エッフェルからのバベルそして五重
エッフェル塔。
フランスはパリのシンボル的存在。1889年3月30日に竣工し、当時としてはそれまでの世界最高位の建造物の2倍近くの高さ、そして40年以上、世界一の高さを誇っていた。
「鉄の貴婦人」と称されるほど、フランス、いや世界的にも有名な美しき曲線美を持つ鉄塔だが、当時は賛否両論に分かれていたという。それまでの建造物とは違い、鉄骨がむき出しの奇抜な外観からか、着工から程なくして建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出し、竣工後は反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンが、エッフェル塔1階のレストランに足げに通い続け、「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言ったことから、「エッフェル塔が嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざが生まれたという逸話があるほどだ。
彼等の反対抗議の出だしは、「われわれ作家、画家、彫刻家、建築家ならびに、これまで無傷に保持されてきたパリの美を熱愛する愛好家たちは、わが首都の真ただ中に、無用にして醜悪なるエッフェル塔、良識と正しい理性を持つ辛酸なる大衆の多くがすでに「バベルの塔」と名指したエッフェル塔の建築に対し、無視されたフランスの趣味の名において、また危機に瀕したフランスの芸術と歴史の名において、あらん限りの力と憤りを込め、ここに抗議するものである。」と、くどい文章から始まる。
確かに芸術的側面から言えば、無骨な鉄骨の骨組みという「骨の3連尽くし」しかないのだから、肌の滑らかさというか表情というか、いわゆる「色気」というものが排されているといっても過言ではなかろう。「我らが貴婦人」との名を冠したノートルダム大聖堂、「聖なる礼拝堂」のサント・シャペル、「芸術の都」の象徴たるルーヴル美術館のあるルーヴル宮。そして最早、地形(通り)までもがその中心の輝きを現すかのようなエトワール凱旋門。そういった芸術の極みである建造物の歴史を経てきた国民から見ればそれも正論であることは認めざるを得ない。
だがそういった反対抗議に対し、設計者であり施工会社の代表でもあったアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルはこう返している。
「塔というものに独特の美がある。われわれ技師が、建築物の耐久性のみを考え、優美なものを作ろうとしていないと考えるのは誤りである。この塔について考慮したのは風圧に対する抵抗である。巨大な基礎部分から発している塔の四つの稜曲線は、塔の頂点にいくに従って細くなっているが、そこには力強い美しさが感じられると思う。」と。
「稜曲線」。そう、まさにその曲線は美しき貴婦人の骨格、背骨のそれであり、肉を削ぎ落した根幹たる曲線美の顕れに他ならない。何と調和の取れたラインか! もはや神に対する曲線美を持っての対抗と言えるのではないか!!
ちなみに彼、エッフェル氏は「自由の女神」の設計にも携わっている。
「鉄の貴婦人」と「自由の女神」という人類史上最高峰の美を生み出した氏に嫉妬すら覚える!!
と、いくらか余談が過ぎたが、僕の部屋の中央には神に挑戦するが如く「バベルの塔」、改め「エッフェル塔」を模倣したかのように積み上げられたお稲荷さん、そう「オイナルタワー」がその存在を前面にアピールし鎮座していた。もはや荘厳的ですらある照り具合とジューシーな色合いだ。
その高さは天に届くとは言わずとも、僕の部屋の天井へと届かんばかりの高さだった。
オイナルタワーの土台、白い大皿。中華料理屋で見かけるような巨大な大皿の下に端を挟まれながら、一枚のメモ用紙が置かれていた。
『はーちゃんへ
お姉ちゃんははーちゃんがその気なら旅に出ます。
探さないでください。
あなたのお姉ちゃん カナデ』
僕はそのメモに目を通し、仮にそのメモを引っ張りよせたならば、このオイナルタワーはバベルの塔よろしく崩れ去るかもしれん。文面にやや疑問を感じるものの、言語がバラバラになるという逸話には則っていなかったのは幸いだったな。
などと考えながら一人掛けの椅子、いつもデスクに向う時に座っている使い慣れた椅子を引き寄せ、慎重にその上に立った。
「無断外泊は流石に、いくら僕が成人男性だとは言え、姉ちゃんに心配かけてしまったな。」
僕は独り言を呟き、慎重に最上段のお稲荷さんを取り上げて口に放り込む。ジューシーな御揚げ、五目御飯の優しい味わいが口の中に広がった。
とはいえ正直なところ、この大いなるオイナルタワー全てを食すことは難しい。僕の胃の中には高貴な野菜たちがいまだ滞在中だ。いったん椅子から降り、皿とトングを装備して再びオイナルタワーに対峙する。このままではラップというベールで被うことすら難しい。
『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう。』
僕はオイナルタワーを崩し、ブリューゲルの「バベルの塔」を模して再構築を始めた。
「とりあえず1週間ぐらい、家を空けてしまうことになりそうだ。その後だって度々、留守がちになってしまうかもしれない。電話もつながりにくくなるかもしれない。
でも僕は……、今きっと、頑張らなくちゃいけない。みんなのためにも僕のためにも。」
皿に一つ一つ仮置きすると、お稲荷さんの中身は五目御飯の他、「山菜」だとか「あさりご飯」だとか、複数のバリエーションに彩られていることがわかった。今迄のお稲荷さん達以上のバリエーションだ。
そういえばここ最近、姉がお稲荷さんを作るところは見たことが無い。一度にこれほどの種類のお稲荷さんを作れるものなのだろうか。言うまでもなく仕上がりのほどを見るに既製品ではない。だが姉の部屋には複数の炊飯器があるというのだろうか。あり得る気がするが、それはまた何とも偏った台所情景ではないか。お稲荷技工士に一切の妥協は無いということか。
僕は目新しいお稲荷さんに遭遇するたびに、皿へと置く合間に口へと放り込む。
「それによって姉ちゃんに心配をかけてしまうのは、本当に申し訳なく思う。
僕にとって唯一の肉親なのだから。」
僕はなかなかの「バベルの塔」再現具合に満足すると、ゆっくりとラップというベールをかけた。
そして僕のベットの上に鎮座する巨大なお稲荷、お揚げの代わりに僕のタオルケットにくるまれ微振動を繰り返すエアーズロック、いや、イナリズロックを見つめた。
「さて、早々に出発しなきゃな。その前にシャワー浴びていこうかな。
いつもごめんね、姉ちゃん。そしてありがとう。
落ち着いたらフルーツパラダイスにまた一緒に行きたいな。」
僕はイナリズロックに独り言を告げ、浴室へと向かった。
熱いシャワーを顔面に浴びながら僕は思いをはせた。エッフェル塔、バベルの塔、エアーズロックを打ち付ける豪雨。激しく打ち鳴らされる雨音。人の業はおろかその想いすら洗い流さんとする天からの水撃。
僕は鬼に抗わんとするのか、それとも天に抗わんとするのか。
ひとしきりの思考の後、僕は決意を固め、シャワーを止めた。
バスタオルで頭をガシガシしながら戻った部屋に、イナリズロックは居なかった。
代わりにベットの上にはカバンと、折りたたまれた1週間分の着替えが置かれていた。
そしてテーブルの上には五重塔、いや五段の重箱が、敷かれた風呂敷の上に鎮座している。中は確認するまでもなく、お稲荷さんが規則正しく並んでいることだろう。崩れることなく完成された荘厳美を放ちながら。
『頑張りなさい。』
その重箱の上には、先程のメモの裏に一言だけそう書かれ、静かに置かれていた。
「うん、頑張るよ。」
僕はそう呟き返し、再度、頭をガシガシと拭いた。




