カカッとサクッとHOT・LINE
コッ カッ コッ カッ コッ カッ
大きな振り子時計が規則正しく時を刻む。部屋の中を時計の音だけが静かに支配する。
目の前には一枚板で作られた、大きく重厚な座卓がある。磨き込まれ手入れされ、鏡面の如く艶やか。その年季が逆に価値を上げていく代物だ。
座卓の上には湯飲み、ではなく茶碗。光沢が抑え込まれた黒く重厚な茶碗。注がれた緑茶の薫り高く、ゆっくりと湯気を上らせている。その奥にはお茶請けだろうか。菓子が盆に添えられる形で置かれている。さらにその横にはその菓子の包みか、「母恵夢本舗」と印字された箱が置かれている。
視線を上げ、ゆっくりと部屋の全体を見回す。
床の間に書が飾られている。全くもって読めない。何と書かれているのだろうか。ただその認めた者の雅号と落款、つまりサインと印影には見覚えがあった。
「オノマトペ研究会」部長のやつかよ! どういう経緯かはわかりませんがこの緊迫した状況下にあって、このような形で再会できて嬉しいです……。ちょっと心細さが和らぎました……。なんて書いてあるのかは相変わらず読めませんが。
その下には夏を彩る花々が生けられていた。立体的に彩る花々が命の謳歌と儚さを感じさせる。
部屋全体がそうだが、古風な和室にモダンでハイカラな趣向が施されている。調和している。ここの家主のセンスの良さが感じられる。
出入口、廊下、縁側に面した障子の方を見る。
夜だと言うこともあり、外から映す影のようなものは見えない。ただぼんやりと、青い光が一筋だけ差していた。街明かりか街灯か何かだろうか。
その障子の前に二人の男、二人の大柄なスーツ姿の男。外国人SPが無言で佇む。無言にして不動。そして只ならぬ威圧力。昼間に見た人たちとは違う人物、ヤチヨ様のニューSPが二人。
そう、言うまでもなくここはヤチヨ様の屋敷の一部屋だ。
夕方、遊園地からの帰り道にお好み焼きを皆で楽しく美味しく食べた。その後、駅前で解散し三々五々、それぞれが帰宅したことだろう。僕はレンタカーを返却し、今日の疲れを癒すべく熱めのシャワーを浴びた。シャワーから上がったところでスマホを見るとミスミからメールが来ていた。
「2100にヤチヨ様の者がお迎えにあがるそうです。」という、ちょっとばっかし他人事な文面に、つまりミスミちゃんは同行しないのか、と少々不安になりながらも僕は「了解」を示す絵文字を送っておいた。少々くだけた感じの絵文字だったが、今のミスミとの関係なら受け止めてくれるに違いない。
時間になり「少々涼しくなってきたかな?」とマンションを出たところで、この二人のSPに半強制的に拉致られた。
いやま、お迎えに来られたんでしょうけども? 無言で襟首掴んで、後部座席に放り込むようにして乗せるとか? 着くまでの間、終始会話無しとか? 不愛想にもほどがあるではないか。
もちろん逆らえないわけだが。
いやだが、問題はそこではない。今一番、困惑している問題はそれじゃない。
僕は正面へと視線を戻す。
僕の前には、座卓を挟んで「神のSラインを持つ完全なる曲者」、日傘をさす黒髪の女学生。サクヤが座っていた。
確かヤチヨ様が電話で「サクヤ」って言っていたような気がするし、度々僕らの前に、鬼との交戦時に現れていたし、サクヤが関係者であるのはわかるのだが。
いや、問題はそこじゃない。
僕は再び視線を外し茶を飲む。まだ少し熱い。
出来ればこの状況下、ゴクゴク飲める良く冷えた麦茶辺りが飲みたい。
室内であるが故に当たり前なのだが、常識的にも当たり前なのだが、日傘女、サクヤは今現在、日傘をしていない。そして初めて正面から相対している。つまり初めて顔を見た。
なんで僕の目の前に、国民的スーパーアイドル「宝鏡カグヤ」がおるの? 今や飛ぶ鳥を落とす勢い、あり得ないぐらいの美少女、信じられないぐらいの清純派かつ正統派アイドルの「宝鏡カグヤ」が、なぜ僕の目の前でお茶を啜ってるの? 今は服装が女学生、そう花咲八千代学院高等科の制服に身を包んでいて、あぁ! これはこれでアイドルの日常を垣間見ることが出来て新鮮!
