BCDは優雅さを忘れない(猫)
やぁ、読者諸君。
俺の名前は高橋。言うまでもないことだが、見たとおり猫だ。
そして隣で寝ているのが鈴木。言うまでもなく猫だ。
2人合わせて「ブラック・キャット・ダンディズ」、略してBCDと呼んでくれて構わない。
なに? ABCじゃないのかって?
「A」を求めてはいけないのはこの世の常識だぜ? それぐらい猫でもわかるって話さ!
さて、俺が語る前に1点だけ注意事項を述べておこうか。
読者諸君の中にはネコイズムを提唱する者もいるかもしれないな。そういう者にしてみれば、俺の語り口調にやや物足りなさを感じるはずだ。その場合は申し訳ないが、自主的に語尾に「にゃ」あるいは「にゃー」を付けていただきたい。
それでも物足りないと感じるならば、全文を「にゃー、にゃー」にしていただければよい。所詮、俺がこれから語ることは、猫の戯言であることに間違いはない。
ちなみに俺の個人的な意見だが、「にゃー」ではなく「うなーぅ」の方がよりBCDだということを付け加えておこう。
なお特別な配慮として、我々の台詞の括弧は『』としておく。
おやおや、そうこうしているうちに来客の登場だ。
「カスッ、カスッ」と微かな打突音が聞こえる。来客よ、我が城の呼び鈴は鳴らないことをご存じないのか。
ふむ、鈴木も来客の気配に気が付いたようだな。
コンコンッ コンコンコンッ
ノックに切り替えたか。残念ながら我が主様は不在だ。代わりに俺が応えようじゃないか。
『新聞なら間に合ってる。試し読みなら2部置いていき給え。あれは寝心地が良いからな。』
「ウズウズ? いないのか?」
ほほう、来客はいつぞやの青年か。主様はいないぜ?
そんなにドアを細く開けて内部の状況を伺う必要はない。なぜなら我々は主様の許可なしに、そのドアの隙間から出かけていくような、不逞の輩ではないからな。
『上がり給え。なに、主様に代わって我々が応対しようではないか。』
「えーと、田中と山田だっけか。」
まったく。名前を間違えるなど、愚かしいにもほどがあるな、青年。
しかし我々は寛大だ。それぐらいのことは許してやろうではないか。
『生憎、主様は不在でな。何用で参られたか。』
『来客とは珍しい。』
「お邪魔しまーす。」
そう言いながらも、玄関先で立ち止まり、部屋の中まで入ってはこぬのか、青年。
よろしい。それが礼儀だと言うのならば逆らうまい。玄関先まで我々が出向こうではないか。
「おー、よしよし! おやつ持ってきたぞ!
その代わりモフモフさせてくれるかな?」
『やや! この匂いは煮干しではあるまいか!』
『鈴木! そう簡単に懐柔されてはダンディが廃る!
と、いいつつ抜け駆けダッシュ!』
「ほうかほうか、うまいか!
よーしよし、また持ってくるからな!
でもあれだ…、その、何というかあれだ。
ウズウズがいないっていうのもあれだから、もう帰るな!
