おいしいモモに蝶が止まる
「おう、兄ちゃん。上がっていいぞ。
これ持ってけ。」
「あざすっ!
金剛の兄貴、お疲れ様す!」
「おう、嬢ちゃんを頼んだぞ。
ワヤしたら殺すぞ。」
「はいぃッッ!」
僕は貰ったラムネと「ジンギスカン焼きうどん」なるもの2パックを握りしめ、90度に最敬礼した。
順応性とはかくも恐ろしいものなのか。
僕はこの「否応無し」な世界に流され続けるのだろうか。
「おつかれ。」
祭りの時間は半分を過ぎ、賑やかさが少し落ち着いてきたように感じる。
その半分の時間で、本日の売り上げの大半を叩き出したであろうウズウズを労い、貰ったラムネを手渡す。
「…。
お腹…すいた?」
「あぁ。落ち着くとこ探して、これ食べよう。」
ウズウズが疑問形で言葉を発したが、きっとお腹が空いたのはウズウズの方だろう。
一口、二口食べてるのは見かけたが、あれで足りるわけがない。
まぁ僕とて、お腹が空いていないわけじゃなかったが。
「ほろやさぁーん!」
どこか落ち着けるところを、座れそうなところをと、探して奥の方へと歩いてきたところで、聞き覚えのある声が僕らを呼び止めた。
陽気なネパール人、カンデルさんが出店の一角から顔を出し、白い歯を輝かせながら僕らに手を振っている。
「ネパールカレーとナン!」という看板が掲げられた移動販売車からスパイシーな香りが、食欲をそそる香りが漂う。
「元気でしたかー!
おう、サトさーん! お久方ぶりですねー!」
そういえばウズウズは、カンデルさんがバイトしてるコンビニにいたのだった。
「…、イラシーャ、マシテー。」
「ナマステー!」
合掌し挨拶するウズウズにカンデルさんが合掌で応える。
微妙に間違っているような気がしたが、二人の間に異国交流がはかられる。
「カンデル、サトさん辞めて悲しみですよ。
せっかくコーハイ出来たのに、テンチョも悲しみ言ってましたよー。」
ウズウズと交配ッ、だと!
…いや待て、それは早計だ。
ははは、後輩か。うん、後輩だ。
僕としたことがあらぬ想像をしてしまうところだった。カンデルさんは良き先輩だったのだろうな。短い期間とはいえ。
あのゲス店長の悲しみなど知っちゃことないが。
「カンデルさん、元気そうで何より。
今日は…、バイト?」
「そうねー、おじさんの知人の弟の店、手伝いに来ましたねー。
もう出番ないかと思いましたよー。」
「ははは…、それは他人っていうやつだし、「出番」とか言わない!
それにしても、いい香りだね。」
僕は今一度、店から漂うスパイシーな、エスニックな香りを胸いっぱいに吸い込む。
「おー、ごめんなすってー。もうカレー売り切れですよー。
でも、モモ(チベットの餃子)とタンドリーチキンありますよー。」
そう言ってカンデルさんは店の奥に一旦戻ると、モモとタンドリーチキンを無造作に詰めたパックを持ってきて手渡してきた。
「おいしい、間違いなし!」
「オーケーオーケー、いくら?」
「あげますよ! ゆーじょ!」
「いやいや、タダというわけには…」
そう言って僕は「ジンギスカン焼きうどん」のことを思い出し、1パック手渡す。
「んじゃ、交換だね。」
ウズウズの視線はすでに「モモとタンドリーチキン」のパックにくぎ付けだ。試しにゆっくりと左右に動かしてみると、視線が追いかけて動く。
カンデルさんはその様子を心底嬉しそうに、そして陽気な笑顔を僕らに向けた。
「神のご加護を…
モモタロサン。」
「え?」
最後の言葉が周りの喧騒に掻き消されて聞こえず、僕は聞き返した。
「モモ、温かいうち食べたらおいしいですよー!
