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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第3幕 廻り流され我は我と覚えず
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ピロシキを知り驟雨を知らば

 天より降り注ぐ雨が、僕らのいる東屋の屋根を叩く。その大粒の雨が、屋根を叩く音だけが周囲を支配する。

この状況下で僕は「東屋」は「四阿」とも書くんだっけ。などと下らないことを考えてしまう。

下らないことを考えるのは、僕の心臓が普段より2割ぐらい早いせいなのかもしれない。

それは単に、急な雨から逃れるために、この東屋に来るまで走ってきたから。ということだけが理由なのではない。


 僕の隣でユイ先輩が濡れた髪を、その場しのぎのように指先ですいている。

その仕草と、斜め下に落とす伏し目がちな表情があまりにも美しかった。僕はその美しさを直視出来ず、視線を雨に打たれる草木へと向けた。

草木の緑が色濃くなり、濡れた枝葉は艶やかさを増している。まるで生命そのもののベールを身に纏っているかのように、キラキラと光り輝いていた。




 いつもならどんな場所であろうとそんなことはないのだが、昨夜はどうも寝つきが悪かった。おかげで今朝は想像以上に寝坊にし、慌ててペンションのロビーへと、僕は降りた。


「おはよう、幌谷氏! そしてさらばだ幌谷氏!」


「おはようございます、部長。もう行かれるのですか?」


「あぁ、世間は私を休ませてはくれんのだよ。

 ところで幌谷氏、なかなかのラインナップではないか!」


 部長はテーブルに並べられた本のうち、僕のとある本を手に取り、笑顔を向ける。

そりゃあ、いつもとは気合が違いますからね! 「スーパー・幌谷セレクション・ストーリー」通称SHSSに隙はありませんよ! そしてその手に持っている奴は今回のリーサルウエポンですから!!


「これを借りていくよ! 帰りの道中は暇なものでな!」


「あー、えーっと、そうですか。こちらの方がお勧めではありますが…。」


「ふむ、ではそれも借りていくとしよう。

 来週には副部長を通じて返却する。

 それじゃ、達者でな!」


 ま、まさか我が戦力のナンバー1、2が一度に喪失するとは!

いや、兵に罪はない…。すべては指揮官の采配ミスが原因だ。現戦力で立ち向かえるのか!

僕は涙で部長を見送った。すまない、我が同胞よ!



「おはよう、幌谷くん。」


 振り返るとそこには、窓から指す朝の陽光をに照らされた女神が立っていた。


「お、おはようございます! ユイ先輩!」


 僕はすぐさまSHSS現戦力の隊列を整え、臨戦態勢に入る。そしてその間に素早くユイ先輩のお勧め本を探した。「敵を知り己を知らば百戦殆うからず」とは孫子の言葉! 孫子といえば兵法、兵法といえば孫子! ここは負けられない!

僕はさりげなくユイ先輩お勧めの本を手に取り、パラパラとめくる。あくまで自然に、だっ!


「ユイ先輩は今日、帰るのでしたっけ…。」


 本に目を落とした僕は、その瞬間に全ての活動が停止した…。


「うん、お昼過ぎかな。午前中は誰かの本を借りて読もうかしら?

 あ、それ。こないだ古書店でね、やっとみつけたの!」


 それはとある映画の原作であったように記憶しているが、その映画の原作にして原書、つまり洋書だった…。


「ユ、ユイ先輩はフランス語が読めるんですね…。」


「ちょっと辞書が必要になるけどね。でもその本はイタリア語。似ているよね。」


 ユイ先輩は僕のミスを流すように応え、優しく微笑んだ。

ちなみに僕はフランス語、イタリア語はおろか、英語すらあやしいレベルだ。

惨敗だ。もはやユイ先輩の笑顔に勝てる戦力は、僕にはない。



「そういえば私で最後みたいだったけど、幌谷くんは朝ごはん食べた?」


「いや、昨日の夜、食べ過ぎちゃったみたいで…。」


 僕はロビーの時計を横目で確認した。朝食の時間は終わっていた。

正直なところ昨夜はBBQを焼くことに集中し過ぎるあまり、ほとんど食べてはいなかった。

しかし! この会話の糸口は起死回生のチャンスだ!


「ユイ先輩! お昼ご飯一緒にどうですか?

 ここでもランチが食べれますけど、近くに美味しい焼き立てパンのお店があるんですよ!」


 そう、こんなこともあろうかと湖畔一体の情報は事前に収集済みだ! その中でもここは一押し!

そしてそのパン屋のお勧めはピロシキ! 具に至るまで全て自家製の、隠れた名店だ!


「そうなんだ、いいわね!

 朝ごはんが遅かったから、13時ぐらいでいいかな?

 それまでこれ、借りてくね!」


 そう言って明るく微笑むと、ユイ先輩は僕の本、SHSSランキング8位の伏兵を手に取り、階段を上がっていった。


 まさか8位の伏兵が女神を射留めるとは!

短編集であることが幸いしたのか。君の戦功は表彰ものだ! 二階級特進だ!!


 僕は3拍おいて素早く部屋に戻り、出かける準備を整えた。未だ活躍の場のない「できる男のサバイバルキット」を取り出し、入念に一つ一つの機能を確認し、そして再度リュックにしまう。

もはや失敗は許されない。掴んだ最後のチャンスは逃してはならない!

僕は約束の時間までの間、読みかけのラノベを開いては閉じ、閉じては開き、外に出て深呼吸しては部屋に戻り、部屋に戻っては外に出てペンションの外周を周回し、万全の態勢で時が過ぎるのを待っていた。

そして12時にはロビーのソファに座って、本を読んでる風を装った。


「無為に過ごすからこそ、珠玉の時間となるときもある。」とは、ピーターパンの作者で有名なジェームス・マシュー・バリー準男爵の言葉だ。そう、僕のこの何も為せない時間は決して無駄な時間などではない!

