曲者のマジックショー
「あらあらあら、随分と男前な視線じゃないの?
だからマネージャは手を出すなって言うのかしら?
でもこれって、放っておくのは罪じゃない?」
山羊女が僕を見つめて嘆く。
知ったことか。無に返さずしていられようか。こいつを消して、この世を消し去らずしておくべきか。
「いやあるまい!」
僕の身に纏っていた「虚無」が腕に滴り、抱きしめるウズウズを包み込まんとしていた。
もはやコンナ世、夜、余ナド消滅
して、シテ、Sea手、死してしまever
Ewwwww、やぁぁぁ!!!
「ほんとウザイ。」
「あべぼっ!」
後頭部に強い衝撃を受け、僕は顔面をウズウズのその豊満なエアバッグに埋める。
ウズウズに埋めたおかげで衝撃が吸収され、僕は辛うじて意識を失わずに済んだ。
僕の纏う「虚無」が強制キャンセルされ、意識が、思考が正常化する。
僕はウズウズに埋まりながら、顔面と後頭部の感触を自動比較測定し始めた。
これ…は…
この衝撃は靴底か?
そしてこの柔らかさは慈愛か?
後頭部への衝撃は直近で二度目だが、前回とは異なる衝撃だ。
慈愛は二度目ぐらいだったはずだ。
衝撃の度合いから推測するに、これは何者かに踏みつけられたということか。
靴底のサイズ、形状、進入角度から導き出された答えは、これは女子の靴底!
そしてその衝撃レベルから察するに体重45kg前後、身長は160cm未満!
ちなみに慈愛から察するサイズ等云々は、モラル上の問題でこの際、割愛させてもらうとしてだ。
体温、呼吸音、そして命の鼓動! 心音が肌でリアルに感じられた!
ウズウズは生きている!
僕は確かに命の鼓動を聞いたんだー!!
「何者だ! 曲者かっ!」
僕はウズウズの命の鼓動の余韻に浸りながらも顔を上げ、その正面に立っている、僕の後頭部を踏みつけた後に、華麗に着地したであろう少女の後ろ姿を見た。
我ながら恐ろしい。オートスキャンニングした少女はやはり測定通りの少女だった。
限りなく黒に近い焦げ茶のローファーが曇り一つなく輝いている。
そこから伸びるニーソに包まれた足首のアキレス腱の窪み、曲線は美しく、それでいて強い意志のようなものを感じる。
更に特記すべきはその脹脛か。全くもって比類なき黄金比、例えるならばシシャモ。勿論カラフトシシャモではない、柳葉魚と書くシシャモ、正真正銘の子持ちシシャモだ。つまり本物の曲線美だ。
そのさらに上には…、伸び上がる好奇心を遮断するがごときスカートの稜線がフワリとかぶさっている。ご丁寧にもその裾には白いレースが装飾されていた。
膝下か。正統派か。ふむ、いいだろう!
だが僕はこれまでの曲線美などはほんの前座に過ぎないことを知る。
スカートの柔らかく軽やかな布地に隠し切れないその臀部のふくらみ。これは…、このような曲線があるというのか! 僕はまさに視線が、心がその曲線に奪われた。
確かに僕はその曲線を正面から、直近2m圏内で直視している。だが全方位から立体的にその曲線を理解していた。完璧さのその先にある丸みだ。勿論、それは臀部にのみ現わされるものではない。腰のラインから続くマイナス曲線、そして臀部によって転じるプラス曲線、そしてスカートによって直接の観測は出来ないが、間違いなく続くであろう太腿への緩やか且つ豊かなライン。つまり完璧で完成された、後方180度に展開される「神のSライン」。
人類にこの「神のSライン」を持つことを許すというのか!
完全無欠のその曲線がこの世に存在せしめるというのか!
神々しいその臀部曲線が目の前に顕出されているというのか!!
だが僕はその時、心の奥にある「美ラインライブラリ」の検索に引っかかるものを感じた…。
いや、そんなバカな! 僕がこのラインを知っているだと?
そのラインの持ち主を
僕が知っているだと?
