておこう。バランスを少し調整すれば、私警同士で監視しあって、警察自身も、あるいは俺を狙う誰かも警察の目を気にして、俺に手を出しにくくできるはず。
「アスカ」メインが尋ねてくる。「その記憶装置は何に使うんだ?」
俺の手に提がっている袋の中身のことか。
「ん? ちょっと記録する必要がいつかあるかな、と思って」
メインからは疑念の視線。
「いつか、というのは、すぐに、と同義か?」
「どちらも曖昧な表現だから、お隣同士だな」
気にするなよ、とメインの肩を叩く。
意識に短文のメッセージが届いたのはその時だった。超複雑な暗号化が幾重にもかけられている上に、そもそも開くのにパスコードが必要だ。
開封し、暗号を解除。内容は単純。
カジノ強盗の作戦会議の開催場所と時間だった。今日だとは聞いていたけれど、時間がすぐだ。まったく、もっと早く教えてくれよ。
自転車の元まで戻ると、浮浪者がすぐ横に倒れていた。どうやら、特別製のチェーンに触れたらしい。触れると感電するようになっているのだ。
浮浪者のために救急車を呼んでやる俺の横で、チェーンを外したメインが自転車にまたがる。俺は背後に飛び乗り、自転車が走り出す。
俺は無言のまま、意識を走らせ、自分にまつわる状況を探り始めた。




