同時進行する虚体を迎えて
16時32分。
僕に残された時間はあとどれぐらいなのだろうか。
「幌谷くん!!」
ミスミが蛙水に照準を合わせ視線を固定したまま、僕へと判断を仰ぐ。
おそらくミスミは僕と蛙水の会話を傍受し、状況を把握しているが故に判断に迷っているのだろう。きつく結ばれた口元からその心境が伺える。
「ミスミちゃん!
蛙水が今此処でどうこうするとは思えない! 寧ろ時間稼ぎの可能性だってある!
僕はっ……」
そこで自分の決断に覚悟を決めるべく僕は目をつぶり深く息を吐き、そして大きく吸い込んだ。
「ミスミちゃん! 変電所が一番のポイントだというのは間違いない! それが例え陽動だとしても看過できる状況じゃない! だからミスミちゃんは変電所へ向かってくれ!」
「……、幌谷くんは?!」
「僕は……、ここで蛙水を食い止める! 大丈夫、みんな問題ないから!!」
「……、了解しました。
くれぐれも油断されませぬよう、100%。」
そう言い残し、ミスミが倒れたバイクを起こしながら跨り、鋭い音を響かせながらターンして八咫辻の真ん中の道、変電所へと向かう。
ミスミが残していった視線に何とも言えない哀しみを見る。あれは心配だとかの類じゃない。それを僕は十分に理解している。選択すると言うのは覚悟だ。覚悟を決めることだ。
僕は八咫辻で振り返り、方角的には北東の方角、艮。つまり「鬼門」を塞ぐように佇む蛙水を睨みつけた。
「いやー、これはこれは想定外ですねー。
てっきり大橋に行くと思っていたんですがねぇ。当てが外れましたかー。」
「お前をここで倒さずして僕の進む道はないからな!」
啖呵を切ったものの、直後に激しい頭痛と吐き気、そして立ち眩みかのような眩暈に襲われ、僕は膝をついた。
「おやおや、その割にはすでに満身創痍な様子ですがー。
何をしたのかは知りませんが、僅か数分前とはえらい違いますねぇ。若者特有の、何かしらの決意をした、決断をした、希望、いや野望、無謀に燃える目じゃないですかー。」
一気に流れ込む三つの記憶。ニコナ、ミスミ、ウズウズの三人の元へと駆け付けるという決断。だが僕は此処に在る。
それはどういうことなのか。
それは現在に生きる僕にだって理解できる。いや、理解してやっている。やったはずだ。三人の元へ行くと全て「決断」し、そしてそれらを全て「体験」し、そして全てなかったことに、「行かなかった」ことに改ざん、「桃源郷へと送る」と決断したはずだ。
だから僕は此処に在る!
膨大な「記憶」。それが次々にリアルタイムで流れ込んでくる。
脳みそが焼き切れ、心が砕けそうになるのを必死でこらえる。こらえるのは僕が決断したことだからだ。今更、後に引くことなどできないではないか!
この先も流れ続けるはずの記憶。僕は自らの行動を桃源郷送りし、彼女たちへ「宝玉を授けた」記憶だけを残すために決断し行動したはずだ。全ては最初の決断からの継続。此処に在るということは間違いなく宝玉を彼女たちの元へと運んだということ。彼女たちを信じ、僕が僕に此処を託したということ。
僕には不安も迷いも無い! 再び立ち上がり、蛙水を睨む。
「そういう目、私はーーーねぇ、
嫌いなんですよ、そういう目が。」
いや、不安はあった! こいつを僕が一人でやれるのか!!
大丈夫か!? その決断は!
これすらも無かったことにするには無理があるぞ!!
「そいつは……、奇遇ですね。
僕も全てを嘲笑うかのようなあなたのその張り付いた笑顔! その目っ!!
嫌いですよ!!」
宝刀鬼殺し、柴刈り乃大鉈を具現し構える。耳を傾ける。
右半身となりスタンスを大きく取る。音を取る。
蛙水が放ったボールペンが4発。顔面へ1発、腹部へ1発、そして2発が左右に足元へ。足元の2発はこのままだと僕の足には当たらない軌道。
上方への2発を躱せば、どちらかが被弾する可能性はある。だけれどそうじゃない。躱す躱さない如何にかかわらず、この足元への2発が本命。
咄嗟に右足を抜き前進。腹部への1発を刀で弾き、顔面への1発は顔を背けて寸で躱す。
「想像以上に成長なさっているようじゃないですか。ねぇ? 桃太郎さん!
