差し伸べるは槍
「ユイさんは……、
大鬼だったことに、大鬼であることに……」
「不満はないのかって?」
ふふ、と微笑み、小首をかしげたユイさんのその表情は、どこか寂しげだった。
後ろ手を組み僕に背を向け、再び歩き始める。どこかを、虚空を見上げるように語りだす。
当り一切は闇。此の世と彼の世の間は悲しく寂しく。
僕ら二人しかいない。余分過分なく、二人だけの世界。
「ねぇ幌谷くん。
古典小説や戯曲、語り継がれてきた物語って、」
僕は立ち止まる。彼女は歩み続ける。
だが、僕らの距離は開かなかった。一定の距離を保ったままだった。
縮まることも開くこともない彼女との距離。
彼女と僕の距離。大鬼と桃太郎の距離。
「喜劇よりも悲劇の方が多いんだよ? 圧倒的に。
知ってた?」
気が付けば僕らの周りには、輪を為した蒼い鬼火。
等間隔に並び巡る輪舞。ゆっくり、ゆっくりと巡り廻る。届かぬ炎。
推し測るように、見守るように僕らを見つめる炎。
語ることなく、示すことなく、ただただ巡り廻る輪舞。
「なんでだろうね。」
命の灯 儚き想い 忘れ去られ消え往く人々
「私ね、子供の頃から昔話やお伽噺が好きだったの。
そこに生きている人々の想いを感じたの。
生きている! 生きたい! 此処に居るぞ!
ってさ、
そんな感情が私の中に流れたの。
中学生の頃にね、和訳された物語は、本当じゃないことを知ったわ。
児童向けなのかな? 残酷な結末は書かれていない作品が多いことを知ったわ。
でもね、じゃあその物語の気持ちや想いは、消されちゃうのかな?
私に届かないのかな? 世界に必要ないのかな?
天災、地災、そして人災。
抗うことのできない、報われない、悔しさ。
愛しい人と遂げられない悲しみ。
理不尽な此の世を憎む怒り。
生きたかったのに、愛したかったのに。
愛されたかったから、死にたくなかったから。
絶望も失望も、無力感も孤独感も。
消えてしまった方がいいの?
その想いは必要ないの?
無かったことにするの?
そんなはず、ないじゃない。」
後ろ手に組みながら振り返ったユイさんが僕へと微笑む。
「語学にのめり込み始めたのは、それがきっかけかな。
読みたかったというよりは、感じたかった。知りたかった。
失いたくなかったの。
隠され、明かされない人々の想いを。」
廻っていた鬼火はいつの間にか無かった。
人の一生のように、一つ、また一つと弱り、消えていった。
儚く、その炎を燃やし尽くし消えていった。
「悲しみや怒り、そういう負の感情ってさ。
残そうって、作品にしようって思ったのはさ、」
見上げた天から、ゆらりゆらりと、
「教訓だとか戒めとかじゃなく、」
手毬が降りてくる。
「生きている、って叫びじゃないのかな?」
いくつもいくつも、いくつもの手毬が天から降りてくる。
「でも、それは……、」
「うん、理不尽だよね。
その叫びで他の人々を不幸にするのは。」
僕に二の句を繋げる隙は無い。
「読んだ人がどう感じようと、どう学ぼうと勝手だと思う。
だって作品は作者の手から離れた瞬間から、この世に放たれた瞬間から、
個を持った一つだもの。
作品なのだもの。一つの魂なんだもの。
読んだ人が、その負の感情を教訓だとか戒めととらえるのも勝手。
そんな悲劇と自分の悲劇を比較して、今手にしてる幸せを実感するのも勝手。
そして、
それを否定し、拒絶し、無くそうとするのも勝手。」
墜ちてきた手毬の一つを彼女は手に取る。
「一つの魂がさ、
人々の平穏を、平和を、生活を壊す権利はないよね。
うん、それは理不尽だよね。許されないよね。
でもさ、知ってるでしょ?
