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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第3幕 廻り流され我は我と覚えず
33/205

白昼堂々とパックマン

「いみじうあはれにをかしけれ。」


 「野分のまたの日」、つまり台風の次の日にそう言い放ったのは清少納言だったか。

おいおい、そいつは客観的立場にあるから「しもじみ」と「趣が」あり「面白い」のではないのか。

台風のさなかに放り込まれたとあっては、「しみじみ」としている余裕も「趣」を感じるゆとりも、まして「面白い」などと思えるわけが、あるわけがないじゃないか。


 などと、僕は急に頭の中を駆け巡った枕草子のある冒頭について悪態をついた。

こういう火急の事態にあって、何の脈略も意味もないキーワードが頭の中を駆け巡るなどということは、賢明なる諸兄諸姉にいたっても、一度や二度あることだろう。


 僕は高校の古典担当だったチカチャン先生を思い出す。若い女の先生で、特別目を引くような可愛さだとか、あるいは高校生男子を悶々とさせるような素晴らしいボディの持ち主だとかいうタイプの先生ではなかったが、物静かでそれでいて気さくな彼女は、男女問わず生徒に好かれていたように思う。

ある日の職員室で、用件が何だったのかは忘れたが、チカチャン先生と話していた時に、傍らで偉そうな態度で新聞を読んでいた某男性教諭が僕を一瞥し「ちゃんとだらしない服装を注意しないから、なめられんじゃねぇのか?」とチカチャン先生に言い放ってその場を立ち去った。チカチャン先生はうつむき加減で小さく「すみません…。」と返した。

確かに僕は褒められたいでたちではなかったが「だったらお前が俺を注意すればいいだけの話だろ!」と怒りを覚えつつ、チカチャン先生に申し訳なく思った。


「ごめん、先生。俺のせいで。」


「うん、大丈夫だよ。」


 チカチャン先生は少し悲しみを携えた微笑で僕の言葉に答えた。その表情が脳裏によみがえる。


 それ以来、僕はチカチャン先生に面白い本を教えてもらい、読書に耽っていった気がする。

本を読むことが罪滅ぼしでもないし、僕の生活態度やいでたちを正すこととは何も関係がないのはわかっていたが、少なくとも僕の行動で「風吹けば桶屋が儲かる」的な、バタフライ効果的な悲しみは生み出したくはなかった。



「かかってこいやーっ! このハゲ先公がっ!

 台風はあわれもおかしくも無いんだよ!!」


 そこにいる鬼は、あの某男性教諭でもないし、禿げてもいないし似ても似つかない「ジョガー風」の男だったが、僕は自身を怒りで鼓舞するかのように怒声を上げた。


「それで、ミスミちゃん! 次はどうすれば!」


 しかし、僕のスマホから雫ミスミの返答はない。

横目で画面を確認すると通話が終了していた。この言い知れぬ怒りを、ぶつけどころ、いやぶつけようの無い怒りどうしろというのだ!


「……。ハゲは言い過ぎた! 君は禿げていない!

 そしてかかってこなくていいっ!」



 「ジョガー鬼」は、ジョガー鬼らしからぬゆっくりとした歩みで僕の方へと一直線に向かってくる。

これは追い詰められている状況なのか?

僕はスマホを片手に持ったまま今一度、僕の周りの地形を確認する。イメージ的には巨大な碁盤の線の上にいるようなものか。さしずめ碁石は僕とジョガー鬼か。掘り返された穴やコンクリートブロックが点在しているから、うまく逃げれば直線的には追いかけにくいのではないか。

僕は横へと移動し、ジャンプしながら鬼との距離を取る。


「お前、に、僕が何を、したっ! いや、僕に何の、用が、あるっ!」


 その問いにジョガー鬼は答えない。対角線上にいる鬼を見る。

今まで遭遇した鬼と比べると小柄な方だったが、筋肉が必要以上に隆起し、己の破壊衝動を誇示しているかのようだった。特別「走ってきたから」という感じではなく、小さいボディに大型のエンジンを積んでいるかのように、肩で大きく唸るように呼吸をしている。あれでアイドリング状態かよ。

先程まで光の加減で見えなかった鬼の表情がわかる。今までの鬼と違い、その表情に怒りは感じない。いや怒りだけではない。感情が欠落しているような無感情さがそこにはあった。だがそれが狂気的な何かを感じさせ、僕の背筋に恐怖を走らせる。肌の色は赤くなく角が見えないことから、辛うじて半鬼化だろうと推測する。


 立ち止まっている場合ではない。直線状に並べば瞬く間に距離が縮められそうだ。常に角を曲がりながら終わりなきパックマン、「パワーエサ」無き逃げ続けるだけのリアルパックマンの開始だ。

