記憶と創造と現実のバイタルサイン
ちぎっては投げちぎっては投げ…
いやま、実際にはちぎっても投げてもいないのだが、僕は階段を上ってくる警察官コスプレの餓鬼を、斬っては蹴り、蹴っては斬り、追撃を退けていた。
「いつまで遊んでいるのですか?」
耳元に、イヤホン越しにミスミが囁く。優しさと厳しさを併せ持った、そしてその柔らかな声に僕ははたと我に返る。
「いやいやいや、僕は真剣にやってました!
決してその優位性に、調子に乗ってたわけじゃありません!」
「足元を確認してください。時間は有限です。
特に今の状況としては。」
ミスミの指摘通り、1~2階の階段踊り場にはすでに「見えない水」が浸水し、足首まできていた。
この不可思議な「見えない水」はいつまで水位を上げ続けるというのか。
僕は電話に気を取られていた隙に、眼前まで迫ってきていた餓鬼を、刀と共に肩で体当たりし、後続を巻き込ませながら突き返す。
「2階でよろしかったですか!?」
「そのまま2階を進んでください。その後、3時…、
右へお願いします。」
「かしこかしこーっ!」
これまた予測の範疇と言えばそれまでなのだが、またもや通路には規則正しく餓鬼が配置されていた。
唯一、1階と違うことと言えば、今度は女性警察官の制服だってことだろうか…
中身の性別が、いまいち判別つかないのだが…
『いつまで遊んでるの!』
僕は水の抵抗がない2階において、1階よりも速度を増して餓鬼を蹴散らしながら通路を進む。
『日が暮れるまでには帰らないと!
あれだよ! 日が暮れると…、鬼にさらわれちゃうんだよ?』
ひび割れた窓越しに夕日が廊下に差し込む。時折、僕の視界をその光の筋が阻む。
『ほらほら、早く帰って晩御飯食べよ!
今夜はねぇ、ビャクヤの大好きな…』
あれは誰の言葉だったか。幼き頃のミスミだろうか…
いや違う、あれは姉だったろうか…
いや、あれは母さんだ。
目の前の餓鬼を、似つかわしくない女性警察官の出で立ちをした餓鬼を僕は、無意識に近い状態で斬り伏せる。
それは僕が小学校に上がる前だっただろうか、それとも上がりたてだっただろうか。
一人、二人と、一緒に遊んでいた名前もよくわからない友達が帰っていく。
僕は公園の砂場で、黙々と何かを作っている。あれはなんだ、お城だとかそういうやつだろうか。
崩れても崩れても、ひたすらにトンネルを創ろうと繰り返す。
辺りに夕日の光が差す。砂場に隣接する滑り台にその光が反射する。
僕は眩しさに苛立つ。よくわからないその光に苛立つ。
あの日の晩御飯はなんだったのだろう?
あの日に見た夕焼けは、なんであんなに赤いのだろう?
僕はあの時、なんであんなに不機嫌にしたのだろう?
あの時に感じた匂いは、なんの匂いだったのだろう?
母さんは、なんであんなに笑っていたのだろう?
僕は斬るのも面倒になり、餓鬼のこめかみを柄頭で叩き伏せ、続け来る餓鬼の眉間を踏みつけて乗り越える。
まるで家路へと急ぐ門限直前の子供のように、僕はガキ共の間を駆け抜ける。
ガキだった過去の自分を振り切るかのように、僕は先へと急ぐ。
僕は指定通り、十字路を右へと曲がる。
だがその角を曲がっても、そこに僕の家は無い。代りに僕がこれ以上進むことを拒むように、崩れた天井やら何やらが廊下を塞いでいた。
「心配しないでください。奥左手の部屋へ。」
「動揺を読むとか、心の中はオンラインにしてないはずなんだが! とはいえ、的確なタイミングにありがとう!」
「位置情報の他、イヤホンからバイタルサインをチェックしてますので。」
「?
何か聞き流せない感じだったんだが。」
「幌谷さんの健康状態を気にしてるということです。」
「…イヤホンにそんな機能は、ない!
これ私物だよねぇ! 僕のだよねぇ!
