不条理なのかカカオマス
『世の中そんなに都合よくは廻らない』
そんな当たり前のことを、僕はこの年になっても未だわからずにいる。
特にここ最近の鬼絡みの状況、いや、それ以外の所でも「都合よくは廻っていない」のにもかかわらずだ。
どうしてこうも人生とは「不都合に廻り続ける」のだろうか。その代わり「僕以外の誰かには都合よく廻っている」のだろうか。いや、そういうわけでもないことは、重々承知している。
そうだ『世の中は我々にとって不都合に、不条理に廻っている』。
それは一本の電話から始まった。
僕は半分寝たまま「不条理に鳴る」スマホに出た。
「ハイ…。」
「ミスミです。」
「…存じ上げております。」
「本日15時ちょうど、現地集合でお願いします。」
「スミマセン、ヨクワカリマセン。」
「そろそろお目覚めになってはいかがでしょうか?」
僕は渋々目を開け、掛け時計に視点を合わせる。
10時39分。おそらく午前だろう。いや午前なはずだ。外が明るい。そしてミスミの言葉が正しければ、まだ今日の15時は過ぎては、いない。
ミスミは極めて事務的な話し方だったが、その声質は柔らかく、目覚めには心地よささえ感じる。
できることならモーニングコールは優しい言葉でお願いしたいのだが。
「…昨日、バイト終わるのが遅かったんだよ。」
「存じ上げております。」
「存じ上げられて、おります。
そして今夜もバイトがあったような…。」
「今夜はシフトに入っていないはずですが? 100%間違いなく。
そして終日、予定が入っていないはずですが? 100%間違いなく。」
「存じ上げすぎだよ! ミスミちゃん!」
「集合場所は旧岩狩病院です。後ほど詳細をメールします。」
「そして瞬く間にスルー!」
なんなのだ。終始ミスミペースで進行するのか、この電話は。
「…えーと、旧イワカリ病院?
病院跡地かなんかなの?」
「10年ほど前に総合病院と療養施設だった所です。今は廃墟ですが。」
徐々に僕の脳味噌は覚醒し始めてきたが、覚醒すればするほどこの電話の不条理さが際立つ。
「ははは。廃病院かぁ。肝試しでもやるのかなぁ?
いやー、夏だねぇ。」
「ちなみにニコナさんにも連絡しましたが、「お化けとか非現実的なものは苦手だからパス」と申され断られました。
佐藤さんに関しましては、私の担当外ですので存じ上げておりません。幌谷さんお一人で来られても、なんら問題はないかとは思いますが。」
いやいやいや、鬼だとかも十分に非現実的だと思いますよ? まして魔犬だとか、どうなのニコナさん?
そして佐藤さんて誰? とか思ったがあれか、ウズウズのことか…。
僕も幽霊は、いや鬼だとかも担当外なのだが。
「…。すまん、ミスミちゃん。本気で意味が解らん。」
「調査です。先日の夏祭りでの騒動後、一人の中鬼らしき人物を発見、追跡しました。
その後の再調査の依頼です。」
「オーケーオーケー。追跡後の調査をしたいということは、オーケーだよ。
んで、どうして僕に白羽の矢が立ったのかと。」
「白羽の矢で射られることをお望みでしょうか?」
「んなわけあるかーい!」
「後手に回っていては鬼どもにいいようにしてやられます。
であれば、こちらから仕掛けるための糸口が必要です。」
「…飛んで火にいるなんちゃら、ってならない? それって?」
「30%ぐらいは。
ただ、黙っていても火の粉は我々に降りかかりますので。」
「む、むぅぅ…、なるほど。」
「では、ご準備のほどよろしくお願いします。
動きやすく目立たぬ服装で、携行品は最小限度でお願いします。
水分、食料等の支給はこちらで手配しますので不要です。」
「ずいぶんと本格的だな!」
「本格的です。86%ぐらいは。」
「…、カカオマス含有量の表記ぐらい細かいな!」
「物事を総合的に見ると細かくなりますが。」
「…左様ですか。
とりあえず、了解しました。」
「では、後程。」
僕はミスミからの通話が切れたスマホを枕元に放り投げ、カーテンを開ける。
眩しい夏の日差しが、空高くから僕を迎え入れる。この暑さも陽光の高さも不条理ではないか。
ミスミにあれよあれよと言う間に乗せられてしまった感はあるが、いつ来るかわからないでいるよりはマシなのかもしれない、と僕は考えた。
「世の中は我々の不都合に、不条理に廻っている」のかもしれないが、覚悟が決まっているかいないかではその差は大きい。
僕は眩しさに目を瞑りながら、覚悟のようなものを内包しながら大きく深呼吸をした。
「携行品か…。」
僕は独り言を呟きながら、ベッド脇に置いてあるリュックを見る。
賢明なる諸兄諸姉ならば覚えておいでではないだろうか? 合宿ではついぞ活躍する場のなかった「出来る男のサバイバルキット」がそこに、そう、底に眠っている。
数秒間、哀愁に身を任せながらリュックを眺めた後、僕は意を決し「出来る男のサバイバルキット」を取り出した。
考えてもみれば、この「サバイバルキット」が僕を「出来る男」に仕立て上げるわけではない。つまり「出来る男」が手にするべき「サバイバルキット」が、正しいのではなかろうか。
こいつは携行品としては申し分ないのかもしれない。だが僕は「出来る男」ではない。
僕はそのメタリックなケースの手触りに、後ろ髪を引かれながらもテーブルの上に置き、ベッドの下からダンボール箱を取り出した。
『まったく無駄なものなんて無い!
