赤く染まりゆく局地に
16時32分。
僕に残された時間はあとどれぐらいなのだろうか。
「幌谷くん!!」
ミスミが蛙水に照準を合わせ視線を固定したまま、僕へと判断を仰ぐ。
おそらくミスミは僕と蛙水の会話を傍受し、状況を把握しているが故に判断に迷っているのだろう。きつく結ばれた口元からその心境が伺える。
「ミスミちゃん!
蛙水が今此処でどうこうするとは思えない! 寧ろ時間稼ぎの可能性だってある!
僕はっ……」
そこで自分の決断に覚悟を決めるべく僕は目をつぶり深く息を吐き、そして大きく吸い込んだ。
「ミスミちゃん! 変電所が一番のポイントだというのは間違いない! それが例え陽動だとしても看過できる状況じゃない! だからミスミちゃんは変電所へ向かってくれ!」
「……、幌谷くんは?!」
「僕は……、大橋に向かう! そっちに行く!」
「……、了解しました。
くれぐれも油断されませぬよう、100%。」
そう言い残し、ミスミが倒れたバイクを起こしながら跨り、鋭い音を響かせながらターンして八咫辻の真ん中の道、変電所へと向かう。
ミスミが残していった視線に何とも言えない哀しみを見る。あれは心配だとかの類じゃない。それを僕は十分に理解している。だが僕は選択したのだ。選択すると言うのは覚悟だ。覚悟を決めることだ。
僕は八咫辻にある3本目の枝道、方角的には西北西の方角、この土地を結ぶ唯一の大橋へと走った。
ここ最近ジョギングを日課に取り込んだとはいえ、そもそも雪駄では走りづらい。それを無視し無理やり走る僕の脇腹は早くも痛みを訴え始めていた。火急の状況なのだから律儀に赤信号で止まるのもどうか、という状況だろう。だが僕は遵法精神だとかいうことではなく、ただ単に肉体的に立ち止まった。膝に両手をつき、荒く肩で息をする。
そんな僕の視界を塞ぐように、武骨な軍用車が急ブレーキで停まる。
「お待ちください、幌谷様。」
助手席側から降り立った、まるで執事のような出で立ちの壮年。
目の前の柔和な壮年と軍用車がまるで繋がらない。一体何者なのだ?
そんな僕の疑念の表情に臆することなく、壮年が一礼し言葉を続ける。
「わたくしストーク隊を率いる山柴の者で御座います。
ストークと御呼び下さい。
雫ミスミ様からの要請により、幌谷様をお送りするよう仰せつかっております。」
そう言いながら後部座席のドアを開け、乗るようにエスコートされる。
正直なところ、確かに大橋まで走っていくのは無理があるかもしれない。だが突然目の前に現れて「山柴」だとか名乗られても……
僕の脳味噌に必要な酸素が今は足りていない。判断が追い付かない。
息切れし、応えることも動くこともおぼつかない僕を、ストークと名乗る壮年は柔和な目で見つめた。
「ここで足を止めている場合では御座いません。
貴方は進まねばなりません。そのための足となりましょう。
我々が貴方の手足となりましょう。」
差し伸べられた手を取り車内へと乗り込む。
僕は呼吸を整えることに集中しながら、そのシートへと身体を沈めた。
「件の大橋ですが、鬼の襲撃はまだ受けておりません。
周囲に至っても、その兆しはまだ表れておりません。」
どういう訳か、僕を乗せた車は渋滞に停まるようなことはなく、赤信号に引っかかることもなく走り続けた。
「その大橋についてですが……
交通統制に戸惑っております。高速道路は一時閉鎖を完了いたしました。
しかし、一般道の方は高速道路の閉鎖影響もあり、渋滞が続いております。
橋の上から車を排除するにはもう少しの時間が必要です。
それよりも、」
「人、ですか。」
「仰る通り。
車に関しては物理的な閉鎖で解決が可能です。多少の混乱はありましょうが。
人に関しては、今夜の花火大会が大きく影響しています。
警察組織だけで全員を排除、避難させるには困難でしょう。何か切っ掛けが必要です。」
「切っ掛け……。パニックが予想されますね。」
