アキレスはW㏌Rを夢に見る
「ぎゃーーーーーーーーーーーーらっく、すぃーーーーーーーーーーーーーっ!!」
最早ここまで来ては落ちキャラ。正真正銘、文字通り身体張っての「落ち」キャラ。
無論、闇落ちでも出オチでもない。オチ担当かと言われればそんなつもりはサラッサラ無いのだが、僕の話である以上、それは止むを得まい。自身の話は最後まで責任を持たねばならない。
ユイ先輩との至福のひと時を過ごしていた僕だが、タイムキーパー・ミスミから1時間前、30分前、15分前と、減数分裂あるいは半減期のように二分の一でメールによる通知が来た。
『走ることの最も遅い亀ですら最も速いアキレスによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである。』
って、最終的にカメの背中に密着すアキレスに恐怖だわっ!
ミスミの迫りくるメールに戦慄を覚えたわっっ!!
そんなトイレでも我慢しているかのように落ち着きがなくなっていく僕の様を見て、事情を察してかユイ先輩が自身のスマホを取り出し、呟くようにきりだした。
「もー、ママったら迎えに来たけど、だって。
一人で帰るって言ったのに。自分のサロンが終わったらからって、すぐこれなんだから。」
と明るく申し訳なさそうな様子で笑った。
まるで自分の事情で席を立つかのように振る舞う彼女の気遣いに、僕は自身の未熟さを恥じた。それすらも包み込むように「今日は楽しかった! また来たいね!」という彼女の言葉に促され、僕らは博物館を後にしたのだった。
あぁ、彼女は。ユイ先輩は僕の女神だ! ここはまさに天界だったんだ!!
という余韻に浸る間もなく、僕は落ちた。
いや天上の楽園より地上へ落とされた。文字通りに。
遊園地に戻った僕を出迎えたのは「ルシファー」と名付けられたバンジージャンプだった。「結構面白かったからやってみて?」と笑うニコナに促され、まったく何のアトラクションかわからずに階段を上り、ロープやらハーネスやら装備させられ、気が付けば地上を見下ろす板の上だった。
「これを……、飛べというのか。」
「中抜けした罰にしては緩い方だと思うけどなぁ。」
「いやしかし、それは大人の事情という…」
「ロープ外す? にぃちゃん?」
「飛ばさせていただきます。」
というより落ちるだけどな。兄を落とす、いや堕とすのはいかがなものか、ニコナよ。
そして落ちるよりも引き上げられる感覚の方が辛いのはなぜか。そこに救いを感じることは出来なかった。まさに堕天だ。僕は天より見放された者なのだ。追放された者なのだ。
「お兄さんって、ニコナが言ってった通り!
下手なリアクション芸人より、よっぽど面白いねぇ!」
「ヒヨリン? 失礼なこと言ったらだめだよ?
お兄さんは本気で目指してるんだから、夢を応援してあげないと。」
いや待ってくれ、ヒヨリンちゃんに琴子ちゃん。僕はリアクションを取るために、君のチューバ―になるために飛んだわけではない! まして目指してなどいない!
図ったなニコナッ! まさか僕が天界に言ってる間に打撃を打ち込み、怯んだすきに背後に回ってからのっ、ジャーマンスープレックス・ホールドで仕上げてくるとはなっ!!
「こればかりは避けようがありません。」
ミスミの何の慰めにもならない言葉に、僕はアイコンタクトで作戦コード『フェリス』の遂行状況を尋ねた。だが返ってきたのは、ジッと見つめる視線だけだった。
こいつが世に言うジト目ってやつかい? そうなのかい? 目は口ほどにものを言うってやつなのかい? あれかい? キーミッションを発動せよってことなのかい?
「あ~、んん~。
僕は高いところが嫌いなわけじゃないけれども、あれだなぁ。
もっと何というか雄大な景色を、そう、雄大な景色をのんびりと見たいなぁ。
おっとあれは観覧車じゃないか! あぁいうので見える景色は、さぞかし壮観だろうなぁ。
ニコナどうだい? おや? 観覧車の定員は4名までかぁ、そうかぁ。
じゃあこっちは二人で乗るから、ニコナ達三人で乗ったらどうだい?
ミスミさんもご一緒にいかがですか?」
「あたしたち4人で乗るから、にぃちゃんは独りで乗ればいいじゃん。」
そうくるか、ニコナ! そんなに中抜けしたことが不満か!