これだからもぅ、若手は嫌いなんですよねー。
僅かな成長でも大きく飛躍する。
でも同時にですねー、その己の力が、さも自分で身に着けたかのように奢る。
最高に鼻高にになる! 自分に溺れ盲目になる!!」
僅かに僕の決断が遅かったのか。跳躍が足りなかったのか。
金縛りにあったように僕の身体が痺れ止まる。
理屈はまだわからない。だが僕は瞬時にそれはなかった、当たらなかったと上書きする。己を上書きする!
復活しきれていない僕の精神が、無理に行った「桃源郷送り」によって削られる。
膝が崩れる。だが動ける! 僕はっ!!
僕は向かっていた。いや向かった。
ウズウズが居るであろう駅の繁華街へ。
ニコナが友達といるはずの大橋へ。
ミスミと共に蛙水が示唆した発電所へ。
「射貫いたはずなのに射貫けていない。
私には射貫けたように見えたんですがねー。それが桃太郎さんの能力ってやつですか?」
「さぁ? どうですかね?
見間違いなんじゃないですか?」
蛙水が懐に手を入れる。すかさず僕は距離をつめる。
刃圏。飛び込む勢いのままに左脇から一直線に薙ぐ。蛙水が地を一蹴りし後方へ。そのまま投擲体制。させない。更に前進し太刀を切り返しその手へ跳ね上げる。
が、弾かれる……
太刀はまだ届いていない、その手元へは届いていない。
だが手元へと行く前に何か強制的な力が太刀に働く。確かな抵抗。見えない何かに阻まれた。なんだ? 何に止められた?
「いやいやいやー! 今のは危なかったですねー。
私の手が危うく切り落とされるところでしたよー。」
ふざけるな! その前に刀に合わせて防ぎに転じただろう!!
蛙水が僕から大きく距離を取り、その跳ね上げ切り落とすはずだった手を振る。
その手にはやはりボールペン。安いどこにでも売っていそうなそのボールペン。
心底、嬉しそうに薄ら笑いを浮かべる蛙水。何の変哲もないその握っているボールペンには瘴気が纏わりついている。それは想像の範疇。だが触れずに弾いていた。
蛙水の視線を追う。気配を追う。狙いを探す。
今迄の動き、過去の動き。探りながら攻め続ける。相手のペースに持ち込まれたら不利なのは間違いない。理屈がわからないから攻め続ける。
僕の踏み込みに対し蛙水が引く事は無く、合わせるように踏み込んでくる。
咄嗟に「これはまずい!」という本能が働く。太刀を横へと振りかぶる勢いを止めず、その流れを利用して無理やり身体を捻じり、反転してその「踏み込み」を強制的流して躱す。
僕はミスミのバイクから放り出される。ミスミから切り離される。
僕はニコナと繋がれない。ニコナを待たなくては……。
僕はウズウズを探す。ウズウズの元へ走る。
あの踏み込みは何だったのか。
あそこで横薙ぎすれば間違いなく胴を斬りこめた。そんなところへ踏み込む必要が蛙水にあるか? 明らかに「後の先」を取りに来ていた。ではなんだ? あの状況から踏み込んできて僕に致命的なカウンターを取る術が蛙水にあったのか?
強く踏み込んだ蛙水から距離を取る。
その「大物を釣り逃した」というような表情。口惜しさと手応えを喜ぶような苦笑いのような、複雑に絡んだ表情。
こいつはこの状況を楽しんでいる、のか。
脳内に展開されていく同時進行の僕の経験に気を持ってかれそうになる。気を失いそうになる。
奥歯を噛みしめ、現状を現実とメインに据える。
本質と虚像、虚実。実体を写す鏡、虚体。
湖面に映る己の顔。過去数多に渡り受け継がれ、生きてきた桃太郎たち。
桃太郎という本質。それを包蔵し現実を駆け抜けた転生者の者たち。
天空に輝く月。その明かりに照らされる実像。
そこに落とす虚像の影。
己が実体か桃太郎が虚体か。桃太郎が実体か己が影か。
ノイズのように走り書きされていく過去世の「桃太郎」たちの記憶。
「そうか……。
お前は、」
僕は自身の意識、意思、己を確立するため大地へと腰を落とす。
構えを取る。気構えを己へと浸透させる。
「……お前は、影鬼か。」




