茫然自失して大量の墓碑
諸兄諸姉は自分のキャパを超えた事象、とりわけ生命とは言わないまでも人生に関わるような問題が起き、今すぐにでも対処せねばならないような状況に置かれた場合、どうなるタイプだろうか。
「慌てふためき、無意味な言動に走るタイプ」だろうか、それとも「茫然自失し、動きが止まるタイプ」だろうか。
僕は圧倒的に後者のタイプだ。
目の前には巨大スクリーンさながらのPCトップ画面が現れ、今の僕が置かれている状況を写しだしている。そしてその中央にはよく見慣れた渦がぐるぐると廻り続けている。
大量の情報が一気に流入し、容量を超えて処理速度が追いついていない。つまり僕はフリーズしている。
画面の左上には時限爆弾さながらのデジタル時計が表示され、そのカウントダウンする数字が僕をさらに追い立て、気持ちだけが焦る。僕はどうすればいいのだ。どうしたらいいのだ。
タタンッ、タタタタンッ!
耳元でイヤホン越しに射撃音が響く。僕はその音に押し出されるようにフリーズから解放された。
蛙水はアタッシュケースを側頭部へと上げ、ミスミの弾丸をガードする。
「やれやれ。もう一人、面倒くさいのがいたのですねー。」
そうは言いつつも、ミスミの弾丸などまるで意に介さないかのように防ぎ、蛙水は腕時計に目を落としていた。
「すみません…。
有効射程内へ移動するのに時間がかかりました。」
「ミスミちゃんッ!
ウズウズとニコナがッ!」
僕にはそう叫ぶことしか出来なかった。
「さて、幌谷さん。
私、そろそろ社に戻らねばなりません。
営業日誌やら何やら書かねばならないのですよー。面倒なんですけれどもね、茂みの中の方を相手するのと同様にね。
いくら結果を出しても、ルールを守らねば評価にはなりませんものですからー。
ではまた、よろしくお願いしますねー!
あとはこいつらがお相手いたしますので!
あ! これはサービス、試供品ですから御心配無く!」
訳の分からない講釈を述べた蛙水の背後から、鬼、完全に鬼化したやつが三体姿を現わす。もはや人間であった頃の面影は無く、はち切れんばかりの隆々とした肉体で己の怒気を誇示し、荒々しい息を吐きながら三体の鬼がこちらを睨みつけている。
「それでは、失礼いたしますー。」
その一言と、薄気味悪い営業スマイルを残して、蛙水が立ち去っていった。
その蛙水に対して追うことも、反撃することも、僕には出来なかった。
タンッ、タタンッ!
ミスミの弾丸が、地面に突き刺さったボールペンを弾き飛ばす。
「僕はどう…すれば…。」
ウズウズとニコナが、ダメージを受けた腹部、胸を押さえながら立ち上がる。
「ちっくしょーっ!!」
ニコナが泣き声にも似た、悔しさの咆哮を上げた。
「幌谷さん!
逃げて下さい! ここは我々が凌ぎます!