「なになに? もしかしてお兄さんの告白タイ
ムグッモゴッ、ウィンヌァー、ロゥルーゥ……」
ヒヨちゃんの突撃リポーター並の横入りが、薫り高いウィンナーロール、略してW㏌Rに文字通り揉み消された。
よもや「女子に食べさせたいパン」ナンバーワンが、このような形で成されるとは、諸兄にしても不本意であろうことは察してやまない。全く僕らのWinning Roadとは程遠い。
「そこは大人の対応しないと。」
その件のウィンナーロールを友達の口にねじ込んだ琴子ちゃんが、にこやかに呟く。いや察してる方向も間違っているのだが。
今の中学生女子は、パンで友達の不必要な発言を制するのがスタンダードなのだろうか。それともニコナ達の常設ヒヨちゃん対策なのだろうか。
そんなウィンナーロールをポシェットから出したような気がするのは、きっと僕の見間違いなのだろう。
そんなことは琴子ちゃんに限ってお兄さんは許しません!
「ま、いいや。
にぃちゃんなら最高度からバンジージャンプしてくれると思ったけど、まぁいいや。
行こっ、ヒヨリン、琴子。」
投げやりに酷いこと呟かなかったか? 確かに一番最初に約束したのはニコナだったかもしれないが、僕とてスケジュール過密なんだぞ? 「まぁいいや」と二回も言わなくたっていいじゃないか。
先に乗り込むニコナを追いかけるように、未だもぐもぐするヒヨリンの背中を押しながら琴子ちゃんが続く。チラッと振り返った琴子ちゃんのあの笑みは何を語っているのか。
「任せてください」なのか「上手くやってください」なのか。いずれにしろ僕にどうしろというのか。
「では、我々も。」
微妙に緊張した面持ちでミスミがニコナ達の次の観覧車に乗り込む。
狭いようで意外と広いよな、とか思いながら、ミスミと対角線上に向かい合わせに僕は座った。
「あのー、やっぱりあれかな?
高いところが好きというか、得意なほうなのかな?」
案外、二人っきりの空間は変に意識してしまうものだ。そもそも逃げも隠れもしようがない。
「苦手ではありません。
ただ見晴らしが通るのは良いのですが、相手からも見つけられやすいので狙撃向きではないですよね。」
いや、戦略上の話題ではないのだが。
だがその言葉にふと、ニコナ達の方を振り返った。ちょうど前半は見下ろされる形なわけだが、こちらを観察するヒヨリンちゃんと目が合った。僕は一応、手を振ってその視線に応え、視線をミスミへと戻した。
「作戦の方は順調なのだろうか。」
「少々、観覧車に乗るタイミングが遅かったように思いますが、概ね順調です。
72%まで遂行といったところでしょうか。」
いつものミスミに比べると、やや歯切れの悪い返答のような気がしたが、一応は無事に推移しているようだった。あとはW&CのCEOだか何だかに会うタイミングだけだったが、未だに連絡は来ていなかった。
「遊園地って煌びやかですよね。」
ちょっとした僕らの、いや僕の物思いによる無言の後、ミスミが僕から視線を外し、眼下に広がる遊園地を見つめながら呟くように切り出した。
今更ミスミの横顔、寂しさ漂うその横顔を初めて見たような気がして、正直、美しいと思った。
「ボクは……、
ボクは遊園地には仕事では来たことがありますが、プライベートでは初めてです。
小さい頃テレビで見て、行きたいなぁって憧れた記憶があります。」
「うん。」
僕はその横顔を見つめながら、話の邪魔にならないように相槌を打った。
「上手くは言えないかもしれませんが、家族だとかその……、仲のいい人だとか、
そういう人たちの幸せの象徴な気がします。
特に観覧車は遠くの、いつもは見られないずっと遠くの景色を見られる、未来への希望だとか、幸せへと続く明るい、何というか夢というか、そんなものへの……」
「うん、わかる気がするよ。」
僕もミスミから視線を外して遊園地を見下ろした。
そこに広がるのは、生活から切り離された、それでいて心の中には広がっている希望の世界だった。
一時の夢の世界なのかもしれない。だけれどそれは、人々が求めそして手に入れる、小さくて大きな幸せの象徴だ。
「だからそれをボクは守りたいです。」
ミスミが僕へと視線を戻し、少女のように微笑む。
その微笑には僅かに隠し切れない哀しみを帯びていたような気がしたが、僕はそれに気が付かないふりをして微笑み返した。
観覧車が4分の1を超え、軌道を内側へ、更なる高みへと変えていく。
ミスミが立ち上がる。
その声と同調していた柔らかな空気がなりを潜め、いつもの冷静なミスミに戻る。
「だからそれを、ボクのこの時間を!
全てを台無しにする存在を、ボクは許すことが出来ません、100%」
ミスミが持っていたバッグからハンドガンを取り出し、素早くスライドを引いた。




