美しきかな石灯篭
僕は石畳にへたり込み、腕の中に抱かれているウズウズを見る。
「ウズウズ? …ウズウズ?」
力なく、か細い僕の呼びかけにウズウズは反応しない。
「だ、だめじゃないか…。いくら夏とは言え、こんなところで寝てしまったら風邪ひいちゃうよ。
なぁ、そうだよ…。ネコだって待ってるからさ。帰らないと…。」
言葉を続けても、閉じられた瞼が開くことはない。長いまつげが美しく、規則正しく閉じられた瞼に蓋をしている。
「あぁ、そっか。眼鏡がないと立ち上がれないよな。さっき吹っ飛んじゃったしな…
眼鏡探さないと。早く、早く探さないと。
でも、でも今動いたら…、動いたらぁ…」
一気に僕の瞳に涙が溢れ出し、視界をぼやけさせる。
僕は慌てて一度、大きく目をつぶり涙を追い出す。大粒の涙が頬を伝う。視界が開く。
ゆっくりと、腕の中のウズウズの顔からその下へと視線を向ける。
衣服がずたずたに引き裂かれている。全身がどこも切り傷だらけで血だらけだった。
致命傷となるような深い傷は無い。だけれどこんなにもおびただしい傷を負い、こんなにも血が流れてしまったら…
僕は慌てて「血を止めなきゃ、傷をふさがなきゃ!」と考える。でもどこをふさげばいいというんだ。こんなになってどこをどうすればいいんだ。
それに、抱きしめる腕をウズウズから離してしまったら…
その先の恐怖に僕は身動きすることができず、思考すら手放しかける。
どうして? どうしてだ?
何を間違えた? どこで間違えた?
そうだ。そもそもなぜ山羊面の女、中鬼を追ってきてしまったんだ、僕は?
静まり返った夜の帳に、後悔だけが支配する。
◇ ◇ ◇
「なぁ、ウズウズ。」
僕の隣で淡々と進むウズウズに、いつもと変わらぬウズウズに僕は声をかける。
思いのほか長い石段に、僕は息が上がりそうなのを誤魔化す。
「その、焼きそばとかのヘラとか、たこ焼きの千枚通しみたいなやつ?
それって、やっぱり借り物なのかな?」
「…、ん。」
やっぱりか。やっぱりそうか。
僕の中で「そいつで、鬼を狩ったそいつで焼きそばを?」とかって思ったが、それ以上聞かない方がいいのだろうか。
「それって、
金剛の兄貴とかに返す、のかな?」
「…
……
………田辺?」
田辺とは、初めて聞く名だが「世話役」みたいな存在だろうか。
「田辺さん? に返すのか。」
「…ん。
メンテナンス。」
「そっか。」
よくわからないが、田辺さんとやらが滅菌消毒していることを祈るしかない…。
今迄の鬼を見ていると、出血するのは見たことがない。ただ煙のようなほぼ気体に近い瘴気が溢れ出すだけだ。なので「使った武器が血まみれに!」みたいなことは無いのだが、とは言え「それは調理器具!」ということは気になった。
確かにそれを使った後に何かを調理しているところは見てはいないわけだが。
そんな気を紛らわすような、他愛もない会話ののち、やっと石段の頂上、山頂の境内へと到達する。
夜半を大きく超えたせいもあるのだろうか。お祭りであるとはいえ境内に人気はなく、静寂に包まれていた。
「あなた方、わたしを追ってくる必要ってあったのかしら?」
境内の奥、社の階段に腰をかけていた山羊面の女が静かに問いかける。
「わたしは、一応は仕事だし?
事の顛末ぐらい見届けないと、って思って眺めていただけなんですけど?
