アディショナルタイムは濃厚に
鬼が己の強さを誇示するように両手を大きく上方に構え、吠える。
その咆哮を合図にするかのように、鬼、ニコナ、ウズウズの3人が同時に動き出す。
鬼の攻撃は単調で「ただひたすら殴り続ける」といったものだったが、その攻撃速度は速く、重く、まともに食らったならば一発で沈められるだろう。インパクトの度に外れた攻撃が地面を叩き、砂が爆ぜる。狙いはニコナに絞っているようだった。ニコナは身を翻しながらインアウトを繰り返し、手首や頸椎、関節に蹴りを入れながら一定の距離間で後退する。それを追いかけるように、ウズウズは絶えず鬼の死角に回り込み、腱や筋を狙い切り込む。
だが、鬼は二人の攻撃をものともしていなかった。まるでそんな攻撃は無いかのように、ただひたすらに殴り続けている。ニコナが躱し切れずに掌底で横から弾き、軌道を反らすがその勢いで自身が弾き飛ぶ。
しかしそのわずかな隙をウズウズは見逃さなかった。鬼の背面を滑るように飛びあがると、両側からダガーナイフを首元へ滑り込ませ、頸動脈を一気に切り裂きにいく。
が、あらかじめウズウズのその動きがわかっていたかのように、鬼はニコナに弾かれた拳を大きくスイングさせ、180度上体を回転させながら振り向きざまに、その拳をウズウズの頭部へと叩き込む。
激しい打撃で、一瞬ウズウズの頭部が吹き飛んだかに見えたが、とっさにウズウズは両ナイフでガードし、さらに鬼の体を蹴りこみながら自らの上体を浮かし打撃の威力を軽減する。しかしその勢いでウズウズが吹っ飛んでいく。大きく距離を取ったニコナとウズウズの攻撃が途絶える。
鬼は振り返ると同時に僕に向かって突進してきた。本命の狙いは僕だったのか。
「ぬあぁぁぁぁっ!!」
僕はとっさに持っていた鉄パイプを振り上げ、突進してきた鬼に向かって投げつける。当然、僕なんかが投げた鉄パイプなどは容易に弾かれる。目的を失った鉄パイプが回転しながら上空へと舞った。おいおい、君。ナイスセーブじゃないか。
僕は思わず後ずさりしたが、砂に足を取られて背後に倒れる。
飛び退いていたウズウズが大きく半円を描くように走り込み、サイドへと上がっていくのが視界に入った。いつの間に回収していたのだろうか、間髪入れずに素早く起し金を投擲する。だがそれは、鬼に当たる軌道ではなかった。僕と鬼の間を起し金が回転しながら通過していく。
あぁ、なんて美しい回転体だ。縦回転ではなくスクリューとは。こいつはスカイフィッシュか。
目の前を通過する起し金が太陽の光を反射し、鬼の視界を一瞬奪う。
回転しながら落ちてきた鉄パイプが視界に入る。
逆サイドから突如、飛び込んでくる影が見える。
僕の上空へと飛び込んできたニコナが、鉄パイプの端を蹴り入れ、鉄パイプを鬼の心臓、鬼門へと向かって突き刺した。
その光景はまるで、アディショナルタイム残り数秒となったところでゴールネットを突き刺す、味方のシュートを僕に想像せた。
ウズウズが側転宙返りで鬼の頭頂部へと飛び上がり、両肩へとダガーナイフを突き刺し腕の動きを封じる。間髪入れずニコナが突き刺さった鉄パイプに、さらに崩拳を叩き込んだ。
鬼の身体を鉄パイプが突き抜け、背中から血の代わりに黒い霧のようなもの、瘴気が吹き出し霧散する。鬼は断末魔の代わりに激しく歯ぎしりをすると、大きな音を立て倒れ、地面に伏した。
その歯ぎしり、声にならない声は、怒りや憎しみのそれではなく、悲しい声のようだった。
動かなくなった鬼を見下ろしていたウズウズだったが、やがて興味を失ったかのように振り返り、ダガーナイフを背中の鞘に戻すと、砂浜に転がっていた起し金を拾い、海の家の方へと歩き出す。
「ウズウズ…、帰るのか?」
「…起し金返す。お金もらって帰る。」
武器に使っていた起し金は借り物かよ! そいつの強度も気になるけど、切れ味は抜群か!
