放物線を描く魔法大戦
日本においてツンドラ気候と分類されるのは、富士山や大雪山など、高山の山頂付近の一部である。しかし今現在、僕を中心とした半径50cm以内は、新たにツンドラ気候へと分類されていることだろう。
ツンドラ気候。それは最暖月でも平均気温が0℃以上10℃未満、一年のほとんどは氷雪に覆われ、永久凍土となっている地域のことだ。
僕はこのクソ暑い真夏日のなかで、ただ一人凍死寸前となっていた。
もちろんこの状況は、姉から発せられる「勘違いシオシオ」のせいであるということを、いまさら諸兄諸姉に説明するまでもないだろう。
ニコナはコーラを飲みながら、一歩横に下がる。完全に観戦ムードだ。
しょうがない、見せてやろうではないか。僕の究極秘奥義「詫び倒し」を!
僕は頭に積もった雪を払い落とし、ビョウビョウと吹き付けてくる吹雪に立ち向かった。
「あぁまったく、帰りが遅くなっちまったな。姉ちゃん、ごめん。僕が悪かったよ。」
そう、何がどうあれ開口一番まず謝らなければ、凍てついた門扉に鍵をさすことなどできない。これが鉄則だ。
「本当は今日、姉ちゃんも仕事休みだし、一緒にフルーツパラダイスに行こうかなって思ってたんだよ。」
フルーツパラダイス。そこはつまり果物楽園。商店街にある八百屋が併設した、旬の果物が食べ放題のお店。
僕には理解出来ないが、フルーツ好きにはたまらない、フルーツ好きによる、フルーツ好きの為のお店。勘のいい諸兄諸姉ならばお察しの通り、姉はフルーツ好きだ。いや、フルーツ好きを通り越してフルーツマニア、フルーツ中毒、フルーツ星人と言っても差し支えがないだろう。
そんな説明はさて置き、姉の間断無き「泣き続け」に対し、僕は「論点ずらし」で攻撃軌道をそらし、さらに果物楽園の話題で牽制した。
「たまたまそこで軒島さんに会っちゃってさ。
あれ? 言ってなかったけ?
ほら、先月から始めた家庭教師のバイト先の軒島さん。
軒島ニコナさんはなかなか上達が早くてさ。」
僕はさり気なく話題を戻し、ニコナを紹介する。
姉は顔を覆っていた両手の隙間から片目をのぞかせ、ニコナを見る。
「軒島ニコナです。
綺麗なお姉さんがいて羨ましいなあ。」
いいぞ! いいぞニコナ!
なかなかどうして、空気が読める子じゃないか!
セリフはやや棒読みだったが、ナイスサポートだ!
「いやぁ、期末テストで2科目90点以上取ったら、夏休みに海水浴に連れてってあげるよって約束しちゃってさぁ。
本人の努力の甲斐もあって、3科目90点以上だったんだよ!
こりゃあ約束守らないとダメだよね。
あ、もちろんとても忙しい軒島さんのご両親に、保護者の代理として頼まれたってのもあるんだけどね。
あははは。」
僕は一気に有る事無い事をまくしたてる。
姉は涙を拭いながら僕の顔を見る。
来たっ! 来た来た来たっ!
ここで間髪いれず、姉に都合のいいことを言って慰める。
「ほら、姉ちゃん。
フルーツパラダイスに行こうよ。
僕もすぐ帰って準備するからさ!」
僕は姉の手を取り、そして落ちた林檎を手渡す。
姉は僕の手を支えに立ち上がり、ちょっと照れながら、最後の涙を拭って笑顔で答える。
「ごめんなさいね、軒島さん。
私としたことが取り乱しちゃった。
今度、たこ焼き焼き食べに来てね!
さて、はーちゃん。先に帰ってシャワー浴びて、着替えて待ってるわね!」
いや、姉ちゃん。
それは、食中毒必須のたこ焼きだから、僕は人にオススメしちゃいけないと思うよ…。
それに、フルーツパラダイスに行くのに、そんなに気合い入れないでよ…。
何はともあれ、僕は今回も局地的且つ致命的な氷河期を回避することが出来たようだ。
たとえ精神力が口渇し、それでも尚、これから事後処理しなければならないとしても。
「ユニークなお姉さんだねぇ。」
ニコナはコーラを飲みながら、姉の後ろ姿を見送り、率直な感想を述べる。
「あぁ、色々と大変だけどな。」
「ところでさぁ。」
ニコナは僕の方へと向き直り、にっこりと笑顔で僕に問い尋ねる。
「海に連れてってくれるんだよね?」
なんてことだ。
いくら姉の「勘違いシオシオ」を解消するためだとはいえ、その代償としてフルーツパラダイス行きはおろか、ニコナを海に連れて行くと、勢いのあまり言ってしまうとは…。
まさか僕は、ニコナに言質を取られて、予定外の約束をしていたというのか…。
「そ、そんなこと言ったっけなぁ…。
あ、こうしちゃいられない。姉ちゃんをフルーツパラダイスに連れて行かないとな!
さて、ニコナ。僕はそろそろ…」
僕はニコナのニコニコ笑顔から視線をずらすべく、後ろへと向き直り数歩進んだ。
「むー!」
僕の後ろから放られた空き缶が、僕の頭上を通り越え、綺麗な放物線を描き飛んでいく。
あぁ、なんて美しい放物線なんだ。
空き缶はその美しい残像を残しながら、缶専用ゴミ箱の小さな穴に吸い込まれていった。
「カツン」
それは夏の戯れを告げる合図のような、小さな音だった。
そう、夏の戯れを告げる…。
はい!
そこから僕の背面へ向けて、八極拳、鉄山靠!
前のめりに倒れた僕の両脚を素早くホールド!
諸兄の、一部コアな諸兄の期待に応えるべく、ニコナちゃんはしっかり僕の両腕を取り、そのまま後ろに倒れて、ロメロスペシャルー!!
「さっき、海に連れてってくれるって、言ったじゃん!」
「痛い痛い痛いっ!
言ったかなぁ?
言ったね! 言った! 言いましたっ!
いったーっ!!」
痛いだけで密着度薄いぞニコナ!
僕に何のメリットも無い技だぞニコナ!
羞恥心というか、こんな辱しめを受けているのが僕であっては、喜ぶ諸兄などおらんだろう!
僕は瞬時に脳内変換し、ロメロスペシャルを受けているのは僕ではなく、美少女であると想像した。
だが、ニコナの物理攻撃は僕の想像力を超えて締め上げ、さらに前転してリバースロメロスペシャルへと移行する。
「じゃさ、明日は準備するから、明後日ね!」
ニコナのウキウキさが僕の四肢からしっかりと伝わってくる。なんで毎回、そんなに楽しそうなんだ!
今日はそんなに楽しくないぞ、僕は!
「オーケー、オーケー!
わかったよニコナちゃん! 明後日ね、ね、ね!
ゴリゴリしないでー! 腹とか胸に小石が刺さるー!」
「さてっと!
んじゃ、帰るね! 後で連絡するね、集合場所とか。
フルーツパラダイス楽しんできてね。はーちゃん!」
ニコナは器用にも前転宙返りで僕を解放すると、そう言い残し、走り去っていった。
そうだった。僕にはまだ追加ミッションがあるのだった。こんなところで寝ている場合ではない…。
と、いうのが二日前の出来事だ。
そして今日の早朝へと時間はシフトする。
もう回想シーンは終わりだ。
なになに? フルーツパラダイスはどうなったのかって?
諸兄諸姉よ、それは語るまでも無い。制限時間いっぱいまで、姉がフルーツを食べ続けるだけの描写しかないのだから。