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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第3幕 廻り流され我は我と覚えず
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長ネギ・デスロック

 僕は長ネギを刻んでいた。けっして広いとは言えないキッチンで、けっして広いとは言えないシンクの横のスペースで、そしてけっして大きいとは言えない黄色いスクエアのまな板の上で、長ネギはその長さの半分以上をまな板からはみ出させながら、僕に刻まれていた。

白いその素肌と緑色に変わっていく美しいグラデーションを輝かせながら刻まれていた。


 擬人化。ときに諸兄諸姉は、擬人化というものについて、どういう見解をお持ちであろうか。

古くは古代ギリシャにおける擬人法から始まり、いわゆる比喩表現として我々の心情を代弁する形で用いられ、その歴史は深く長い。

また日本においても鳥獣戯画に代表されるように、擬人化は古くから用いられてきた表現方法の一つである。「八百万の神」や「妖怪大百科」を見てわかる通り、動物にとどまらず無機物や現象まで擬人化してしまう我々の先祖なのだから、その子孫たる我々にとって擬人化とは、大変なじみ深く、そしてごく当然のように身近な存在なのではないだろうか。

そういう見解からすれば、あらゆる身近な存在を萌え擬人化し、親しみを込め、愛でることはなんら不可思議なことはない。


 そうだ! 我々のこの灰色の世界に、カラフルな彩を添える萌え擬人化を、脳内に展開しようではないか!


 というわけで独断的な脳内宣言により、僕は長ネギを擬人化してとらえた。

擬人化された僕の長ネギは、僕にその美しい四肢をゆだねている。「刻む」という行為は、残虐性や蹂躙、百歩譲っても狂気なまでの愛情表現としか受け止められないかもしれない。

だが僕はきっとそこに愛情を注いでいて、深く求めていて、愛おしい思いで長ネギを刻んでいるはずだ。

そう、これは僕の体内へと取り込むための、避けられない通過地点であり、それ故に神聖な儀式なのだ。

「長ネギを刻む」ということは。




 そうして僕は、未だ長ネギを刻んでいる。

隣では鍋がぐつぐつと沸騰のピークを迎えていたが、僕はまだ麺を投入する準備が整っていない。そう、まだ長ネギを刻み続けなくてはならない。


 確かに、今日、今現在、使う分の長ネギは刻み終わっている。だが僕はまだ長ネギを刻み続けなくてはならない。

僕は二体目の長ネギ姫をまな板にセットする。そして刻み始める。

三体目の長ネギ娘、四体目の長ネギ婦人。僕は長ネギを刻み続ける。隣では僕を急かすようにグツラグツラと、鍋がただのお湯を沸騰させている。長ネギの新鮮な香りが鼻腔へと漂う。

もしかしたら長ネギじゃなくてもジャガイモでもカボチャでもいいのかもしれない。いや、違う。長ネギの軽快さと美しさが必要なはずだ。

もしかしたらキャベツでもホウレンソウでもいいのかもしれない。いや、違う。長ネギの香りと指触りが必要なはずだ。


 僕は冷蔵庫から二束目を取り出す。あぁ、この束を刻み終わった時には、僕は次のステップへと踏み出さねばならないのか。

単純作業は精神の安定をもたらす。その単純作業は強制的であってはならない。特別重要な行為ではなく、それでいて全くの無意味な行為であってはならない。


 いつだかに副部長、僕の所属する「オノマトペ研究会」副部長から勧められた短編集を思い出す。あの短編集はとてもいい作品だった。その後、その作家の本を数冊、立て続けに読んだことを記憶している。きっとその作家の作品は、僕の中の何かを揺さぶるものがあったのだろう。

その短編の一つに出てくる主人公は、自身に「突如襲い掛かる、根拠なき言い知れぬ孤独感」と向き合うために、あるいはそれを埋めるために、もしくはそれに抗うために長ネギを刻んでいた。



 僕は今、孤独なのだろうか。孤独感だけが先行して現れているような気がする。

誰ともつながっていないわけではない。むしろ、つながりが急速に増え続けている。きっとその急速さが僕を孤独にしているのかもしれない。僕のあずかり知らぬところで御伽噺が進んでいるのは確かだ。

「我々はみな真理のために闘っている。 だから孤独なのだ。 寂しいのだ。 しかし、だから強くなれるのだ。」とは、近代演劇の父、ヘンリック・イプセンの言葉だ。

真理のために闘っているというほど崇高では、僕はない。

だが真理、真実。この御伽噺の答えを僕は知りたいと思う。


 僕はどうすれば良いのだろう。何を見つめれば良いのだろう。


 全く答えが出ないままに、二束目の長ネギを切り刻み終える。刻まれた長ネギを小分けにしながら冷蔵、冷凍保存の準備をする。ここ最近の「冷やし〇〇麺」といった食生活事情から考えれば、この刻まれた「長ネギレディ」達はあっという間に消費されることだろう。願わくばこの「長ネギレディ」達を使って、僕に麻婆豆腐炒飯を作ってくれる美少女が現れてくれないものだろうか。


 うん、それはない。




「にぃちゃん。相変わらずにぃちゃんちは暑いね。」


 ベランダの網戸がカラカラと開き、ニコナが訪問して開口一番に呟いた。もはやニコナにとってベランダが彼女の玄関なのだろうか。変なところで行儀正しく、靴をベランダに揃えているのが見える。学校は夏休期間中ではないのか。何故に制服なのだ。