いつの間にすり替えたんだよ!」
「叫ばないでもらえますか?
これも必要な措置ですので。100%」
「認めた! すり替えを認めた!」
「部屋の奥から迂回し、廊下へ戻りましたらそのまま向かい側の部屋へ。」
「冷静にスルー!」
追って部屋へと入って来た餓鬼を、僕は振り向きざまに横一閃し、後続の足止めとする。
長らく放置されていたスチール製のデスクや倒れた棚やらを乗り越え、僕はミスミに言われた通りに部屋の奥から廊下へと戻った。
部屋にはいなかったのだか、予想通り廊下には女性警察官を装った餓鬼が立哨していた。出会い頭に斬り伏せる。
廊下の奥をチラッと見ると、相変わらず等間隔に餓鬼が並び、そして全員が視線だけこちらに向けていた。一定の距離まで近寄らないと動かないのは、どういう仕様なのか。逆に気持ちが悪い。
追って来ている餓鬼が、抜けた部屋のデスクやら何やらを蹴散らす音が響く。
僕は向かいの部屋の、両開き扉を蹴り開ける…
つもりで蹴ったが開かない。
押してダメなら引いて! って普通はそうだよね! 普通は廊下側に開くよね!
僕は慌てて扉を引き開け、部屋の中へと進入する。ここはホールのようなところだろうか。想像以上に広く、そして埃臭い。
タタタタ タタタタタタ タンッ
先程までイヤホン越しに聞こえていた射撃音が、リアルに耳元に届く。
目の前を黒い影が動く。その影を目が追う。僕は一瞬、新手の鬼かと身構える。
影はこちらに背を向けていた。
背を向けていたのにもかかわらず、後ろに目があるかのように素早く後退し、遮蔽物の影に身を置いて追撃者を撃ち抜く。
僕はその影から目を離し、振り返えって先程入ってきた扉、今は再び閉じられた扉へと注意を向けた。
タン タタンッ
その影は上下に黒い作業着のようなものを纏い、背中には長身のライフル、その下にはマガジンらしき物がズラリと並び、そして両腿には二丁の短銃が装備されている。
手にはサブマシンガンが構えられ、作業帽のようなものを被り、ヘッドセットのような物が垣間見えた。
唯一、チラリと見える後ろにまとめ上げられた髪と、そのシルエット、小柄な体躯から女性であることが伺える。
まさに完全装備。ここが戦場、いやテロ対策の為に組織されたエリート部隊の、一隊員であると言ってもいいような風格があった。
僕の背面へと移動してきた気配。粛々と奏でられる射撃音。ゆっくりとした息遣い。
仄かに香る石鹸の香り。そしてそれに混じる香ばしい匂い。
「えーっと。
そのー、あのー、
もしやもしかして、ミスミちゃんでしょうか。」
僕は背中越しのまま話しかける。
「もしやもしかしなくても、ボクはミスミちゃ…
ボクはボクです。100%間違いなく。」
その影はきっぱりと断言する。
「お久しぶりです。
なんか久々感はないのだけれど。」
「ボクも再会を喜びたいところではありますが。
出来ることなら名も知らない駅でバッタリ、「お久しぶり〜」からのカフェでほのぼの、とかしたいところですが。
残念ながらそのような余裕、シチュエーションではありません。」
未だイヤホンから流れる声とリアルに聞こえる声が、多重音声のように僕の脳を揺さぶる。
なんと言うか。
電話越しに聞こえるミスミの声、柔らかく緩やかな声から想像していた人物像よりも思ったより小柄、ニコナよりも少し身長が高いだろうかという小柄具合に、僕は正直、そのギャップに脳味噌が追い付いていかなかった。
幼き頃の記憶にあるミスミ、僕の中で「声」から創られたミスミ、フル装備の小柄なミスミ。
これらをリンクさせるのは容易ではなかった。
過去の記憶と、想像上の創造と、現在の現実。
僕は交差するその三本のラインの中心で、船酔いのような浮遊感に囚われながら、懸命に焦点を定めようと目を凝らすのだ。