コンクリートブロックの死角を利用しながら、僕はグルグルと逃げ続けた。ゲームクリアはどこにあるというのだ。心なしか鬼の移動速度が徐々に上がっているような気がする。



 僕のスマホが鳴り、着信を知らせる。


「で、どうしろと!」


「ごめんなさい。」


 僕の声に対し、反射的に謝ったであろうその声は雫ミスミではなく、姉だった…。


「いやいや、いやーっ、こっちの話! どう、したの? 姉ちゃん!」


「はーちゃん、今忙しいの? 息が荒いけど…

 もしかしてはーちゃん! 私のはーちゃんが、そんなっ! 今どこなのっ?」


「外だよ、外!」


「外で! 白昼堂々と!

 晴天の空の下、真夏の太陽を浴びながらだなんて…。そんな、そんなの!

 「ははは、君の四肢を伝う汗が、ほら。太陽さんの光を浴びて輝いているよ!」

 「やめて! こんな明るい下でだなんて…、恥ずかしいわ!」

 「何を言っているんだい、まるでダイヤの輝きが君を包んでいるようじゃないか!

  その白い肌の美しさが一層際立ってるよ!」

 だなんて! そんなのお姉ちゃん、イヤーッ!」


「イヤーッ、じゃなくって、いやいやいや、そんなわけないじゃん!

 違うよ、ジョギング! 最近、体力の低下が著しいなぁって、

 ちょっと健康志向で、ジョギング、してるんだよ!」


 僕は走り、跳び、鬼を確認しながら、姉のあらぬ方向の誤解を解くべく言い訳をする。

この状況は、あながちジョギングと言えなくもないだろう! ましてや僕が相手してるのはパックマンモンスター! こんがりと焼けた肌の筋肉流々とした、男の鬼だ!


「……、本当なの? 白昼堂々じゃないの?」


「白昼堂々と走ってるだけ! ちょっと障害物の多い所で!」


「白い肌の若い未亡人はいないの?」


「いないいない! いるわけないよ!」


 角を曲がる際に突き出た鉄筋にスマホを持った左腕を引っ掛け、危うく声が出そうになったが、ぐっと堪える。ここで変な声を出しては益々誤解される!



「きっと、ジョギングによって、引き締まった腹筋を近々、姉ちゃんに披露できる、ことと思うよ!

 それより、どうしたのさ、姉ちゃん!」


「ごめんなさい、私としたことが。てへ!

 実はね、今日いつものスーパーが特売日で、スイカが安いの。」


「いいねぇ、いい! 夏はスイカだよね! 一緒に食べよう!」


「本当? それじゃあ二玉お願いね!」


「オーケーオーケー! スイカ二玉買って、上腕筋も鍛えながら帰るよ!」


 スイカ二玉とは。一人一玉換算なのか? いや、ここはツッコミを入れてる場合ではない。


「んじゃ、スーパーまでダッシュするから! 電話切るね!」



 現実にはすでにダッシュ気味だったが、電話しながら逃げ続け、あらぬ誤解を解くことに集中したあまり、ジョガー鬼との距離が短くなっていた。僕は起死回生のチャンスを狙うべく、穴を横切るように置かれた木の板を足場にジャンプし、ショートカットする。続けてジョガー鬼も木の板に飛び乗る。だが、ジョガー鬼の見た目通りのウェイトと破壊的な脚力により木の板は折れ、穴に落下するのを横目に捉えた。



 よし、これで少しまた時間と距離が稼げる。



 そう思いながら僕は振り返り、鬼を確認しようとした。

が、鬼は割れた板や穴などものともせず、僕の眼前へと跳躍して迫り、ショルダータックルで僕の胸部を強打した。


「うがぁっ!」


 水平に数メートル吹き飛ばされ、今度は背面に衝撃が走る。コンクリートブロックに激突したのだろう。幸い鉄筋には刺さらなかったようだが、僕の肺にある空気は強制的に追い出され、自分の声とは思えない叫びが一気に排出される。


「ガハッ…グッグゥゥゥゥ…」


 血の味が口の中に広がる。肋骨が折れ、肺が潰されたのがわかる。激痛の果て痛覚は遮断され、焼けるような熱さが全身を、そして脳内を支配する。

それなのに視野はいやにクリアで、ジョガー鬼がタックル後の体勢から、再び跳躍する態勢へと変えていくところが見えた。



 「そういえばパックマンにはフルーツターゲットと呼ばれるボーナス得点のアイテムがあったっけ。

でもスイカはなかったような気がするな。これから二玉出現するはずなんだけど。」


 などということを、僕は頭のなかで考えた。

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