この世の中は理不尽なんだよ?」
取られなかった手毬が地を弾む。
幾数もの手毬が弾み、散り、静かに静かに、転がっていく。
手に取れなかった陽の光は、何処に零れ落ちるのだろう。
手に救えなかった雨粒は、何処へと流れていくのだろう。
捕えられない風は、何処へと向かうのだろう。
「救われる想いなんてたったひと握り。
ううん、砂漠の中の砂一粒すら無いんじゃないかな?
あなた方の幸せの代償を払え、とは言わないわ。
人々の幸福が誰かの不幸の上に成り立っていることを知れとは言わないわ。
でもね、知ろうと払わなかろうと、
幸せが続かない理不尽は此の世にある、
ねぇ、そうは思わない?」
「その理不尽を……、
それを人々に与えるというのですか、ユイさん。」
僕の言葉に彼女は視線を外し、寂しげにゆっくりと首を振った。
「違うわ。
私はその想いに、負の感情に再び魂を与えるだけ。
最後の咆哮を叫ぶ機会を与えるだけ。
鬼にするだけ。」
ふふふ。
彼女の柔らかく優しく、静かな笑い声が短く響く。
地に弾みやがて止まらんとする手毬に、力を与える。
「私はその想いを消したくないだけ。」
地に堕ちた無数の手毬が命を与えられ、虚空へと浮かび上がる。
「ねぇ、幌谷くん、」
ユイさんが掲げた手毬が一際強く光を帯び、浮かび上がった手毬達の中心へと浮かび上がっていく。
「そんな私だけど、受け止めてくれるよね?
私を愛してくれるよね? 私を殺してくれるよね?」
此の世は理不尽だ。夥しく理不尽だ。否応なく理不尽だ。
ユイさんが掲げた手毬。幾数もの負の感情たち。
それは蒼く眩しく光を帯びて、最後の咆哮となる。光り輝く。
対して僕に纏わりつく無。
それは朱を纏い、漆黒の炎のように揺らめく。
穂先は鋭く、全てを貫かんとして。
僕から意図せず天空へと身構える。無数の槍となって。
「確かに此の世は理不尽だと思います。否応なく。
それは否応なく、恋に落ちるのと同じように。」
この手毬達は、此の世の理不尽なのだろうか。
怒り、悲しみ、苛立ち、悲壮、虚無感、無力感、憤り。
玉となって、魂となって、僕へと飛来する無数の手毬。
僕の意図することなく、僕でありながら、僕として……
無数の手毬を「無」という槍が迎撃していく。
貫かれる、射止められる。
浸食し、文字通り魂を喰らう「無」
幾千、幾万という絶望を喰らう「無」
僕は一歩、また一歩とユイさんへと歩んだ。
「これもまた、
こんな展開も「此の世の理不尽」というものを喰らう、
理不尽な僕、無なのでしょうか。」
「ふふ、どうかな?」
より一層、手毬は僕へと迫る密度を増していく。
「理不尽であるはずなのに……
僕らはこの理不尽を決められたレールのように繰り返している。
決まった未来なんて、理不尽で理不尽じゃないじゃないですか。」
「うん、そうだね。幌谷くん。
ねぇ、でもさ。
私はさ、今生も、過去世も、幾星霜も、
ずっとずーーーっと、ずっと待ってたんだよ?」
鬼を増やす大鬼
此の世の負を再生する大鬼
生きること、生きたいということ、絶望の叫び
その魂に最後の希望を、最後の光を与える大鬼
母なる大鬼
その叫びを僕は喰った
無へと帰した
終焉へと導き、最期を看取った
忘れることはない彼らを
忘れえない彼らの魂を、叫びを、生きていたことを
「ずっと待ってたの。
今度こそ、受け入れてくれるでしょ?
私を。」
幾たびも幾たびも
繰り返されてきたやり取り
命のやり取り
魂を喰らいながら
彼女へと歩む僕
こんなに近くにいるのに
今宵も
また
彼女へと
僕は手を伸ばす




