大輪の花が誘いて
人波を抜け、ちょっとした傾斜の坂道を登りきる。
僅かに他の場所より高い位置にある堤防。そこから見えるのは無数の人だかり。陽が落ち闇夜となった河川敷に蠢く、無秩序でありながら同じ目的を持った集合体。人、人、人。群衆。
「まじか……」
勢い込んで来たものの、そこに在るのは想像以上の群衆。花火大会に来たことがなかったわけではなかったが、それまでは花火を見るために来ていたのであって、これほどの群衆がいることを理解していなかった。想像していなかった。考えが甘かった。
もしここに鬼が現れたとしたら……
呆然とする僕を覚ますよう、にスマホが着信を知らせ震える。
「もしもし?」
声が僅かにうわずる。
「ミスミです。上方から視認できる圏内を索敵しましたが、鬼の気配は見受けられません。もっとも、中鬼は鬼気を隠せますので、潜んでる可能性は0%ではありませんが。」
「わかった。
つまり……、相手が動き出さなきゃわからないということか。」
「こちらから陽動を仕掛けるという手立てが無くはないですが。
状況がこれでは……」
「うん。とはいえ動かないわけにもいかないしね。
そこはビルかなんかの屋上?」
「はい。ボクはこのまま索敵を続けます。動きが見えたら急行します。」
「ミスミちゃんはなんて?」
「現段階では鬼の気配が無いって。」
「あたしも何も感じないんだよなぁ。」
ニコナが周囲のにおいを嗅ぐように、鼻をスンスンと動かす。
漠然と急がなきゃヤバいと思って来てみたものの、鬼を見つけられないんじゃ話にならない。そもそも「かくれんぼ」は鬼が僕らを探すのであって、鬼が隠れるのはどうなのか。それを探すのはどうなのか。
今更ながら中鬼、いや大鬼もそうなのだろう。そのステルス機能は厄介だ。
ここに潜んでいるのか、はたまたどこからかやってくるのか。
他の三か所は襲撃された形だ。もし仮にここへと襲撃するとしたら鬼はどういう手立てで来るのか……。
ふと、大鬼について僕は思い出す。
『大鬼は鬼を増やす』
鬼を増やす……
そもそも鬼とは何なのだ? 何処から湧いてくるのだ?
違う、鬼は元々人間だ。
鬼ヶ島。鬼の住まう島。
そうじゃない。鬼化した島。島民の全てが鬼化した、させられた島。
鬼を連れてくることなど必要ない。
ここにいる人間をすべて鬼にすればいいだけの話だ。
その「答え」の戦慄に僕はギリッと奥歯を噛む。
どうすればいい? ここに居る全員を、群衆を逃がす手立てなどあるのか……
僕は衝動的にスマホを取り出しコールした。
「もしもし。幌谷くん? 無事についた?」
優しく柔らかい声が、スマホという機械を通し、電波を介し、僕の耳へと伝わる。僕を包み込む。ふさわしくない心の焦りを包み込む。
そう、ここにはユイ先輩がいる。
そして部長、副部長、オノマトペ研究会のみんながいる。
「はい。
あの、ユイ先輩……」
「私たちがいる場所わかるかなぁ。結構、人が多いよね。
桟敷席ってわかる? 招待客が来るところなんだけど。」
「……ッ、」
「花火が一番見やすい場所なんだよ? すごいよね。
そこのね、隣を場所取りしてくれた子がいて、みんないるの。
でもわかりづらいかな? 私、迎えに行こっか?」
「いえ大丈夫です。でもそうじゃなく……」
ドーーーーーン
唐突に響く轟音。打ちあがった玉が夜空に大輪の花を咲かせる。
立て続けに打ち上げられていく花火。人々が音、光に魅了され支配されていく。
その音の波に僕の声がかき消された。
「今すぐ逃げてください!」
何処へ? 何のために? 理由は?
危ないから? 鬼が来るから? 鬼にされるから?
説明のしようがない。説得のしようがない。ましてこの雑踏の中を。
オノマトペ研究会のみんなを。せめてユイ先輩だけでも。
逃がす? みんなをおいて? この群衆を犠牲にして?