けっこう××を切り刻んでいたけど…、あれを返すのか。いや、僕は見なかったことにしよう。
「そっか。ありがとうな、助かった。」
とぼとぼと立ち去るウズウズの背中に声をかける。背中に装備したダガーナイフが目立っているような気がしたが、大丈夫なんだろうか。
倒れた鬼の全身が黒い霧に変化していき、蒸発するように消滅していく。
僕の傍らにしゃがみこみ、その様子を見ていたニコナに声をかけた。
「行こうニコナ。友達も心配だしな。」
「うん、そうだね。」
ニコナはまるでスポーツ後でもあるかのように、爽やかな笑顔で振り返った。
その笑顔に、僕は脳みその奥がチリチリと痺れる感覚を覚えた。日常が日常で無くなり、それが日常になっていくような感覚。
こんな大騒動が起こっていたのに、どういうわけか辺りの騒がしさは少ない。半鬼化から解放されて倒れている者どもは、ライフガードの集団に担架で次々と搬送されていく。
僕らはいそいそとその場から立ち去り駐車場を目指した。こんな場所を歩いているのだから誰かに呼び止められそうなものだが、誰にも気に留められなかった。
立入禁止の黄色いテープをくぐりぬけると、そこは何もなかったような、当たり前の夏の風景だった。
「あ! にこなー! 遅いよぅ。
はい、にこなとお兄さんの分!」
ヒヨリンちゃんがアイスを僕とニコナに突き出す。
「荷物は海の監視員の方々が運んでくれました。
酔っ払い同士の喧嘩だなんて、大人げないですよね。
お兄さん、大丈夫でした?」
え? 酔っ払いの喧嘩? あれはそんなレベルじゃない。それに「海の監視員」って、さっきのライフセイバー達のことか?
僕は琴子ちゃんの言葉に、「あれは…」と言いかけたが、ニコナが遮るように割って入る。
「いやー、大変だったよ。にぃちゃん、砂に埋まったまま寝てるんだもん。
無理やり引っこ抜いたけどさ。
あ、にぃちゃん。アイス溶けてるよ。」
「食べるの早いな、ニコナ!」
「そうだよぅ。もっと味わって食べなきゃ。」
そう言いながら、ヒヨリンちゃんがおいしそうにアイスを舐めている。
琴子ちゃんが呆れたようにヒヨリンちゃんの方に視線を向けた。
「はぁ、ヒヨリン。あんたそれ二個目でしょ。」
「だって、メロン味もおいしかったけど、特選バニラも食べたかったんだもん。
だって、特選だよ? 特別に選定だよ? すっごく濃厚!」
「はははは。」
僕はその場しのぎのように笑い、溶けかけたアイスを舐めながら通りに目を向けた。
今、通り過ぎて行った車。あれはユイ先輩の乗った車ではなかっただろうか。ユイ先輩は大丈夫だったのだろうか。いや、彼女はビーチまで降りては来ていないだろう。杞憂だ。
僕自身、さっきまでの騒動が本当に起こったことなのか、もうすでに遠い過去のことのように、ただの夢の出来事のように、現実感が曖昧になっていた。この平和な光景とは縁遠すぎる。
帰りの車の中、僕は鬼のことについて考えていた。
ラジオからはパーソナリティが、夏にふさわしいレゲエのナンバーを紹介し流している。ルームミラー越しに三人を見ると、心地よさそうに眠りについている。二人はさておき、ニコナもこうしてみると普通の中学生女子だ。ちょっと切り上げた時間が早く、遊び足りなかったのではと思ったが、家に帰るには健全な範囲の時間だろう。僕はラジオの音量を下げた。
鬼。鬼とは何なのだ。直接目の当たりにしても、倒さねばならないことはわかるにしても、その存在も倒す理由も、僕にはわからなかった。
「我々は降りかかる火の粉を払う、剣であり盾なのです。」雫ミスミの言葉が耳に蘇る。
「降りかかる火の粉、か。」
僕は独り言を呟いた。夕日にはまだ早い、水平線の上にある太陽をチラッと見上げ、僕は海岸線を後にした。車のハンドルを切り、僕らの住む、日常的な町へと向かった。