「あぁ、お湯を沸かしていたしな。

 昼ご飯は食べたのか? これから冷やし温玉うどんを作るところなんだが。」


「ううん、まだ。

 食べたい。」


「オケー。具は温玉と長ネギだけだけどな。」


 僕は二人分の讃岐うどんを鍋に投入し、温玉を作るべくレンジに卵をセットし、シンクにザルを用意した。ニコナは定位置かのようにソファーの前の床に座る。

しばらくの無言な空間が続いたが、そこに居心地の悪さは感じなかった。


 僕は二人分の麦茶をテーブルに置き、続けて丼ぶりと箸を持ってテーブルに置く。


「「いただきます。」」


 特別、合わせようとしたわけではないが、二人同時に宣言し、そのあとは無言で冷やし温玉うどんを食べ始める。ズ、ズズッ、ズズズ。うどんをすする音だけが響く。

ニコナの箸の使い方は意外にも、意外だと先入観を持っていたことは失礼かもしれないが、意外にも正しく美しかった。そう考えると僕は「食べ方、箸の使い方、姿勢」などで人を判断している節があるかもしれない。彼女の食べ方はどことなく可愛く美しかった。



 うどん終盤に差し掛かり、僕は一息ついて口を開いた。


「なぁニコナ。ニコナはその、桃太郎、桃太郎の犬だってことに抵抗はないのか。

 その、なんで犬なんだよ! とか。」


 ズズズ。


「うーん。あまりないかな。まぁそうかって感じ。」


 ズズッ。


「そんなものか。」


「あたし、考えてもわからないことは考えるのやめるから。

 とりあえずやってみればわかるかなって。」


 なるほどな。進めば見える風景も変わる。動いてみるってことなのだろうか。



「僕が思うに、名探偵〇〇とか、〇〇少年の事件簿とかって、最大のミステリーを無視している気がするんだ。」


ズズッ、ズズズ。


「それは殺人事件との遭遇率だ。一般人があんなに殺人事件に遭遇していたら普通は発狂レベルだと思う。

 もしやこの事件の遭遇率の高さは僕に原因があるんじゃないかってな。」


 食べ終えたニコナを追いかけるように、僕は丼ぶりを持ち上げ、一気に残りを喉に流し込む。


「どうゆうこと?」


「僕の周りで鬼が発生しすぎじゃないか?

 それとも僕があずかり知らぬだけで、日本全国で鬼の発生は頻発しているのか?」


「うーん、だから桃太郎なんじゃないの?

 わかんないけど。」


「そうだよなぁ。わかるわけないよなぁ。」


 僕は食べ終えた丼ぶりをテーブルに置き、床に倒れこむ。ニコナは礼儀正しく合掌し、頭を下げる。


「ごちそうさまでした。」


「おそまつさまでした。」


 ニコナが二人分の丼ぶりを持ってシンクへと下げに立った。



「ねぇ、にぃちゃん。明日からヒマ?」


「明後日からサークルの合宿で某湖畔に行くよ。」


「いいなぁ! 連れてって!」


「いやいや、合宿だから!」


「山とかでしょ? 熊とかいるんでしょ?」


「熊? いるかもしれないが、熊に何か用なのか?」


「熊と一戦、交わえるじゃん!」


「交わらないよ! 一般的に!

 ただでさえ鬼と交戦中だろ! 日常的に!」


「熊は別腹だよ!」


「いやいや、熊はデザートかよ!

 そもそも合宿に中学生同伴はないから。」


「けちだ。」


「どういう了見だよ!」


 それからニコナは、何か思案に耽るように窓の外に視線を向け、しばらく沈黙した。

僕は床に寝ころびながらその横顔を斜め下から見上げていた。美しい顎のラインが美しい曲線の影を落としている。



「ずるい。」


 ニコナはおもむろに振り返ると、僕の右脚を手に取った。


「ずるい、ずるい、ずるい。」


 続いて左脚を右脚に重ねる。


「一人で遊びに行くなんて、ずるい!」


 組み重ねられた僕の脚の間には、ニコナの脚が伸びている…。立った状態から…だと?



 おーっと! これはインディアン・デスローック!

仰向けに倒れている僕の両脚を極めての、向かい合う形でのインディアン・デスロック!

そう、うつ伏せで極められるのは正式にはリバース・インディアン・デスロック!

つまりこれが正当な形だーっ!


「痛い痛い痛い!

 なにこれ? 脚折れるって!

 密着度最小限で、なに見下ろしちゃってんの?

 なになに、下卑されてる感、半端ないな、これ!

 痛い痛いっ! 折れるってー!!」


 度々の拷問から諸兄諸姉は僕をドMだと思っているかもしれないが、僕はMではない!

まったくない!

確かに僕の股付近から伸び上がるように立ち上がる制服中学生女子を見つめるのは、景観的に悪くはないのかもしれないが、そこに痛みは必要ない!

しかもニコナ、いつもと違ってその表情には、ちょっと苛立ちが含まれていないか?



「用事が出来たから出かけるっ!」


 ニコナはロック解除し、スタスタとベランダへ向かい、文字通り飛び立った。


 シンプルなのに肉体4精神6の割合でダメージを与える、恐ろしいインディアン・デスロック。

そこから解放された僕は、しばし床に寝転び続けた。


 辺りは静寂さが取り戻されている。

ほのかに長ネギの香りがまだ漂っている。


 僕は複雑に考え過ぎているのだろうか。

もっと事態はシンプルなのだろうか。

僕は長ネギの残り香に包まれながら、漠然とそう考えた。

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