無駄だと思う人がいるだけ!』
とは、物を捨てることが苦手だった「幌谷ヒビカ」の迷言、つまり僕の母親の言葉だ。
僕は母親ほど、物を捨てられない性格ではなかったが、なんとなく捨てることが出来ない物を、いくつかの物を一つの箱にしまっていた。
おそらくきっと、人はこれをガラクタと言うのだろう。だがそれらをガラクタに、無駄にしてしまっているのは僕の責任だ。
いつか日の目を見る時が来ることを信じ、僕は「出来る男のサバイバルキット」をその箱に収納した。
すでにここ最近の僕は「サバイバル」の斜め上をいっているような気がしたが、人生いつかは「真のサバイバル」に遭遇するに違いない。うん、きっと来るに違いない!
その日が来た時に、こいつは大活躍するに違いない!
僕はダンボール箱を元のベッド下の位置に戻し、腰を上げて冷蔵庫へと向かい、グラスに麦茶を注ぎ、一気に飲み干し、再度グラスに麦茶を注ぐと、二口ほど飲んでテーブルに戻った。
その行程の間に、僕の脳髄を占めていたのはなんなのだろうか。
哀愁。そんな言葉で飾るにはあまりにも陳腐な気がする。どこかもっとこう、モヤモヤとした、スッキリしない、晴れない、いや、モヤモヤしてる時点で「晴れる」わけがないのだが、上手く言えないが霞の中にいるような、漠然とした喪失感のようなものが脳髄の86%を占めている気がする。
僕はそんな僕自身に「バカなことを」と一蹴し、気を取り直してPCを立ち上げた。
「イワカリ病院」とはどこなのか。気になりネット検索する。
だがしかし、「イワカリ病院」改め「岩狩病院」で引っかかったのは僅か数件で、現在は新病院としても存在していなかった。
まして「旧岩狩病院」は地図検索にも引っかかってこない。
10年とは遠い過去なのか…。
忘れられた「岩狩病院」を思いながらPCを閉じる。
「覚えている」「忘れられる」「漠然と記憶する」「記憶が定かではない」「現実と虚構の境目」「曖昧な記憶」「夢物語」「認知は事実」「妄想の慣れ果て」
どこまでが正しい「現実にあった事実」で、どこまでが正しいと信じる「妄想から生まれた虚構」なのか。
この世から忘れられた「岩狩病院」が、僕の中に無味な言葉を通過させた。
虚構に身を置いた僕を現実に戻すように、スマホが短く唸る。
そこにはミスミからのメールがあった。
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1152発、快速〇〇行き
××駅で下車
2番乗り場のバスに乗車
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なんて端的なメールなのだ! これが詳細なのか? 僕は
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もう少し詳しく
( ´Д`)ノ
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と返信する。
だがミスミから再送されたのは、もっと端的なものだった。
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4番線
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現在時刻11時23分。
僕は時計を睨み、素早くその辺に干してあったものに着替え、スマホと財布と、そして「芝刈之大鉈」なる太鼓のバチをポケットに突っ込み、スニーカーを引っ掛けて、慌てて家を出た。そして鍵を忘れたので素早く戻って鍵を取り、施錠して部屋を後にした。
その行程の間に、僕の脳髄を占めていたのはなんなのだろうか。
哀愁を通り越していたことは、間違いないと思うのだが。