なぜなら「待っている」この時間は珠玉の時間なのだから!


 と、6回目のトイレに立とうかとその時、窓から指す昼の陽光をに照らされたその人、僕の女神が再び立っていた。


「幌谷くん、待たせちゃった?」


「いえ、部屋にいるのもなんだからここで本を読んでました。」


 そのその場しのぎのような僕の言葉に、ユイ先輩はいつもの微笑で応えた。

僕は本をリュックにしまい、エスコートするべく立ち上がる。



 目的のパン屋まで、湖畔沿いを歩きながら僕は他愛もない話を続けた。話している内容について記憶に残らないほど、先程までの待っていた時間を本当に珠玉のものとするほど、僕はユイ先輩との時間を楽しんでいた。湖畔からそよぐ風すら、僕らを祝福しているかのように感じられた。

しかし、人生はそううまくいくものではない。そんなことは知っているはずだった。


『店主怪我のため、臨時休業』


 って、そんなことあるんかーい!

「そう来ると思ってた」だと? 諸兄諸姉! そういう予想はしてはいけない! そういうのは当たるんだからっ!

くそっ! ネットにはそんな情報はなかったぞ!



「すみません、ユイ先輩…。」


「いいのいいの、湖畔の散歩も楽しかったし!

 私は帰りに何か食べるから。それより幌谷くんは大丈夫?」


「大丈夫です! 全然平気です! ユイ先輩の笑顔でお腹いっぱいです!」


 「なぁに、それ!」と言いながら、ユイ先輩は本当に明るく、とてもおかしそうに笑った。

そうだ。僕はユイ先輩の笑顔が見られれば十分だ。


「そういえばね、こないだ読んだ本がね…」


 ユイ先輩は意気消沈している僕に気を使ったのか、明るく最近読んだ本の話を始めた。

少し上向きに視線を上げて話すユイ先輩の横顔は、木洩れ日を受けて綺麗なラインを作っていた。

その優しいラインに僕の心は救われ、そして癒された。



 ペンションまでの帰り道が半分ぐらいに差し掛かったところで、何かが僕の頬に当たった。地面にポツ、ポツと丸いドットが打たれていく。

雨? 雨か? ここにきて雨なのか? 泣きっ面に蜂か? あたり目にたたりか?

僕の人生はそうだというのか?


「ユイ先輩!」


 僕は反射的にユイ先輩の手を取り、前方に見える東屋まで走り出した。遅れて雨に気が付いたユイ先輩も僕に手を引かれながら走り出す。雨は急加速で激しくなっていき、僕らを容赦なく打ち始める。

東屋に駆け込んだころには、それなりに濡れてしまった。




 「水も滴るいい男」あるいは「水も滴るいい女」という言い回しがあるが、諸兄諸姉はどう思うだろうか。本来は「みずみずしい良い〇〇」的な、美男美女に使う感じなのだろうが、僕はその「水も滴る」という表現に、艶やかで魅惑的な、直接的な美しさを見出してしまう。

例えばそう「お風呂上がりの濡れた髪」「プールから上がった瞬間の肌を伝う水」「水行をする修行僧」などがそうだ。だがそれらは、そこに至る前提があり、容易にそれが起こりうることは想像に難くない。

それらを凌駕するのが予想外の水の滴り、つまり今回のような「突然の雨に濡れる」ではなかろうか。

髪を伝い、肌を伝う雨。それは凌辱的ながらもそこに美しさを纏わせる。そして本来ならば見えるはずの無い、半透明になった衣服故に露呈する、二の腕や背中のライン。そして…、うん、この先は諸兄諸姉の個々人の想像に委ねよう。

何はともあれ、突然の雨は「祝福の雨」であることも、あるのだ!



「けっこう濡れちゃったね…。」


 その言葉に、僕はますますユイ先輩の方を向けなくなった。


「ええ…、大丈夫ですか?」


「うん。」


 僕は何かないか高速で思考した。くそっ!「できる男のサバイバルキット」に、なぜ折り畳み傘がないのだ! いや、タオルの一枚ぐらい必須じゃないか!



「こういう雨って、驟雨(しゅうう)っていうんだよ。

 にわか雨のことなんだけれども、にわか雨ってほら、そんなに激しいイメージがないじゃない?

 今は使う人がいないけど…。使われなくなった言葉って、なんか愛おしいよね。」


 雨音の間から届くその声に、恥じらいを隠すようにゆっくりと、そして静かに話すその声に僕の鼓動は早くなり、それでいてその声に乗せられた言葉の一つ一つに、僕の心は優しく満たされていった。


「そうですね…。

 本当は美しい言葉がたくさんあるのに。」


 それからの僕らは言葉を繋がなかった。ただ雨音だけが支配する世界に身を任せていた。まるでこの世に二人だけしかいないかのようだった。

こういうのを「珠玉の時間」と呼ぶのだろうか。



 やがて雨足が弱まり、徐々に陽光が取り戻されてきた。草木の枝葉に付いた雨粒が、一際輝きを増す。

珠玉の時間が終わろうとしている。そう、雨上がりが僕らの時間に区切りを告げている。


 僕からか、ユイ先輩からか、どちらかが口を開こうかといったその時、先を制して口火を切ったのは僕のスマホだった。

短い着信を知らせるバイブが、そう、まるで驟雨のように、この時間の終わりを唐突に知らせた。


 なぜこうも僕の人生は唐突なのだろうか。僕の人生はそうだというのか。

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