通信を切りますっ!」
三体の鬼がニコナとウズウズへ飛びかかり、ミスミの援護射撃が始まる。
ニコナ、ウズウズが後退しながら応戦する。
「アッ、アッ、アアアアァァァッッ!!」
僕は堰を切ったように、ミスミの最後の一言に雄叫びを上げた。
再び同じ質問だが、諸兄諸姉は自分のキャパを超えた事象、とりわけ生命とは言わないまでも人生に関わるような問題が起き、今すぐにでも対処せねばならないような状況に置かれた場合、どうなるタイプだろうか。
僕は先程は後者、「茫然自失し、動きが止まるタイプ」だと言ったが、それは思考が追いつかないが故に、処理速度が追いつかないが故に動くことが出来ないということによる。
だが、思考すら出来ないほどの質量の情報が入り込んできた場合にはどうなるのか。
そう、僕は前者「慌てふためき、無意味な言動に走るタイプ」、いや「奇行に走るタイプ」だったようだ。
恐怖。
僕の中に「恐怖」が一気に広がる。
それは得体の知れない、なす術の無かった蛙水に対してなのか。それとも新たに現れた、破壊衝動を体現したような鬼どもに対してなのか。
いや違う。僕の内側から溢れる出る怒り。
いや怒りだとかいう人間的な感情ではない。もっと純然たる「全てを無に帰そう」という、理不尽な衝動。それに対する「恐怖」だった。
僕は無意識に、応戦しているニコナやウズウズ、ミスミをおいて走り出していた。ミスミに言われたからではなかった。ただ僕の中で広がる「恐怖」から逃げ出していた。
「ぬはへっ!」
僕は雨で濡れた下草に足を取られ、さらにつんのめったまま木の根っこにつまづき、木々の間を飛び越えて、そこに開かれた崖へと落下していく。
崖の下に広がる鋭利に尖り、雨に濡れて無駄に輝く岩肌が見える。そして風景が回転し、今度は雨上がりの空が見え、大小様々な雲が僕の視界に広がった。
急激に僕の回転速度、落下速度が落ちていき、視界にその雲が固定されていく。
時間的概念が静止していく。
彩色はモノトーンに変化し、続けて白黒が反転する。
そして大小様々な雲は、荒野に広がるおびただしい数の墓碑へと姿を変えた。
「いやー、はははは。荘厳な風景だね!」
僕の中の「僕」が素っ頓狂な感想を述べる。
「荘厳? こんなおぞましい風景を僕に見せて、何のつもりだ!」
「いやいや、僕ではなく自分で描いたんじゃないか。
いや、僕は僕だから、僕が描いたってことは、僕が描いたってことになるのかな?
前にも来たことがあるようなぁ、ないようなぁ。どこだっけなぁ、ここは。」
「訳がわからん!」
「うーん。
ま、それはいいや。」
僕の目の前に、墓碑の一つに頬杖をつきながら座る「僕」が現れる。相変わらず鼻持ちならない態度で、僕を静かに眺めている。
「今回は逃げたね。見事な逃げっぷりじゃないか。
でも何というか、逃げるのもどうかと思うタイミングだよね。」
「逃げては…。」
僕は二の句をつなげることができなかった。僕は…、逃げた。
「自分から、自分自身から逃げたよね。
そろそろ認めたら?」
「……ッ!」
そして僕は「僕」の言葉に反論すらできなかった。僕は僕自身が「それ」に対抗する術を知っていた。ただ、その術を使うことに恐怖していた。
「僕は…、僕は無力だ…。」
「はぁ。」
「僕」が僕に対し、大きく溜息をつく。
「ま、目下のところ、このまま落ちてあの尖った岩肌に打ちのめされたら、死ぬことは確実だと思うよ。
僕は死にたくはないんだけどなぁ。」
僕だって…、
僕だって死にたいわけじゃない。
ただ、僕の無力さに、何も成せない至らなさに僕自身が失望しているだけだ。
僕は何一つ、何一つとしてあの頃から成長していない。
「そう思っているのは自分だけだと思うけどね。成長なんてものはほら、そういうものさ。
まぁとりあえず、目下の対処だけはしておこうか。考えるのは、決めるのはそれからでも遅くはないと思うよ。」
「僕」が寂しそうな微笑みを僕に向け、そして立ち去る。
止まっていた時間が緩やかに再開する。
落下を再開した僕の身体は急降下していき、むき出しの岩肌に打ち付けられる。全身に電撃のような痛みが走る。
そしてバウンドした身体を尖った岩が貫き、骨を砕き、肉を裂いた。
その頃にはもはや痛みを通り越し、衝撃だけが脳に伝わった。
身体を打ち砕き裂ける音が、妙に鮮明に聞こえた。
『これは避けなければならない衝撃だ。』
そんな意思だけが脳を支配する。それ以外に認識するのは漆黒の闇と、時折瞬く白光のスパークだけだ。
そしてそれを最後に、僕の意識は喪失した。




