大自然に抱かれよこしあん
見よ! 眼前に広がる澄み渡り雄大でありながら静かなる湖! 遠くに連なるは緑豊かな山々! そして僕の周囲に溢れる森の木々と鳥のさえずり! 素晴らし過ぎる!
日常の世界から離れ…、
ん、まぁ最近の僕の生活は非日常的だが…、
何はともあれ日常も非日常もひっくるめて、現実社会から離れ、この豊かな大自然に身を埋めようではないか!
「スーーーーーッ
僕は全身を使って、森の息吹を体内へと取り込んだ。
ハーーーーーッ」
そして体内の全ての毒素を吐き出すかのように、息を最後まで吐いた。
うん、この大自然なら僕の毒素など、いとも簡単に浄化してくれるに違いない!
けっして環境破壊ではない!
ありがとう! 森の妖精達よ!
僕を浄化してくれたまえ!
あはははははは!!
僕は数回、深呼吸を繰り返した。
ここまでの道中は、ちょっとしたトラブル、ちょっとした手違いがあったかもしれないが、無事にたどり着くことができた。
僕は目的たるペンションへ向けて、森林の中を歩む。
道の傍らには花が咲き、蝶が舞う。
クマこそいらないが、シカやウサギでも現れそうな勢いではないか。
「ある〜日、森の中〜♪」
そう脳内で定番の歌が流れた瞬間に、何か二体の影が僕の前を左から右へと横切り、森の中へと消えていった。
「ウズウズに〜、出会った〜♪」
ん? なんだ?
その直後、猪的な生物、そして人影が右から左へと横切る。
「花咲く森の道〜、ウズウズに出会った〜♪」
いやいやいやいや、そんなバカなはずはない! ここは日常、非日常を超えた大自然の中ではないか!
確かに見覚えのある猫背と眼鏡だったような気がするが、ウズウズがそんなに早く動くはずがない!
あぁ、赤いエプロンと三角巾をしていたようだし、きっと現代版の赤ずきんちゃんだな!
うん、そうだよ。きっとそうに違いな!。
大自然だしな!
僕は今しがた視界に入ったものを否定し、足早に先へ先へと向かった。
湖畔沿いの森の小道を抜けると、そこには白くなかなか趣きのあるペンションが姿を現す。
ペンション前の木陰には、もうすでに本を読む諸先輩方の姿が見える。ユイ先輩…は、まだ来ていないのだろうか。
テラスのベンチにいるのは副部長か。
横には読みかけらしき本が数冊、栞を挟まれて積んである。相変わらず同時進行で読んでいるらしい。
僕が軽く挨拶をすると、本から目をあげる代わりに片手を上げ、ジェスチャーで応える。
僕はそのままペンションに入り、小さなフロントへと向かう。フロントの前には大きな三曲屏風が飾られている。そこには書が認められていたが、あまりに達筆なその書は普通の人には読めないだろう。
そこには
「湖風が さらは〜り すらは〜り 運ぶ 私しをあの空へ」
と認められている。
そう、賢明な諸兄諸姉ならばお察しのように、この屏風の書は2年前に我が「オノマトペ研究会」部長が、現地で突発的に認めて寄贈したものだ。
お陰でこの合宿で出される食後のデザートのグレードが、通常の2割増しになっているという話だ。その真偽はわからないが、毎夜フルーツ盛りが出てくるのは、単に常連の顧客というだけではないのかもしれない。
僕は前払いの宿泊料金を支払い、簡単な連絡先等を受付カードに記入し、改めてその屏風の書を鑑賞する。うーむ、やはり知らされていても読むことはできないな。勢いの凄さだけはわかるのだが。
その屏風の後ろを赤いエプロンと三角巾が、黒い物体を引っ提げながら通り過ぎる。
うーむ、僕は疲れているのだろうか。道中、無駄にテンションが高くなっていたし、見間違いだろう…。
先程見かけたウズウズ、いや現代版赤ずきんちゃんが、ここにいるはずが無いではないか。
そうだよ! そんなの瞬間移動級な上に、猪的な生物を短時間で狩れるわけがないぢゃないか! 赤ずきんちゃんは健気な少女ぢゃないか!
