高速回遊する修行者
「さて、行くでござるか。」
手に取った太刀が「チャキッ」っと鳴り、確かな重みが手に伝わる。
僕は与えられた部屋で暫しの休憩を取り、身支度を整えて午後からの修練のために道場へと向かった。
「お? 似合わなくはねぇな。」
道場前の壁にもたれ、腕組みしていたリュウジンが僕の姿を見て一言漏らす。
ポージングその他に隙が無い。整えて待っていたのだろうか。
修行のための動きやすい服装とはいっても、インドアな僕はジャージのようなそれらしい服を持っておらず、なんとなく動けそうな夏っぽい服装できたわけだが、心優しいリュウエイ氏から「私ので良ければ」と作務衣を貸してくれた。着るだけで身が引き締まる思いだ。
道場では早速ニコナが他の修行者に交じり、型のようなものの訓練を行っている。
今一度、僕は気を引き締めて一歩踏み出した。
「お前はそっちじゃねぇ。こっちだ。」
おっと、僕は個別指導か? まさかこれから山に入ったり竹林を駆け回ったり、あるいは滝に打たれたりなのか? スタスタと先に進むリュウジンを僕は追いかけた。
「ここだ。ここでこいつらを捌け。」
「こいつらを捌けってさぁ、「青魚」で青魚を捌けと?」
そこはどう見ても厨房だった。そして活きのいい青魚がたくさんあった。そう普通に魚だ!
って、僕は料理人の修行に来たわけじゃないんだが!
「バカ、刀で捌いた魚を喰うやつがいるかよ!」
「てことは、やっぱり食材じゃん!」
「そうだ。今夜の食材だから無駄にするなよ?
まずは刃の扱い方を身体で理解しろ。」
「料理人見習いが、いきなり包丁を握らせてもらえるってのは普通ならありえない、てのはわかるけど。」
「そうじゃねぇよバカ。
いいか? お前は刀の振り方は理解してるようだが、いまいち刃の入り方が体に染みついてねぇ。僅かに角度が甘ぇ。刀ってのはその僅かな狂いで真価が発揮できねぇんだよ。まずはそこを修正しろ。
それと基礎体力も無ぇ。が、それは一日二日じゃどうにもなんねぇ。だから多少でもまともに刀が振れるように体幹を整える。
んま、それは明日からだな。」
実際のところ僕が刀を振れるのは「宝刀鬼殺し」、別名「柴刈乃大鉈」に依存している。ただ指示に従って動いている。いわば僕の方が「道具」だ。そしてその僕のスペックはあまりに低い。
リュウジンが刀を置き、手を洗ってまな板の前に立つ。おもむろに包丁で、既にさくにおろされている身を刺身のように二切ほどに切った。
「やってみろ。」
僕だって料理はしないわけじゃない。リュウジンを真似て二切ほど切った。
その間にリュウジンが醤油と山葵を小皿に用意する。
「食ってみりゃわかる。」
なんつうか、本当に料理漫画みたいだなぁ。
とはいえ、当然比べるのは切り口だ。たぶん醤油、薬味は優しさだ。
「……、リュウジン。
君が料理人になったら?」
「しゃらくせぇ。」
同じ包丁で切ったのに、明らかに切り口の滑らかさというか舌触りが違った。
その違いに気が付いた僕の表情を見て、「それ以上の言葉は不要」とばかりにリュウジンは刀を手に取る。この「長居はしないぜ!」的な淡白さは一体何なのか。
「一応、今夜の晩飯になるからな。
切り方その他はあれだ、うちの厨房の柳さんに聞いて捌け。
取り敢えずなんだ、自分を信じて頑張れ。」
「肉じゃが作れ、の次は魚捌け、か。」
イチモンジの爺さんといいリュウジンといい、刀を扱う者の思考はどうなってるのか。いや血統か。
全くもって明快なようで謎解きな言葉を残し、僕を一人厨房に残し、リュウジンは足早に去っていった。
「バカ、バカって、僕の名前は幌谷だってぇの。」
「貴方が幌谷さんですか。」
って、うぉーーーーー! 何ですか? 誰ですか? あなた!
「わたくし、浦島家の台所を預かっています、柳イソジと申します。」
あなたが柳さん? 全く気配無く背後に立つとか、ほんと心臓に悪いっす!
柳イソジと名乗るその男は、白い和装を身にまとう細身の壮年だった。見るからに職人、和食の料理人っといった感じだった。そして異様に顔が近かった。
「はい! 本日よりお世話になります、幌谷ビャクヤです!」
「面倒を見るよう伺っております。ところで幌谷さん。」
いやすみません。ほんと近いっす!