ってそうじゃなくて!!
「あーんと、御姉妹とかいらっしゃったりするんですか? 一卵性双生児な姉妹とか。」
「年の離れた弟がいますが、それがなにか?」
その声そのトーンその抑揚、トンカツ屋の幸子さん!
そうだった、幸子の声優は宝鏡カグヤだった! おっと声優デビュー、このまま声優業も躍進か? とあの時は驚いたものだった。
いや声だけではない、その神のSライン、背丈から髪の長さに至るまで全てが符合していたではないか。だがそのサクヤが発する言葉の数々、それがあらわす内面性、言葉のみならず物理的にも振るわれた暴力。全くもって「サクヤ」と「宝鏡カグヤ」を結びつけることが僕は今日に至るまで出来なかった。のっけから否定していた。
だが僕は「もしやあなたは、国民的スーパーアイドルの宝鏡カグヤ様ですか?」とは、今更聞けない! 聞けるわけが無い! 僕ほどの観察眼を持つ者が何たる失態か!
そもそもなんかわからんけど、緊張してそれどころじゃない!
「あー、茶菓子がおいしそうだなぁ。
母、恵、夢。なんて読むんでしょうね? ハハ・メグムユメ?
あぁ母はMOTHERだけにハハエムかな? ハハハ。」
「E・N・D。ウザさを通り越して純度MAXでウザい。
無理して話題を作らなくても結構です。」
「ね?」
「……。」
「……。」
見た目はどう見ても「宝鏡カグヤ」なのだが、日傘サクヤは今までと変わらぬ辛辣さだ。僕は二人のSPに助けを求めるべく見上げ、同意を振るも不動の威圧力。
もうさ、あれだよね? 君たちはいないのと同じだよね? だからさ、せめてその無駄な圧力やめてくれないかな? 全然、僕の心が救われないのだよ!
そうだ。こういう時こそ心頭滅却だ。
目をつぶろう。まずは視界に入る余計な圧力を排除だ。
いや悩ましい。それだと「神のSライン」を見ることが出来ない。
いやまて。日傘サクヤは今は目の前に座し、後ろ姿はおろか、座卓ブラインドで下半身も見えないではないか。流石に後ろに回り込むなど出来ないではないか。何かを落としたふりをして座卓の下をのぞき込むなんてこと、出来はしないではないか!
いや確かに見える範囲内でも目も眩むほどの曲線美が散りばめられている。茶碗を持つその手先のライン、二の腕から肩にかけてのライン、その肩にサラッとかかる艶やかな黒髪のライン。
そして、あぁ!
その黒髪からのぞく顎のラインのなんと神々しきことよ!
やはり僕の目に狂いはなかった!
画面を通してしか見たことのなかったから仮説の域を出なかったが、やはり「宝鏡カグヤ」は神に愛された曲線美の申し子なのだ! いや曲線の女神降臨なのだ!!
なんてことだ! 全くもって心頭が滅却できないから曲線美もまた涼しくはない! 僕の心にHOT LINE !
あぁ、あぁ! 僕はこの曲線に魅了し、堕ち、焼かれてしまうというのか!
僕の人生はここで費えるというのか!!
そんなこんなで僕は悶々と、人生の一部の時間を費やした。いったいこの混沌の炎はいつまで続くのか。
などと我に返ったところで、精神的なアップダウンのダウン、つまり冷静になったところで、障子に動く影と床板を進歩む音がこの「静寂な混沌の炎」を打ち消した。
「待たせたな幌谷ビャクヤ。今生の桃太郎。
少々こちらの準備があったものでな。」
カカッ、と障子が開き千条ヤチヨが姿を現す。
「と、その前に、ヴィクトル。」
ヴィクトルと呼ばれたSPの一人が、威圧力たっぷりの無言のまま電光石火の如きスピードで、スーツの内ポケットから茶色い物体を取り出し、振り返りざまに開け放たれた庭先へと投擲する。
サクッ、と小さな音が闇夜に響き渡った。
その音でまるで闇夜が払われたように、雲の隙間から一条の月明りがその庭先へと静かに差し込んだのだった。