「曲者…、「美しい曲線を持つ者」と書いて曲者だというのか!」
「ウザいにもほどがある。
濁って迷走してる場合ではないと思いますけどね。
いいかげん糸偏に冬してもらえません?」
腰より上の黒い日傘越しに、揺れる長い髪の先を見せた少女から、蔑むような冷たい声が発せられる。
そうだ。言われるまでもなく、僕が一番やらなくてはならないことはウズウズを救うことだ。こいつは新手の敵なのか? 僕はウズウズを強く引き寄せ、その後ろ姿に警戒した。
「とりあえずウチの役目は終わりましたので帰ります。
また暴走されても仕事が増えるだけですので処置はしときましたが。」
「処置?」
僕の短い疑問の言葉は無視され、日傘の少女は山羊女へと歩み寄る。
「さて、足止めしてしまったようですが、今回は引いていただけますか?」
「引くも何も、仕掛けてきたのはそこの二人なんですけど?
それともあなたが代わりに私と踊ってくれるということなのかしら?」
「そんなつもりはないですね。
それはウチの役目ではありませんから。
ただ、引くの一択だと理解していただけると助かります。」
そう言い終わるや否や、少女の日傘の内側からおびただしい量の「黒い紙吹雪」が吹き出し、日傘を中心にして規則正しく旋回し展開される。
その「黒い紙吹雪」の一つ一つがキラキラと艶やかに光を反射し、まるでプラネタリウムの人工的な星空を想起させた。
「どういうマジックショーなのか知らないけど、気に入らないのは確かなのだけれど?
でもいいわよ?
マネージャにくぎを刺されていることだし、今回は引いてあげるわね?
次に会う時には、そこの坊やが私と踊ってくれるといいのだけれど?」
山羊女がぶっきらぼうに言い放ち、首に巻いたスカーフの端を手で跳ね上げ、その手を高らかに上げるとカーテンコール後の踊り子のように恭しく一礼した。
それと同時に上空に展開されていた紙吹雪が旋回しながら山羊女を包み込む。
紙吹雪の回転速度が徐々に上がってゆき、山羊女へと集約すると一瞬にして山羊女は姿を消し、跡形もなく消え去った。
辺りには静寂だけが残る。
「えーと、つまり、どういうことでしょうか?」
「脳味噌は使わないと、どんどん劣化するという話です。
ではごきげんよう。」
少女は終始、背面を向けたままで階段を降り始める。
「黒い紙吹雪」はいつの間にか消え失せ、ただそこには日傘をさした少女があるのみだった。
「そういうことを聞いているんじゃなくて!
お前は誰なんだよ? 味方なのかよっ!
ウズウズを、ウズウズを救うために、僕はにはどうしたらいいんだよ!」
日傘の少女は僕の声、叫びに立ち止まりはしたが、深いため息をつき、そしてすぐに歩みを再開した。
ただ階段であるが故の上下の揺れを、その日傘に刻むだけだった。
ただ立ち去るだけだった。
「チッキショーメィ!」
立ち去る日傘の少女の背中に、その日傘に僕は悪態をついた。
だがわかっていた。敵だか味方だかわからない、それともただの通りすがりかもしれないその少女になんの罪もなく、悪態をつかれるいわれもない。そうだ、僕が悪いのだ。
何一つ覚悟もできていないのに、勢いだけで行動している僕が悪い。
僕は未だ落ち着かない、怒りなのか焦燥感なのか絶望感なのか、ごちゃまぜでわけのわからない感情のまま、腕に抱いているウズウズを見下ろした。
これは…、なんなのだろう?
山羊女の言葉じゃないが、どういうマジックショーなのだろうか?
ウズウズの身体と僕が膝をつく石畳の上には溢れんばかりの花びらが。この花びらは百合だろうか。
赤みの強い橙色の花びらに僕らはうずまっていた。
「なにがどうなって…」
僕はウズウズの身体の上にある花びらを払った。そこには衣服こそ切り裂かれているものの、その肌に傷はなかった。白い肌が赤橙色とのコントラストで美しくさえあった。
「ウズウズ?」
僕は未だ半信半疑で、正確に記せば疑心4割、希望3割、残り困惑で、恐る恐るウズウズに声をかける。
呼吸によって胸が上下に、生きている証を正確に刻んでいた。あどけない少女のように可愛い寝顔だ。
僕はウズウズの寝顔をずっと眺めていた。長く長く、眺めていた。




