此の世は一夜の夢。
枯野の深層で最後に触れた記憶の断片。
これがこの男の絶望であり、孤独感の根源なのだろう。それは良くも悪くも人を動かす原動力となる。絶望からの渇望、そして執着心。得られることのない、尽きることのない欲望。
ネット、ネットワークとはよく言ったものだ。
枯野から猛スピードで紡ぎだされる糸がそれぞれに結びつき、網の目状に広がっていく。
その中心にジッと座す枯野。獲物が引っかかるのをジッと待つ枯野。まるで蜘蛛のように。
だがその網が膨れ上がり広がり、広大になっていっても、全世界につながっていっても。枯野が欲し求める獲物を捕らえることは、心を満たすことはなかった。
人々は根源的に「孤独」を抱えているというのにもかかわらず。
「枯野さん、僕にとっては初めてのお客様だ。もう二度と、帰ることは叶わないでしょうけれども。
あぁそうか、表現が違うな。
帰る還らないではなく、あなたは此処の住人として迎えられます。」
再び舞台は桃源郷の苑へ。
桃の花咲き乱れ香りは風に流れ、小川のせせらぎ小鳥のさえずり、静かな音が辺りを満たす。確かに地は春の陽光に満たされ、桃色の霞みが柔らかく包んでいたけれども、空を見上げれば満天の星空。
時間は止まったまま。ただ繰り返される悠久の時。
木製の小さな東屋に、物静かに座る枯野タダシ。
どこからともなく、ポツリポツリと現れる人々。桃源郷の住人達が彼を迎える。
過去世の桃太郎たちが、幾世代にもわたって捕えた鬼たち。いや人間たち。
永遠の時を生き、桃太郎のために生きていく人たち。
何も無かった、「無」であった桃太郎が「人格」というものを、「人間性」というものを得るが為に捕え続けられた人たち。
『桃源郷送り』
その真髄、その末路、その終着地。記憶、記録、ログの集積地。
「死」という終わりを得ることなく、永遠に捕らわれるという一つの終わり。
方法、目的は違えどそれは、枯野が作り上げたシステムに似ていた。
一方は孤独を埋めるため、そしてもう一方は「無」を埋めるため。
僕は枯野と同期する。
張り巡らせた糸の全て、繋がりの全てを掌握する。
一気に流れ込む、人々の感情。昂らされ、揺さぶられ、引き出された鬼の起因たる負の感情。糸を辿り、深く鋭く僕に突き刺さる20万人近くの感情。
改めて枯野の強さを実感する。その孤独感を埋めんとする強さを知る。
遠のきかける意識に奥歯を噛みしめた。ここで退くわけにはいかない。これが僕の選択したことなのだから、この行動を止めない。
両手を握りしめ、全てを引き寄せる。
繋がりの全てを切断する。鬼化を解く。
遮断されることによる喪失感、虚無感。
あの「針のむしろ」の如く感情の怒涛に晒されながら、解放されたいと願いながらの、解放されたとたんに訪れる、この孤独感。
僕が「無」であるという現実。
膝をつく。現実の地に。
眩む頭に届くニコナの想い、ミスミの意志、ウズウズの気持ち。
三人から流れ込む意識から、枯野が繋いでいた人々の鬼化が解かれたことを理解する。
この鬼の包囲網が喪失したことを実感する。突きつけられていた選択肢以外の、自分の選択、決断が為されたことを知る。成功したことをやっと実感する。
「うわお!
え? えぇ? ええぇ??」
うん、驚くよねニコナ。そうだよ、攻撃は解いていい。
「どうやら。
幌谷くんが、人々の鬼化を解いたということでしょうか。」
あぁミスミちゃん。なんとかかんとか、出来ましたですよ。
正直、ギリギリの賭けでしたが。
「もう……、まつ?
抹殺……しようかと……、思ってた。」
うん、そうな。
間に合ってよかったウズウズ! 三人が本気になったら壊滅出来たろうね!
もうなんかさ! 核弾頭を抱き枕にしてる気分だよ!
枯野という鬼。
そんな孤独に捕らわれた者が起こした、テロというべきこの事変を僕らは退けることが出来た。
もちろん、その前哨戦ともいうべき行為によって、引き起こされた被害はけっして少ないものではない。だが、抑え込めることに、解除することに成功したと、そういえるのではないだろうか。
「大丈夫ですか?