別にあなた方を待っていたわけでもないし? 相手をするつもりは、」
山羊女が立ち上がった。
それと同時に境内の、両脇に並ぶ石灯篭に火がポツ、ポツ、ポツと順に灯っていく。
祭りの飾り付けだろうか。様々な色に染められた細い旗がたなびき、灯に照らされる。
「なかったんですけど?」
山羊女がモデル立ちのような、一般的には為されないような、重量に抗うようなポージングを取る。
そして女は、改めて見れば見るほどに奇妙な山羊面だった。それは山羊の面に朱色のペイントが施されているのか、それとも僕が知らないだけで、そういう物の怪がいるのか。
女は妙な一体感と不自然さを合わせ持った山羊面だった。
「鬼を見て、引き下がれるほど大人じゃないものですから。」
僕は刀を握り直し、啖呵を切る。
「間抜けな頭にもわかるように説明するべきなのかしら?
それともあえて説明を求めているのかしら?
第一に美しくない考えかたは嫌いなのよ、私は? わかるかしら?」
山羊女がポージングを左半身から右半身に切り替える。
「第二に美しくない存在は絶滅してほしいわけ、そうでしょ?」
そしてわけのわからないぐらいに、上体を仰け反らせる。
「第三に、美しいわたしの邪魔をするのが物凄く許せないのよ?
この気持ちを理解できるかしら?」
山羊面故にか、山羊の短い角が二本、その頭部に現れる。
ここまでくると最早、「山羊面」はお面なのか、元からそういう顔、そういう生物なのか疑わしくなってくる。
「理解できていたら、ここにあなた方はいないということよね?」
角に続けて鬼気が、瘴気が溢れ出る。
それは蛙水のようなドロっとしたものでもなく、兵跡のように硬質な感じのものでもなく、濃霧のようにモヤっとした、掴み所のない感じの瘴気だった。
刀がその瘴気に反応し、僕の手に振動を伝える。これは「鬼を斬れ」ということなのか、それとも「警戒しろ」ということなのか。僕は山羊女のつかみどころの無さに「警戒」を選択し、中段に構える。
ウズウズが僕の陰に、忍ぶように寄り添う。
いつものように脱力してはいたが、手元が隠れているところを見ると何かしらの武器を持っているのだろうか。
臨戦態勢になっていることは間違い。
どこから発生するのか、紙吹雪に使われるような紙片が山羊女の元から現れ、女の手先に小さな竜巻のように旋回する。それにつられるように、女のスカーフやドレスの裾が仄かにたなびく。
女の視線は僕らではなく、その旋回する紙吹雪の中心に向けられていた。いや、そもそもその面から視線などを判断するのは難しい。だが女の言葉とは裏腹に、明らか僕らに意識が向いているような感じがしなかった。
それでも僕は警戒を解かず、臆することなく言葉を続ける。
「お前たちは…、お前たちはいったい何が目的なんだ?」
「何が目的? 私に質問するというの? 意味が解らないわ? そんなことに私が答えるとでも思っているのかしら? 私だってマネージャの指示だからやっているだけで、目的なんて興味はないのよ?
この青二才は私の邪魔をするに飽き足らず、無意味な質問までしてくるというのかしら?
頭、沸いてるのかしら?」
旋回する紙吹雪が女の手元を離れ、大きく螺旋を描きながら僕らの方へと吹雪く。
それが何かしらの攻撃であることは理解できる。だがそこには意志のようなものが感じられない。
「ウズウズ! 回避っ!」
「……。」
僕は左へと大きく回り込むように駆ける。ウズウズが僕の傍らを追従するように動く。
だが螺旋する紙吹雪は速度こそ早くは無いが、風のように軌道を緩やかに変えて僕らの方へと流れる。
「なんなんだ。これはッ!」
追尾機能でもついているのか。横目に山羊女を見たが、コントロールしている様には見えない。僕は追ってくる紙吹雪に正対し、刀を一閃する。
だが期待していたような「斬圧」のようなものは発生せず、そして紙吹雪は刀の軌道をひらりとかわし、差し迫ってくる。
刀が振り切られたその傍らで、隙だらけな僕の左袖からウズウズが半歩前へと出た。
薄闇の中に若竹色のオーラが淡い光を放ち、実体化して浮かび上がる。その灯りが僕の焦る心を鎮める。
冷静さと、それでいて確固たる強さを併せ持った輝きだ。
しかし、その輝きは僕の焦りを鎮めるのを通り越し、正直、身震いしてしまうほどの冷たい輝きだった。




