母の恵む夢物語
サクッ
庭先。音の先の闇を切り払うように一筋の月光が差す。
緋袴の朱が月明かりに映える。白衣が妖艶に光を纏う。
光と色で静寂が奏でられる。
「いくら気配を断とうともその兆し、見えぬわたしではない。」
千条ヤチヨがゆっくりと振り返り、庭先へと目を細める。
直線的な黒髪がハラリとなびく。黒艶が夜明かりを纏い銀光を残す。
「そも、この場に来るであろうことは予測していたがな。」
徐々に差し込む月下の元、巫女が姿を現した。
「のぅ、脳無しよ。」
って、ウズウズ何してんの? なんで巫女スタイルなの?
サクサクサク、モグモグモグ
って、何食べてるの? ウズウズちゃん?
何々? さっき投げつけられたのって食べ物なの? サクサク系なの?
軽快なの? 軽やかで香ばしいの? 風味豊かなの?
「佐藤ウズシオに「うずしおパイ」。
ふふふ、来島海峡は愛媛県今治市より取り寄せた甲斐があったというもの。」
なに! うずしおパイ、だと!
ウズウズにパイで、うずうずパイパイだと!
「この場に降りたのも、今生の桃太郎の身を案じてのことであろうな。
美味いか? 脳無し。
食べ物に釣られるところは、ふむ、変わらんな。」
「あー、モンド……。」
嗚呼、翻筋斗打つ! 僕の心がもんどって、宙返りして、トンボ返えって、でんぐり返しする! まさか僕の混沌に止めを刺さんとするは巫女うずパイ!
僕の身をあーんして美味いとか! 美味いとか!
巫女パイが美味いとかぁーーーっ!!
「ふむ。
他にも「うず潮まんじゅう」と「くりまん」もある。
良きかな。上がれ、脳無し。」
ウズシオまんにクリまん……
もはや領域を超えている。僕の精神状態よりも、ここの規約、存続の方が心配なレベルだ……
普段の僕が言える立場では無いのは重々承知している。だがあれは脳内ゆえの内心の自由。ギリギリラインを渡り歩いている綱渡りボーイなだけだ。
ウズウズが縁側より上がってとぼとぼと進み、僕の横に当たり前に座る。
SPの一人が、手際よくコポポポポと電気ポットから茶を沸かし、ウズウズの前へ茶碗をスッと差し入れる。図体に似合わず、なんと繊細で手際の良いことか。
茶葉の豊潤且つ清廉な香りが、ゆらりと辺りを支配する。
この和室。威圧感たっぷりな外国人黒スーツ×2と清純派辛辣女学生、そして脱力巫女ウズウズ。さらには何ゆえに割烹着幼女かヤチヨ様、か……。
なんだろう、この場にカオスな人物以外、いないのかなぁ。
「ウズウズは何ゆえに日本の象徴的聖女衣装、いや、何ゆえにここに?」
「ほろぅやー、旦那さん……、攫、われ、た。」
なるほど。
皿割れて、「サラ、我ぇ、播州皿屋敷かぁ!」で、1まーい、2まーい、3まーいときて、足りなーい、っとね。
うらめしやーっとね。
うーむ。この場に足りないのは常識的見解、ノーマルな思考じゃないかなぁ。
「察してることと思うが、僕は大丈夫だ。」
確かにそこの外国人SPに攫われたに等しいが一応、僕の身は安全だ。
もはや混乱に上乗せして混乱だとは言え、身体的なダメージは確かに、無い。
「……。」
「うん、ウズウズ。
確かに身の危険は無いわけれどもね!
着座からモグモグと饅頭を食べ続けているけれどもね! 饅頭怖いのかな? そろそろお茶が怖くなるんじゃないかな?」
ウズウズが僕の身を案じて馳せ参じたことは感謝してやまない。
だがその喰いっぷりに「ヤチヨ様に早くも懐柔されているのでは?」と思うと、僕というよりウズウズの今後の人生の方が心配になってくる。前世の因縁か何だかはわからないが、あれか? きびだんごで雇用されてたからか?
食べ物で買収されるウズウズ。安価なウズウズ。
護ってあげたくなるような儚さというか、安価さは健在か、ウズウズ!