「ヤバい……。始まったかも。」
ニコナが前方に広がる群衆の一点を見つめる。今にも走り出さんとするように、前傾に身構える。
始まった。
それは花火の打ち上げじゃない。同時に起こった衝撃。最初の一発目の花火がまるで鏡を打ったかのように、群衆の中を蜘蛛の巣状に亀裂が走っていく。その筋は鬼化の亀裂だった。無数の方向へと鬼化の筋が走っていくのがわかる。
最初の花火が打ち上がり、これから花火大会が始まることをアナウンスが伝える。群衆が、人々が、夜空の一点に結ばれる。僕らを除いて。
その声に僕は通話終了のボタンを押した。
ここから群衆を逃がすという選択肢は潰えたに等しい。僕に何ができるのか。この亀裂の、僕らの日常へと侵蝕する亀裂に何ができるのか。
ニコナから山吹色のオーラが炎のように立ち上がる。
オーラが熱量をそのままに収束しニコナを獣化させる。山吹色の光を纏った聖獣、狂喜を昇華し具現化した姿。
堤防下へと飛び降り、直近の鬼化した者へと駆ける。
「ニコナ。」
「うん、にぃちゃん……、」
花火の音に埋もれた世界に在って、僕とニコナの距離はすでに声の届く距離ではなかった。だが僕は届くことを理解していた。契約を結ぶということは絆を結ぶこと。僕らは繋がっていた。
「あの日と同じだと思う。」
鬼化した人々が襲ってきたならば、ニコナはすぐにでも攻撃に出ただろう。だがニコナはそうはしなかった。あの遊園地での一幕。あの時と同じように鬼化した人々は、その凶暴性に攻撃してくることなく人のままであるかのように、ただそこにいるだけだった。
その瞳が赫々と狂気に染まっている以外には人と変わらず、夜空を彩る大輪の花火を見ているだけだった。
「これはいったい……。」
同じく聖獣化したのであろうミスミの声が届く。繋がる。
「ミスミちゃん。大鬼は人を半鬼化した上に操れるんだと思う。
向こうも僕らがいる事に気づいてるはずだ。にもかかわらず鬼に襲わせようとしてこない。」
僕は堤防を降りた。既にここは人々が半鬼化していた。だが人であった先ほどまでと変わらず、その視点は花火に向けられている。僕に意識を向けることは無かった。
ミスミが僕の目の前にいた半鬼を狙撃する。倒れ掛かったその女性を支え、ゆっくりと降ろして堤防ふちに座らせた。半鬼化が解け、人に戻っていくのがわかる。意識は失っているものの命に別状はないだろう。
「この数の全てを狙撃するのは難しいです。そもそも弾数が持ちません。
それに100%、」
「うん、この数の昏睡状態の人々を生み出すとなるとね、」
間違いなく僕らは不利になる。それは鬼化を解き、昏睡状態の人々を生み出す過程にある。もし仮に実行に移すならば、増えていく昏睡状態の人々を守りながら鬼化の解除をしなければならないということだ。
そう、つまり鬼化した者が襲ってこない保証はないのだ。
かと言って鬼化は無かったことに「桃源郷送り」出来るのかと言えば、現段階でそれは不可能に近い。やるためにはここに居るすべての人々に干渉し、僕が繋がらなくてはならない。何より鬼化させた大鬼と繋がる必要がある。
「……あまりに厄介だ。」
「相手は一枚も二枚も上手のようです。
網の目状に広げられた鬼化の中に、囲われ囚われた人々がそのまま居ます。
鬼化した者が32%、囚われた者が68%程度。
これが大鬼の能力の限界、鬼にすることの限界なのかは判別がつきません。」
「うん。これは……
おそらくこれは意図的に人質を残してるんだと思う。」
何もかにもが計算されつくしている。全てに先手を打って僕らの動きを封じている。人々を鬼化し戦力としながらも同時に、人質として僕らに突き付けてきている。
ただ、一つの選択肢を除いて。
「それに、向こうは僕らを招き入れたいようだ。」
鬼化の亀裂。そこにまた大きく亀裂が入ったように、目の前の群衆が割れていく。中央へと向かって道が開かれる。
左右に分かれた鬼化した無数の人々が僕を見つめた。狂気、狂乱。怒り、悲しみ、憤り、猛り。ありとあらゆる負の感情をその赫い目に宿し、僕を誘う。
「だから、無闇矢鱈に倒さないでくれよ?」
僕はいつの間にか寄り添うように立っていた若竹色の影にそう呟く。
「むにゃ……み……、殺ったら?」
「うん、あれだ。僕がゴーサインを出すまでは手出し無用……
う~んと、やれって言うまでやっちゃだめだ、ウズウズ。」
コクっと頷いたであろうウズウズを従え、見守るミスミと先導するニコナと共に僕はその道へと歩を進めた。
『全てを無に帰した方が早いと思うんだけどな~。』
能天気に言う桃太郎の言葉を無視する。
この道は何度目だ。この邂逅は何度目だ。




