残念ながら地図に裏は無く
「こらこら君、ここは警察以外は……」
ストークさんに言われ警察バスに来たが、立哨していた警察官に話しかける……、と、その前に僕は制止させられた。僕の姿かたちを見て、人畜無害な文学青年と認識してくれてもいいはずなのだが。
その目には「この状況、空気感見て理解できないかなぁ。ここで花火がみられると思ってんの? 近寄るなオーラ出していたはずなんですけど? 本官は?」といった呆れが含まれていたように思う。
う~む。こういった場合、どう説明すればよいのだろうか。「山柴の者です。」と名乗れば通行パスのように通してもらえるのだろうか。ギリギリで僕は、残念なことに「山柴の者」ではない。いや、残念ではないのだが……
そんな途方に暮れかけたところで、警察バスのドアが開かれた。
「当家の関係者です。」
ドアから降りてきた少女が簡潔に述べる。
「水を打ったように」という言葉があるが、まさに無感情に、そう、まさに「水」が無味無臭であるように、その無感情かつ冷たさを持った言葉が我々に注がれる。
言われた警察官が僅かに逡巡したが、無言で敬礼し僕に道を開けた。
指示する者と指示される者。その溝は大きい。お二人の年齢以上に。
その溝の底にいる僕はいたたまれない気持ちになった。がしかし、ここで僕が動き出さねば溝は深くなっていく一方ではないか。僕は招かれる、というよりは促されるようにバスへと乗り込んだ。
そうか。君はあの時の……
「第三隊は橋側のここで待機。この進路からの襲撃に備えます。
後方支援はここに配置がいいでしょう。念のため、こちらにも人員を割いてください。」
清涼なる声が、簡素な車内を抜け、僕の背後へと過ぎる。
バスなのだからバスなのだろうと勝手に想像していたが、そこはまるで映画でしか見たことのないような幕僚本部の様相だった。事実、ここは司令塔なのだろう。
そこに通常あるようなバスの座席は無く、代わりにPCモニターやら、通信機器のような数々の機材。そして中央にはテーブルが置かれ地図が広げられている。
そのテーブルの正面に座った声の主が僕を見とめ、目線を送る。
柔らかな微笑みに僕の緊張は一気に解けた。
「差し上げた作務衣。馴染んできたようで嬉しいです。」
「いやいや、馬子にも衣裳とは正にこの事ですよ、」
その微笑にボクも微笑で応えた。
なんというか、これほど心強いと思ったことが、今迄にあっただろうか。
浦島家の長兄にして清澄明晰な人物。心の兄様!
「リュウエイさん。」
リュウエイ氏がその微笑を崩さぬまま一定の緊迫感を戻し、張りのある言葉を紡ぐ。
「現状況は耳に入っていますか?」
「えぇ、ストークさんから大体のところは。」
僕はリュウエイ氏の車椅子をいつも押していた女中さん、先程の少女が手前にあった椅子を引き、座るように促したが、軽く会釈して断った。
今の僕はここで座るべきではない。リュウエイ氏がゆっくりと頷く。
「変電所、そして不穏な様相の駅方面はすでに千条家で手を打っています。
そしてこの地は我々浦島家が任された。御心配には及びません。
でも幌谷さん。
貴方がここに来られたということは、そうすべき目的が在った、ということですね。」
「お察しの通りです。
僕がここに来たという事が必要なのです。」
「現状この地に鬼の出現は確認されていません。さりとて迎え討つ準備は整えました。
舞台は整っています。思うところに従ってお進みください。」
「避難経路などは……
その辺りはどうなっていますか? 橋の上にはそれなりの人がいるとか。」
「仰る通りです、幌谷さん。観覧者の避難は完了していません。
我々のいるこちら側と橋の先。橋の向こうから仕掛けてくるとは考えにくいですが、その場合は対処が容易になります。とはいえ避難路に用いるにはリスクが大きすぎます。」
「橋が落ちた場合を想定すると、ということでしょうか。」
リュウエイ氏が深く頷く。そして地図上を扇子の先でなぞった。
「よって、避難路はこちらを用います。
避難の開始は難航、人々に脅威が迫っていることを理解させるのは難しい。明確には鬼の襲撃開始直後になろうかと思います。動き出す人々を制御、誘導、防衛するしか手立てがありません。
鬼の襲撃については、空路、海路は想定していません。空路についてはそもそも前例がない。そして海路ですが、それがあっても上陸が可能なのはここの1か所だけです。
よってこの地点を含め、陸路の想定はこの三方向。橋と共に避難路、人々を護るために大きく北側と南側に配置しています。
正面切ってくるようなタイプであれば……」
そこへ通信係らしき警察官が我々を遮るように声を上げた。
「鬼の出現を観測班が確認、入電!」
「……、繋いでください。」
リュウエイ氏の指示により、無線通信が車内のスピーカーへと開放される。
『……現在、複数体の鬼が北側より侵攻を確認。目測30体以上。
いずれも完鬼。
第1隊、迎撃準備完了。後方支援が左陣に展開中。次の指示を願いたい。』
「第1隊は仕掛けず、視認した段階で後退し引き込んでください。
後方支援、射程内に入ったら撃ち方始めてください。
第2隊は南側の監視強化、及び避難路確保。第3隊は待機。」
『鬼の中央に1体の半鬼……、いや、中鬼と思しき人物あり。
照合確認中。』
「モニター送れますか?」
『しばし待て。撮影する。』
PC画面の一つに鬼の軍勢が映し出される。
その中央で悠然と歩を進める者。
ハーフコートに身を包みフードを目深に被った者。
間違いなく兵跡。
僕はニコナが氷漬けにされ、砕かれた事実を思い出し、奥歯を嚙みしめる。
「氷鬼ですか。」
「はい、奴です。」
リュウエイ氏の平坦な問いかけに、平坦に僕は答えた。
「正面から乗り込んでくるタイプなのですね、この鬼は。
正攻法が好きなのか。自信の表れか、それとも裏があるか。」
「裏……、
裏は無いように思います。こいつは戦闘において卓越した技術を持っていますが、そこに卑怯さは見られませんでしたから。」
兵跡。お前の狙いは人ではなく橋か。最短ルートで来るか。
確かに目的に向かって真っすぐ進むお前は、自信があるのだろう。自分の力に絶大な信頼を置いているのだろう。
だが、そうはさせない。
「橋までの最短ルートで考えると、この道でしょうか。」
「でしょう。」
僕の問いにリュウエイ氏が目をつぶり、大きく深呼吸する。
地図上の駒がせわしなく動かされ、盤面上の配置が次々になされていく。
「第1隊、左右に展開。右陣に7、左陣に3。両側から敵戦力を削げ。
第3隊は鶴翼に展開、右陣にて片翼包囲。避難路と鬼の接触を許すな。
第2隊は速やかに人々の誘導を後方支援に引き継ぎ、敵前面への展開準備。
なお、」
リュウエイ氏がそこで言葉を切り、僕を見つめる。
「中鬼は氷鬼と断定。
我々の手では余る。無用に手を出すな。最優先事項は市民の安全確保。
接触があった場合には三人一組で対処。
みんな……、安全確保には己も含まれていることを忘れないように。」
「ありがとうございます、リュウエイさん。
僕……、行きますね。」
「私にできることを、すべきことをしたまでですよ。」
緊迫した渦中にあって、リュウエイ氏が少しだけ優しい微笑を僕に向ける。
その心中を察すると心が痛む。
僕は一礼し、その場を後にした。時間は僕の味方をしない。
間もなく陽が落ちる。