僕は踵を返し、足早にその場を離れ向かいのロビーへと向かった。
ロビーにある大きなテーブルには、早くも10数冊の本が並べられている。本と一緒に飾られたポップから見るに、半分は副部長のか。
よしよし、僕が用意した本とは被っていないな!
僕は厳かにスーパー・幌谷セレクション・ストーリー、通称SHSS達を4冊並べ、渾身のポップを重ねた。
「あれ? 10冊用意してなかったっけ?」と諸兄諸姉は仰ることだろう! だが今回は小出しで行く! 本作戦は「小出しで出して、グレードの高い作品が次々に!」作戦だ! 「能ある幌谷は小出しで行く!」作戦だ!
僕はゆっくりと後ろを振り返る。よし、赤ずきんちゃんなど、いないな。
僕は静かに、だが素早く部屋へと向かった。とりあえずこの重たいリュックを下ろさねばなるまい。
部屋に入って一息つき、着替えをベッドに並べ、小さなテーブルの上に残りのSHSS達を積み上げる。次のSHSSの出撃順は、他の戦力を見て決めることにしよう。当然、一押し作品は最後だが、遅く出しすぎて時機を失しては本末転倒だ。
あぁ。ユイ先輩はどんな本を出すのだろうか。
僕は本作戦に不参加の読みかけのラノベだけリュックに戻す。「できる男のサバイバルキット」がそれなりの重さだったが、持ち歩かないことには意味をなさない気がしてリュックに入れたままにし、リュックを背負って部屋を後にする。
外は変わらず、世間から切り取られたかのように静かな空気が流れていた。
「みんなお昼ご飯食べてから来るんですかね。」
僕はちょっと憚られたが、独り言でも呟くように副部長に声をかけた。
「好きなの食べていいよ。」
副部長は本からチラッとだけ視線を上げ、僕にコンビニ袋を差し出した。
中には「つぶあん」と大きく書かれたアンパンと、「こしあん」と大きく書かれたアンパンがそれぞれ二つ入っていた。「お昼一緒に食べましょうよ」とか、ましてや「お腹が空きました」といった意味で声をかけたわけではなかったのだが、僕は「こしあん」を一つ頂いた。
「いただきます。」
テラスにあるテーブル席に腰を下ろし、僕はアンパンをかじりながら読みかけのラノベを開く。
心地よく程よい風が吹き、日陰だとそんなに暑さは気にならない。
その後、部員たちがポツラポツラと到着した。そのたびに僕はついつい顔を上げて誰が来たのか確認してしまったが、それでも穏やかに午後の時間が流れていた。なんだか久々に緩やかな時間を過ごしているような気がした。
いつの間にか夕方近くになり、気が付けばペンションの窓から漏れる光で本を読んでいた。
「おー、我が同士、副部長ー! そして幌谷氏!」
副部長が片手をあげてジェスチャーで応える。
「部長! お疲れ様です。来られたんですね。それにユイ先輩も!」
「うむ、明日には帰らねばならないが、最後だしな!」
「私は最初から参加する予定だったけど?」
ユイ先輩がちょっと拗ねたふりして答える。なんとキュートか!
僕は心の動揺を悟られまいと、部長に視線を向けなおした。
「だからスーツなんですね。似合ってると思います。」
「最近になってやっと着慣れてきたよ。ハハハ!」
お世辞っぽくなってしまったが、部長のラフな服装しか記憶にない僕は、その姿が新鮮だった。
うーむ、女性のタイトスカートスーツ姿の評価を上げねばなるまい! これほどまでに女性の魅力を引き出すラインどりだったとは! 「馬子にも衣裳」とはこのことか!
こうして僕の「オノマトペ研究会合宿」が幕を開けたのだった。
しかし、オノマトペ研究会合宿が行われるこのペンションを舞台に血塗られた惨劇が起こることを、僕はこの時、まだ知ることはなかった。