特定の目的をもって行動している人々を、その目的外へと動かすのは容易なことではない。
時間をかけて、一人一人説得することも出来よう。でも時間も無ければ人も多い。
即効的にそれを為すための方法は大きく分けると二つ。目的を失わせるか、その目的以上の「目的」を与えるかだ。
今回のケースで言えば、彼等の目的は「大橋の上で花火を見る」ということ。
前者の方法として考えられるのは、「花火大会が中止になった」あるいは「この橋から花火は見えない」あたりだろうか。僕の力、「桃源郷送り」で出来なくはないかもしれない。だが彼等、いや花火大会の本会場へと向かっている人々、そして大会関係者。それ以上の人々の記憶にも残る。「今夜は花火大会がある」ということが。それをどう辻褄合わせられるというのだ。僕の能力は「あった事実」を無くすだけで、改変する能力ではない。
規模が大きすぎる。捻じ曲げられた過去の因によって、結果がどう歪曲するか読めない。リスクが高すぎる。
では後者の方法はどうだろうか。目的以上の目的。
プラスで考えるならば、「もっと花火が良く見える、快適でかつ近場に穴場がある」または花火大会以上のものを提示し魅惑する。だがこれは、おおよそ現実可能な方策じゃない。そもそも手だてがない。
つまり、答えはマイナスの状況提示だ。
「無差別テロが起こり危険な状況だ」「橋が倒壊する」「ここに居たら命がない」などなど、自身の命を天秤にかけさせる他ない。爆発が起こるなどの演出も必要だろう。当然、それを実行に移すとパニックが起こる。それを誘導することが出来るだろうか。
もちろん、鬼が襲撃してくれば、それは否応なしに起こることなのだが。
「おおよそ我々と幌谷様の推察は一致しているようですね。
我々は後手に回ることになりそうですが、今から人々の避難誘導の準備に当たっております。
観客を装い、人だかりの内に山柴の者を複数名、忍ばせております。
パニックの最小化を優先いたします。」
「……、心強いです。」
「我々「山柴」は貴方の手足となる存在です。避難、防衛、サポートはお任せください。」
流れゆく車窓から、刻一刻と赤く染まっていく空を見る。間に合うだろうか。
ニコナが花火を見るために、学校帰りに大橋へ行くとメールで知らせてきた。おそらく友達も一緒だろう。
僕は迷わずニコナへと電話を掛ける。考えてみたら、初めての電話かもしれない。
……、一刻も早く状況を知らせなければ。
『……。お客様のお掛けになった電話番号は、電波が届かないか電源が入っていないため、掛かりません。』
なんですと?!
まさか変電所が襲撃され、携帯電話のアンテナが機能しなくなったということだろうか?
いや、そんなバカな。現に信号機や見える範囲の建物から明かりが漏れている。停電にはなっていない。
僕の慌てぶりに気が付いたストークさんが穏やかに話し始める。
「幌谷様。鬼に関する情報は世に流出させるわけにはいかないので御座います。
局地的に通信障害を我々の手によって行っております。何卒、ご理解ください。」
「いや、それは! こちら側の不利になりませんか? それは!」
「あくまで局地的に、で御座います。
つまりは、我々がその局地に入ったということ。そして鬼の出現を認めたということなのです。」
車がハンドルを切り前方の停車車両をかわして対向車線を走る。前から車が来ることは無い。
対して左側は迂回を強いられている車によって渋滞が起きていた。
車が交差点手前で横スライドし急停車する。目の前には警察による通行止め、交通規制が行われていた。
「先ずは、あの先にある警察車両、あのバスにお寄り下さい。」
そうストークさんが告げ、降りて後部ドアを開ける。
降り立った先に鬼がいる。ニコナがいる。
「ご武運を。」
彼はドアに手を掛けたまま、ゆっくりと首を垂れ、僕に向けて礼をした。
そこには僕に対する期待と、鬼に対する確かな抵抗心があった。