「先程、わたくしも御稲荷様を頂きました。そして幌谷の性。
幌谷ゲンロウさん、「厳楼寿司」の幌谷さんのお身内の方で?」
「はぁ。
えーと、幌谷ゲンロウは僕の母方の祖父ですが。」
「そうでしたか、やはり。
それで幌谷ビャクヤさん、貴方も寿司職人の道を?」
後ずさりする僕を余所目に、柳さんは僕とリュウジンの切った切り身を、いや正確には僕の切った方の切り身を見ながらにじり寄り問い尋ねた。
「いいえ、僕はそちらの方向ではなく……。」
「なるほど。
ところでゲンロウ親方はお元気で?」
「えっとあのう、祖父は数年前に他界しまして……。」
「なんと。てっきり先程の御稲荷様の味は、ゲンロウ親方のものとばかり。」
「あれは姉が作ったものです。祖父から習ったようでして。
あの、祖父をご存じで?」
「えぇ。昔、流れの板前修業のおりですが……
そこから柳さんの1時間以上に及ぶ回想シーンが始まった。
どうやら代々浦島家の台所を預かっているらしく、初代が元々「流れの板前」だったことから襲名前は全国津々浦々で武者修行、いや板前修業をするのが習わしとのことだった。そんな折、幌谷ゲンロウ、つまり僕の祖父の元で一時期お世話になっていたという。
祖父が「稲荷に愛された伝説の寿司職人」という異名を持っていたものの、その名をはせることなく後年は妻の看病をしながら、ファミリー向けでリーズナブルな「お寿司屋さん」を営んでいた。なんて追加エピソードが挿入されたりした。
さてはリュウジン、長話が嫌で逃げたな?
「さて、長話もなんですし取り掛かりましょう。
一通りの調理はやっておいでのようですね。魚を捌いたことは?」
「えーと、日常の料理程度に少々です。魚は秋刀魚ぐらいなら。」
「なるほどなるほど。
なかなかご家庭では大きい魚はさばきませんからね。ではまずお見せしましょう。
こちらの鰹をさばいてしまいますので。」
準備の整えられたまな板の上に鰹が横たわる。
生の鰹を初めて見た気がする。想像以上に大きい。そして美しいフォルム。
「一口に魚をさばくとはいっても、魚によってやり方は変わります。」
「見事な流線形ですね。」
「そうですね、鰹は回遊魚ですが、高速で泳ぎますからこのような形なのでしょう。そして鱗はカマに集中し、硬すぎて刃が立ちません。故に鱗の下から梳くように削ぎ落します。
次に胸ヒレのところから梳き入れて、カマで中骨まで切り込む。腹、裏も同様に。」
柳さんが解説しながら流れるように出刃包丁をふるう。無駄な動きを感じないのもさることながら、その包丁に力が掛かっているようには見えなかった。まるで線を引いているようにしか見えない。あっという間に頭部が外された。
ワタを出し水洗いしたあと、まな板に戻した鰹に再び包丁が入り、魅入っている間に気が付けば五枚におろされていた。
「刃の入り方、角度についてリュウジン坊ちゃんから言われたようですが。切り口のことでしょう。」
出刃包丁を丁寧に布巾で拭きながら、柳さんが尋ねる。
「えぇ、とはいえどうしたものか。」
「つまりこういうことですよ。」
先ほどおろされた一つをまな板に置き、刺身包丁の腹を当てる。
「いくら私でも、この角度、包丁の腹じゃ切れません。」
「なんだかとんち話みたいですね。」
そして再び包丁を立て、スッと抵抗なく引き切り分けていく。
「正しい箇所に、正しい角度で、正しく引けば綺麗に切れます。
正しい箇所入れなければならないのは、先ほどの鰹でお分かりでしょう。そしてね、デバもサシミも刀と同じく片刃、両刃じゃありません。とはいっても峰に刃がついてるってことじゃ無くね、刃の角度が片刃ということです。これが言うは易しで、正しい角度で切るのが難しい。
また、力で押し切るわけじゃありません。引いて切ります。ゆえに「反り」がある。」
見事な鰹の刺身が皿に造られ、僕の前に置かれる。
「どうぞ、召し上がってみてください。」
僕は鰹を頂きながら、ふと疑問に思ったことを尋ねた。
「えーと、柳さんも鬼を捌くんですか?」
「ははは、私は料理人ですからね。
鬼が食材だったら捌かなくもないですが、食べないでしょ? 鬼は。
初代は龍を捌いた、なんて噺はありますが、それは御伽噺でしょう。」
そう言って笑った柳さんの顔に、連綿と続いてきた「業の重み」を僕は見た気がした。




