深紫の空に悟りの境地
「あー、憂鬱よね? こんな雑多な場所に身を置かなきゃならないだなんて、気分まで陰鬱になってしまうと思わないかしら? せめても飾りつけと思ったけど無駄だったみたいね?」
飾りつけとは、この無数に散らばる硝子片のことだろうか。
アーケード街のドーム状の硝子の天井が破壊され、足の踏み場もないぐらいに広がっていた。その天井から深紫の空が見える。18時を知らせる鐘が鳴る。
確かにその散らばった無数の硝子片は周囲の明かりを乱反射し、煌びやかな光の粒にアーケード街が装飾されたと言えるのかもしれない。だがそこから与えられる印象は「破壊」という哀しみ以外にはなかった。
その中央に、何処から持ってきたのかアンティークな色合いの椅子に座る山羊面の女がいる。
服装は空の色と同じく深紫のベルベットのイブニングドレス。女の身体のラインに沿い、光と陰を作り体形を強調している。
僕はウズウズと鬼の一団を葬り、アーケード街を駅の方へと進んできた。鬼の来襲があったとはいえ、それほど商店街は破壊されてはいない。それでも暴風が抜けたかのようにあらゆるものが散在していた。
それぞれの店がまるで未だに営業しているかのように明かりを放ってはいたが、店員は愚か人っ子一人いない。人だけがいない。
「相変わらずわたしの邪魔に入るのね? 無駄だと思うけど?
それにしても何なの? その悟りの境地みたいな佇まいは? 馬鹿にしてるのかしら?
まるで情熱というものを感じないわね? ふざけてるのかしら?」
椅子に座りながらも尊大に上体を逸らし、その山羊の眼で射抜くように睨みつける。
山羊面の女の視線の先、そこには白いスーツを身にまとった恰幅の良い男が佇んでいる。背筋は垂直に伸ばされ、豊かな体形にも関わらずすらりとした印象を与える立ち姿。そしてその表情は菩薩の様に慈愛に満ち、全てを受け入れる優しい微笑。背中から伸びる茶色の六本の腕が仏像のようにそれぞれが印を結び、1対の腕が胸部で合掌されていた。三方を顕すが如く、背部でゆっくりと円を描く3つの猿面だけが唯一の動きだ。まさに仏の「悟りの境地」を体現した佇まい。そこだけが静寂している。
「いやちょっと待て、山羊女。
お前が話しかけているのは大佐だ!」
僕は某KFCの創業者を模した等身大人形の反対側、「大佐、山羊、僕」を三点で表すならば正三角形の一つの頂点の位置で刀を構え、山羊女に相対した。
僕が落とした影のように、ウズウズがうな垂れながら並ぶ。
「そしてウズウズ……、そろそろ大佐で遊ぶのはやめておけ。」
どういうメカニズム、能力でやっているのかわからないが、ウズウズはオーラ、若竹色のオーラに浮かび上がる三面六臂の猿を大佐人形に憑依させ動かしていた。もっとも動かすと言っても人形はあくまで人形であり、可動関節の無い人形から生えている腕と猿面だけが動き、本体はただ水平移動しているだけに過ぎない。
こう、なんというか、守護霊的なやつとか召喚獣的なやつとか、あるいは機械、補助マシン的なものがサポートするのは確かに憧れる。だが「悟りの大佐」は慈しみよりも言い知れぬ恐怖しか与えない!
まして可愛さだとか癒しなどは微塵もない! こんなサブはいらない!!