また来るからな!」
逃げるように帰っていった青年を見て俺は思ったよ。人間ってのは面倒くさい習性があるってな。手土産を持ってきたのだから、もう少しゆっくりしていけばいいものを。
まったく、せっかちな男だ。
『ところで高橋。我々の先祖が砂漠出身だって知っていたか。』
『すごいところから切り込んでくるな、鈴木。知らないがそれがどうした。』
『砂漠というところには水がないそうだ。我々が水を苦手とするというのも頷ける話ではないか。』
『確かにな、鈴木。』
『ところでな、高橋。煮干しというやつは水の中で生きているそうだぞ。』
『そんなわけがあるまい。水の中でどうやって息をするというのだ。
俺が思うに、煮干しはトンボの仲間だと思うぞ、鈴木よ。』
『いや、そうではないのだ高橋。間違いなくあいつらは水の中の生き物だ。
そこで気になるのだが、なぜ水の中の生き物が我々の好物なのかということだ。』
『つまりそれがトンボの仲間だという証拠ではないか、鈴木よ。』
『そこまで疑うなら今度トンボを食べてみようではないか、高橋よ。』
『もちろんだ、鈴木。我々BCDは疑問即解明が信条だ。』
やれやれ。空を飛ぶ奴らはごまんと見たことがあるが、水の中を飛ぶ奴がいるわけがない。知識ってのは時に厄介なものだ。我々を導きもするが足止めもする。
おっと、そうこうしているうちに主様のご帰還だ。俺ぐらいになると足音はしなくても気配でわかるのさ。
『おかえり、我が主様よ。』
「ただいま、高橋。 …、誰か来たの?」
『おかえり主様。いつぞやの青年だよ。』
「ただいま、鈴木。青年て?」
『あぁ、こないだ道中で会って一緒に帰還したではないか。』
『青年が煮干しを持ってきたぞ。もうないがな。』
「そっか。」
『ところで主様よ。煮干しは何の仲間だ。』
『トンボの仲間だと推測しているのだが。』
「…。昆布と鰹節。」
『!』『!!』
「2~3日、家を空けるから。」
昆布というやつは知らないが鰹節というやつは知っている。あいつも美味い。だがあいつが飛べるとは到底思えないのだがな。やはり知識は厄介だ。
我が主様が大きなキャリーケースをゴロゴロと引っ張り出す。鈴木が早くもそのキャリーケースを踏み台にして主様の背中に乗る。やれやれ、足止めをされているのは俺だけか。
俺は優雅に主様の背中に飛び乗った。優雅さを忘れてはダンディが廃るというものだ。
久々の外は日差しこそ弱いのが救いだったが、相変わらず暑い。次から次へと移り変わる匂いが、どれも夏の香りを纏っていた。
通りですれ違う人々に、どこかせわしなさを感じる。誰もがスマホを手にし、何かをしながら歩いている。
もう少しゆっくり生きていけばいいものを。
公園の前を通り過ぎ、路地裏へと主様が曲がる。キャリーケースのタイヤの音だけが、路地裏の壁の間にこだましている。
路地裏を抜けたところに、一台のタクシーが静かに停まった。ハンチング帽を被った運転手が降りてくる。やや、久しぶりだなハンチング。元気そうでなによりだ。
ハンチングはトランクを開け、キャリーケースを積み込む。積み込む際に「重っ。」と小さく呟いた。
主様と共にそのタクシーへと乗り込む。ふむ、涼しくてなかなか快適ではないか。早速、鈴木が傍らで寝始めた。どれどれ、俺は助手席にでも移動しようか。
タクシーは停まった時と同じように静かに走り出す。
「キャリーケースの中身は使用済ナイフですか。」
「全部使った。」
「わかりました、メンテしときます。
新しいナイフと旅道具一式、行き先の情報は次の車にあります。他に必要な物はありますか?」
『ハンチング、我々の食事はどうなっている。』
「特にない。高橋と鈴木に鰹節。」
「わかりました。
彼等はいつものところで面倒みます。」
『俺は昆布という奴でも構わんがな。』
「社長からの伝言です。
××会の残党はあらかた片付きました。娘さんの警護はもう大丈夫だろうとのことです。
あとは我々の方でやっておきます。
息子さんの方は別件ですが、引き続きよろしく頼むと。
…。まぁ警護はないとはいえ、たまに店に顔を出してやってください。
個人的な意見ですが。」
「ん。」
『おっと、主様はお疲れだ。そろそろ話は終わりにするんだな、ハンチング。』
その後、ハンチングの運転するタクシーは街外れまで走り、主様はそこで別の車に乗り換えて郊外へと旅立った。ハンチングがタクシーに迎車の大きな札をフロントに置く。
しばらくの間、我々は無言だったが、ハンチングが前方を見据えながら口を開いた。
「なぁ、爪を切ってやろうか? こう見えてもそういうのは得意なんだぜ。」
『冗談はやめておくんだな、ハンチング。』
「そうかそうか、戻ったら切ってやる。」
やれやれ、まず我々の言葉を理解するところから始めたらどうだ、ハンチング。
鋭い爪はダンディの嗜みだ。断固、切られるわけにはいかないのだ。
これは別宅に着いたら、即ソファーの下に退避だな。
ふむ、鈴木も寝てるように見せかけて耳がこちらを向いている。しっかり情報をキャッチしているようだ。これぞBCD、我々に抜かりはない。
さて、この辺で俺が語るのは終わりにしておこうか。
読者諸君、またいつかお会いしよう。その時に我々の言葉がわからなかったとしても、好きなように解釈して読み進めるといい。所詮、今回の話は猫の戯言に過ぎないのだからな。