出来ることならボクはすぐにでも、そちらに向かいたいのですが……」
『うん、わかってるよミスミちゃん。
人命救助、情報統制、その他色々とやらなきゃいけないことがまだある。
ヤチヨ様とか山柴の人たちが動くのだろうけれど、現場を知ってる人が指揮を執るのがいいと思う。頼んだよ、ミスミちゃん。僕は大丈夫。』
「かしこまりました。」
『ニコナ? 動ける?』
「うん、あたしはなんともないよ?」
『リュウジンが僕の身代わりになってくれた。命に別状はないけど動けないと思う。
迎えに来てくれないかな?
それと……、これは僕のわがままだけれども、近くに友達がいるんだ。
一緒に保護してほしい。』
「わかったよ。にぃちゃんは?」
『僕は、ごめん。
少し一人になりたい。』
地に突き立てていたリュウジンの刀を抜き、横たわるリュウジンの元へ行く。
意識は戻っていないけど、穏やかに呼吸している。外傷は見当たらない。鬼化の治癒力のお蔭だろうか。皮肉なものだ。
リュウジンの傍らに刀を置いた。
僕から感じ取る情報で、ニコナならここがわかるだろう。
「ニコナにはストーク隊を向かわせ、合流させます。」
『ありがとうミスミちゃん。
ウズウズは?』
微かに繋がりはするのだが、陽炎のようにはっきりしない。
「ウズウズ……、佐藤さんは「あっちが気になる」と言って屋台の方へと向かわれました。」
『ははは、らしいっちゃらしいね。でもま、なんか思うところあるんじゃないかなぁ。
じゃあ少しの間、頼むね二人とも。』
「は~い。」
リュウジンの傍らから腰を上げ辺りを見渡す。
夜空の下、無数に横たわる人々。眠る人々。まるで戦場のような有様だったが、そこには悲壮感よりも穏やかな静寂を不思議と感じた。
此の世は一夜の夢。
辛いことも悲しいことも、苛立ちや悔しさも、楽しいことも嬉しいことも一夜の夢。
記憶も記録も、真実も事実も過去に流され、現世に在るは漂う残り香。
儚き想いを、人は夢と相手への心を抱えて眠りつく。
今夜のこのことを、眠りから覚めた人々は夢と流してくれるだろうか。
願わくば、人が人を襲うなどという行為を覚えていないでくれ。
鬼として心を捕らわれたことなど……
僕は一人、歩き始める。
無かったことに、無かったことに、無かったことに。
人々に安寧が訪れるように。事実や真実などが足枷とならぬように。
灯りが近づいてくる。いや僕が灯りの中へと進んでいく。
小道の両側に建てられ並ぶ屋台。
そこに人影はない。ただ行燈の灯りが道筋のように行く末を照らす。
「ほろぅやぁ……、むすこ、だんなさん……」
「ここにいたのか、ウズウズ。
ははは、わりかし気配は消したつもりなんだけどな。
まぁ、そういうことはウズウズには敵わないか。」
「肉食う……、肉の力、もらう。
鬼やっつける力、ほしい。……だから食う。」
ウズウズがそう言いながら、何かしらの肉が刺さった串を差し出す。
えっと、あれかな? 鳥かな?豚かな? ……人間じゃないよね?
もしかしてウズウズの過去は猩々じゃないよね? 大丈夫だよね?
「あ~~~、うんと、大丈夫だよウズウズ。
えっと、そのために先回りしてたの?」
コクっと頷き、ウズウズが僕を傍らへと並ぶ。
再び歩み始める僕に、影のように寄り添いとぼとぼと追従する。
「……、まだ僅かだけど、鬼が数体残ってる。
枯野が繋いだ人じゃなく。
それを頼めるかな? ウズウズ。」
「……。」
「僕は大丈夫だから。ありがとうな、ウズウズ。」
立ち止まったウズウズへと振り返る。
ウズウズが真っ直ぐに僕を見つめる。
僕の頷きに、ゆっくりと頷き返す。
「ここから先は……、僕独りで行く。」
僕は行燈が照らす道を、その小道を独り、歩み始めた。
「幌谷くん。
どうか……、ご無事で。」
「にぃちゃん……
ちゃんと、戻ってくるよね?」
三人の頬を撫でるように
一夜の夢の名残のように
桃の香りを乗せた微風が流れていく