見事な食べっぷりを見て、ヤチヨ様が満足げに頷く。
「今生の桃太郎たる幌谷ビャクヤ。お前も遠慮せず食べても良いのだぞ?」
「それじゃあ、遠慮なく……」
僕は少しでもこの環境に慣れるべく、冷静さを取り戻すべく、菓子を手に取った。
主力商品なのだろうか、包みには「母恵夢」と書かれている。
母が恵む夢。なんと慈愛に満ちた言葉なのだろうか。
口に一かけら含む。優しかった母の笑顔が蘇る。柔らかさが僕を包む。
「優しい味わいですね、このハハエム。」
「エリック。」
傍らで給仕していたエリックと呼ばれた方のSPが、やはり無表情のままスーツの内ポケットからハリセンを取り出し、流れるようにスナップを効かせて僕の後頭部を跳ね上げた。
「バリィーーーーーっ!」
「違う。
母恵夢と書いて「ポエム」と読む。名を間違えるは失礼と知れ、桃太郎。
作り手に代わって打つ。」
「……すみません。」
よくよく見れば包みにアルファベット、英語で表記されていた。
キラキラネームでは? とか言い訳したくなったが、愛情深いその味には勝てない。
なんだろう。じいさんもばあさんもツッコミが容赦ないんだが。ボケてるのは僕じゃないのに。いや、お二人が呆けていらっしゃるとか、言いたいわけじゃないですが。
「さて、悪ふざけもこれぐらいにして」
そう言いながらヤチヨ様が優雅に茶を飲む。正直な話、僕はふざけているわけじゃない。
優雅であり幼女らしからぬ落ち着きがあるものの、両手で茶碗を持つ姿は愛らしく幼女っぽさが前面に出ている。うーむ、そんなことは勿論、口には出せない。そんなことを口に出そうものならば、またいつハリセンが飛んでくるかわからない。
皆が皆、静寂を保つ。次の言葉を待つ。
確かにウズウズは言葉数は少ない方だし、カグヤも必要なこと以外は喋らない感じだし、そもそもSP達の声は聞いたことが無いし、だが。
だがこの場の主導権はヤチヨ様にあり、全てが集中している。
虫の声すら聞こえない。
「今宵も限りがある。眠る前の物語としては少々重たいかもしれんな。
寝具を用意するがどうする、幌谷ビャクヤ。」
「いえ、無断外泊すると姉が心配しますので。」
「ほう、厳格な家庭環境だな。」
姉の心配は厳格とはまた別ベクトルだが。いわゆる幻覚違いだが。
「では、まずは何処から話そうか。」
そう、前置きしてヤチヨ様の口から、ゆっくりと桃太郎の物語が語られる。
物語が語られるにつれ、ずっしりとした質量が僕の中にもたらされる。
断片的だった記憶が肉付けされ、リアルな実体を持ち始める。血肉が通い脈動を始める。
おじいさんとおばあさんのこと
鬼のこと
桃太郎のこと
転生のこと
そしてこれまでの歴史。
これが本当に史実だというのならば、真実だというのならば、僕というアイデンティティーはなんなのだろうか。どうなのだろうか。僕は何者なのだろうか。僕という存在はまるでプログラムではないか。
今迄の人生は何なのか。決まっていたことだというのなら初めからそうすればいいではないか。僕は僕であって、僕ではないのか。仮初か。
そのことが僕の中で消化されるのを、ヤチヨ様はじっと待つ。
僕から目をそらさずにじっと待つ。その目は優しさも哀しさも全てが押し留められ、感情を抑え、覚悟だけが宿っている。同情や謝罪などというもので誤魔化すのを非としている。
僕が仮に非難しようと罵詈雑言を吐こうと、全てを受け止める目をしている。
結果的に僕の逃げ道は塞がれている。
いたたまれずに僕は、ヤチヨ様の隣に座るサクヤを見る。
対して圧倒的な感情の無さ。まさに虚無。宝鏡カグヤの明るく輝かしい笑顔の面影は全くない。同一人物だとは信じがたい。その空虚な目の奥に、僕の感情だけが写し出されていた。
サクヤの中に僕を見る。
僕はいったいなんなのか。
僕は視線を落とす。
僕は深く、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「母が……
恵む夢物語にしては、確かに重たいのかもしれません。」
僕は思考を繰り返す。廻り廻らせる。
言葉を紡ぎ出す。