サトさーんも待ちきれませんよ。」
そう言ってカンデルさんは僕の背中を優しく押し、立ち去るように促す。
「あぁ、ありがとう。カンデルさん。」
「アーリャシマシッター!」
「アーリャシマシッター!」
ウズウズが条件反射かのようにカンデルさんの声に重ね、別れの挨拶を述べた。
僕とウズウズは縁日の賑やかさから離れ、境内の石段を中ほど、少し広くなったところまで登る。
ちょうど木々の切れ間から夜景が、街の明かりが静かに瞬くのが見える。それは夜空の星空を反射する湖の鏡面を思わせた。
この場合、街明かりが虚なのだろうか、それとも星空が虚なのだろうか…
「この辺で食べよっか、ウズウズ。」
「ん。」
ウズウズが短く返事をする。
石段に腰を下ろし、僕は一度ゆっくりと深呼吸する。時間がゆっくりと流れ始める。
ウズウズが僕の横に座り、同じように深呼吸する。座っても猫背なウズウズが、一層小柄に見える。
僕はモモを一つ口の中に放り込み、パックごとウズウズへと手渡した。
「お! これ、うまいわぁ! 初めて食べた!」
ウズウズも頬張る。
その間に僕は「ジンギスカン焼きうどん」のパックを開け、割り箸を用意し、食べ始める。
少し冷めてはいたが、これはこれで何と言うのだろうか。決して高級ではないのに、こういう「祭り」でしか出会えないような、特別な味がした。
僕らはパックを交換するようにしながら、それぞれの味を楽しむ。
僕らの間には言葉はなかったが、この「祭り」の味と、空気と、明かりを共有していた。
僕は最後となったタンドリーチキンを噛みしめながら上体を倒し、後ろに両手をつく。
スパイシーな香りの余韻を味わい、しばしの無音を楽しむ。
「そういえば、ウズウズはその、魔獣化? モードだっけか。
なんか変わるのか? 見た目とか。」
「…、耳。」
「耳?」
「耳が…、大きくなる。
と思う。」
思わずウズウズの方へと視線を向ける。ウズウズは視線を街明かりの方へと向けたまま、耳元の髪をかき上げ、耳をあらわにする。
僕はウズウズのその仕草、あらわとなった、普段は髪に隠れてあまり見せることのない耳の曲線美にドキッとした。
わかるだろう! 諸兄!
普段は見えないところが見えたときのドキッと感を! いや、何気ない仕草のドキッと感だ!
ちょっと間違えた!
そんなことはないとは言わせないぞ、諸兄よ!
何気ない仕草と、耳元だとかうなじだとか、二の腕だとか腰上のラインだとか、そういうものが見えてしまったときにッ! あるだろ! そういう類いのドキッと感ッ!!
「そっか。
なんだろうかな、猿だけにってことなのかね。…どれくらい大きくなるの?」
「ん…、これ、ぐらい?」
ウズウズが手のひらを耳元に当て、ヒラヒラと動かす。その仕草が妙に可愛げだった。
「いやいやいや、そんなにでかくはならんだろ!
…なるのか? そんなに?」
驚く僕の声に、ウズウズがクスッと笑ったような気がした。
そのまま上げた手で眼鏡の端に触れ、角度を調整するかのような仕草の後、ウズウズが立ち上がり、起し金を両手に装備する。
ウズウズがゆらりと動き、起し金に流れるような軌道を持たせる。
緩急のついた独特の歩法が加わり、アゲハ蝶のように石段の上を舞う。
ヒラヒラと自在に舞うアゲハ蝶。つかみどころの無いその動きに、僕は魅力される。
手元から伸びた銀線が、美しい軌道を残していく。
ウズウズはまるで、「舞い」で喜びを表現しているかのようだった。
僕はしばらくウズウズの舞いを眺め、夜景をバックにヒラヒラ舞うアゲハ蝶を眺め、ウズウズのことを何となく考えていた。
「人」の「夢」と書いて「儚い」。
夢の情景のような儚さを纏ったウズウズ。
と、ウズウズの動きがピタリと止まり、僕の方へと視線を向ける。
「?」
眼鏡に光が反射し、その表情は読み取れなかったが、先ほどまでの仄かな心情が消え去っている。
いつものウズウズの無感情が姿を現わす。
倒れるように身を崩した後、ノーモーションで僕の方へと低く跳躍し、僕の頭上を飛び越える。
「んあっ!」
僕はその動きを視線で追いかけたまま、背面へと首を反り、天地がひっくり返った世界を見る。
ウズウズが音もなく着地する。
その脇から見える石段の上段に「山羊人間」が佇んでいた。
いつのまに…人が? いや、そもそもあいつは人なのか?
「勘がいいとは聞いてたけど、正直、待ち伏せとかされるとムカつくわね?
失敗して上司に怒られたら責任取ってくれるのかしら?
怒られるの嫌なんですけど?」
突如と、まくし立てる「山羊人間」。
天地逆さの世界において、僕はすでに現状から置いてけぼりだった。