「レッド、ホット……、チキン。」
ウズウズがぼそりと呟く。
「悟りの大佐」の背後で円を描いていた猿面が激しく回転し、それに合わせて六つの腕から夥しい数のご寸釘が掃射される。その様はまるで六対のガトリングガンのようだ。
釘が無数にアンティーク調の椅子に突き刺さり、それに留まらず木っ端微塵に粉砕していく。その木片が紙吹雪となり盛大に舞い散った。
「……、わかった。追加でオーダーだ。」
今のウズウズの攻撃で山羊女を仕留めてるとは思えない。僕は虚空を駆け上がり、上段から紙吹雪の中心に太刀を振り下ろす。が、手応えはない。
「……、
おとりを使うだなんて、なかなかやるわね? でも空振りだったみたいだけど?」
山羊女が渦巻く紙吹雪を纏い、僕らから距離を取る。その言葉とは裏腹に、精神的には奇襲が成功したようだ。狙ってやったわけではないのだが。
「僕、ウズウズ、山羊」でまた新たな正三角形が出来上がる。
右半身で太刀を左脇に構え、息を吐きながら余分な力を排する。自然と姿勢が沈む。僕に呼応するようにウズウズがより一層脱力し、その脱力に相反するように背部にはそれぞれに獲物を持った6本の腕が顕れる。
「やる気満々ね? やる気満々だわね?
でもあなた方にわたしの踊る相手が務まるのかしら? 群舞の一人に過ぎないんじゃなくて?」
山羊女が左腕を上方へと伸ばす。紙吹雪が舞い上がる。
「舞台を沸かせないと、わたしの心には火を灯せなくてよ?」
同じように右腕を上方へと伸ばし、紙吹雪が辺りを覆った。
ゆっくりと舞い散る紙吹雪の背後から、アーケード街を埋め尽くさんとする鬼共が顕れる。
僕らがここに来るまでに葬ってきた鬼の数の10倍はいるだろうか。この数の鬼が繁華街に流れたとしたら……。
僕は表情を崩さぬよう悟られまいとしながらも、その戦慄に生唾を飲んだ。
まるで舞台の終幕かの様に山羊女が両腕を上げた状態から恭しく一礼し、ゆっくりと面を上げたかと思うと、悠然とポージングをとる。
「幕は開けたわ、期待しているわよ? お二人さん?
精々お客を白けさせない程度には楽しませて頂戴ね?」
舞台挨拶を終えた女優か。堂々とした佇まいで山羊女が踵を返し立ち去る。
入れ替わるように立ち昇る紙吹雪の竜巻。それを背に前進してくる鬼の軍勢、あの夏祭りの日と同じ状況だ。つまり前回は予行で今回が本番。目的は鬼共を街中に放ち「混乱」を引き起こすことか。勿論やつらの本命はここではない。だがこの状況とて看過できるものではない。
僕とウズウズで一点突破し、山羊女を追うことは可能かもしれないが、これだけの鬼が街中に流れた時点で「混乱」が引きおこる。それは我々の敗北を意味する。つまり鬼の侵攻を阻止することは必須。
それと並行して山羊女がこれだけで居なくなるとは考えられない。おそらくまだ2手、3手と鬼を放つに違いない。何としても山羊女をここで制圧せねば、同じことの繰り返しだ。
単体撃破能力はウズウズに引けを取らないつもりだが、集団殲滅力は遙かに僕の方が劣る。そのウズウズとてこの数を殲滅するには、それなりの時間がかかるだろう。仮に僕のみであったならば前線維持に留まり即時殲滅は厳しい。ウズウズを残し僕が山羊女を追う方が最善手だろうか。
束の間の逡巡。ウズウズが先行し、山羊女を追うように鬼共の正面中央へと切り込んでいく。
天上でうねり上げた竜巻が三つに分かれ、一つがまさに竜の如くウズウズへと突きさすように降下する。
間髪入れず小爆発が起こったように鬼共がウズウズを中心に吹き飛ばされ、紙吹雪の先端をも巻き込む。まるで開戦一番に敵の前線へ手榴弾を放り込んだかのようだ。
山羊女は既に見当たらない。が、山羊女を追うにしても鬼共の侵攻を防ぐにしてもウズウズの行動は正解だ。束の間とは言え僕に悩んでる時間はない。そして二つのの竜巻が錐揉み状に僕へと牙をむく。
反射的に僕は横へと飛び避ける。だが飛んだ先に居たのは……
「大佐ーーーーーっ!!」
すまん! 大佐! そんなつもりは無かったんだ!!
僕に突き飛ばされた大佐がニ、三度跳ね、地面を転がる。
「ビャクヤ君、そりゃあんまりじゃないか。クリスピーもお勧めだよ!」
渋い声が木霊する。
本当にごめんなさい。大佐……




