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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第1幕 御伽噺は語りだし歯車は廻りだす
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二匹の黒ネコおよび特製中華まん

 直径1mのちゃぶ台を挟んで向かい合わせに、僕と壇之浦は良く冷えた烏龍茶を飲んでいる。なぜ僕は壇之浦こと、元父親こと、この男と茶を飲まねばならないのか。

家具や調度品の極端に少ないこの部屋で、唯一この部屋の家主の存在をアピールするものが、傍らに干されたブラジャー達だった。干されたブラジャー達はアミド越しに入ってくる夏風にふかれ、風鈴のようにゆらゆらと揺れている。風流をはるか彼方に置きやって、もはやこの8畳一間の部屋はカオスではないか。


 僕はその揺れているブラジャー達を見上げた。円形のピンチハンガーには六つのピンチがあり、六つのブラジャー達がセットされていた。その円形のステンレスの光はリボルバーのそれを想像させ、そこには非常識にも二発づつの弾丸を装填することが可能となっている。つまり合計12発の弾丸だ。いや、弾丸なんて生ぬるいものではない、もはや特製中華まん級の大砲の弾ではないか。

僕に狙いをつけ、12発の特製中華まんが次から次へと発射される。僕はその柔らかな愛に包まれ、至福という窒息ののち意識が遠のき昇天していく。

あぁ、カオスだ。



「んで、嬢ちゃんはどこ行ったんだ?」


「僕が知っているわけないだろ。」


 そう、ここの家主こと佐藤ウズシオは、いったいどこへ行ったのか。

僕と壇之浦、ネコの鈴木と高橋を残して。



 遡ること30分程前。


 僕は駅から自宅へと向かって歩いていた。夕方近くだとはいえ日差しは和らぐことなく、暑さで汗が止まらなかった。パン屋の角を曲がったところで、とぼとぼと歩くチャイナドレスの女を見つけた。後ろ姿でわかる。あの猫背でとぼとぼと歩く姿は佐藤ウズシオだろう。

そしてなぜ、その猫背の背中の上にネコを二匹乗せている、佐藤ウズシオ。

「猫背だけに」とでも言いたいのか、佐藤ウズシオ!



「何をしてるんだ、こんなところで。」


「帰るとこ。」


 視線を合わせずとぼとぼと歩きながら答える佐藤ウズシオ。いや、そういうことを聞いたつもりではないのだが、まあ帰宅途中だということか。

過去に猫耳、ネコのしっぽ、あるいはネコの着ぐるみを装備した女子は、二次元に限っては見たことがあるのだが、ネコそのものを装備した女子を見るのは人生初だぞ?

それで萌えキャラになったつもりか?



「そのネコ飼ってるの?」


「鈴木と高橋。」


「え?」


「黒いの鈴木。」


 黒い方のネコが「鈴木」と言いたいのか。しかし二匹とも黒いネコだが、佐藤ウズシオには別の色にでも見えるというのだろうか。そして名前が「鈴木と高橋」だというのは、自分が日本で一番多い苗字の「佐藤」で、第二位と第三位が「鈴木と高橋」だからだとでもいいたいのだろうか。

僕はその辺の追及はやめておいて、ネコを一匹持ってやることにした。鈴木か高橋かはわからないが、黒ネコは素直に僕に抱かれた。猫耳女子は最高だが、本物のネコも悪くはない。


 佐藤ウズシオはとぼとぼ歩く。僕もこの暑さでとぼとぼ歩く。向こうは背中に黒ネコを乗せ、僕は両手に黒ネコを抱き、並んで歩く。

チャイナドレスというものは、これほどボディのポテンシャルを表現するものなのだろうか。僕は佐藤ウズシオを真横から観察する。身長は猫背を矯正出来たと仮定すれば、160cm前後といったところか。猫背の角度は概ね45度。そして、まるで「この猫背はこれが原因です」と言わんばかりに胸に抱えた、存在感、重量感が半端ない二つの特製中華まん。

一口かぶりつけば、そこからは芳醇な香りが漂い、その柔らかな口当たりと共に、脳髄を直撃するような甘い肉汁が、口いっぱいに広がるに違いない。しかし、僕はこの暑さの中で、熱々の特製中華まんなど食べたくは無い!

真冬の凍えそうな、死を覚悟する雪山登山の最中では、今はない!



「それにしても、今日は暑いな。」


「ん。」


 いい感じに会話が続かないな、佐藤ウズシオ。まあ僕としても下手な社交辞令的会話を繰り広げるよりも、最低限の情報交換、情報共有ができれば、なんの不満もないわけだが。馴れ合いの会話などに何の価値もないのは確かだ。


 僕は重力の存在について考える。万有引力を発見したニュートンは確かに偉大だが、落ちてきたのがリンゴではなくて、落ちることのできない中華まんだとしたら、彼の人生、彼の発見も別ベクトルで偉大になっていたかもしれない。

インド独立の父、マハトマ・ガンディーは言っている。「愛の掟はちょうど重力の法則のように働く」と。続けて彼は「愛の掟に気がついた人は、我々の今日のどんな科学者よりもはるかに偉大な学者だろう」と言っているが、佐藤ウズシオの持つ二つの中華まんは「愛」なのだろうか。

愛の重さゆえに45度の猫背となっているのか、愛の重さに抗うがゆえに45度の猫背を背負っているのか。

僕は暑さで思考能力が緩やかに鈍化していくのを、高胡の甘美な音色に身を任せるかのように味わっていた。



 無駄に高い電柱の角を曲がり、中小路に入る。何の変哲もなく、特徴もない通りだが、見覚えのある通りだ。

そりゃそうだ、ここは僕の住むマンションの前の通りだ。僕は鈴木か高橋かわからない、腕の中の黒ネコを見る。大人しく僕に抱かれているのは幸いだが、僕の家を通り過ぎる前に、佐藤ウズシオの元に戻って頂かなければならない。それに暑い。


 佐藤ウズシオに声をかけようかというタイミングで、彼女はとあるマンションのエントランスに入っていく。

ここが佐藤ウズシオのマンションなのか?

僕の住むマンションの斜め向かいではないか!

僕は佐藤ウズシオに声をかけるタイミングを失し、やむを得ず後に続く。こんなに近くに住んでいるのか?

ここに住んで一年以上になるが、こんな特製中華まんを二つ持った女性を見た記憶はないぞ?


 佐藤ウズシオは何も言わず、3階まで階段で上ると、ずらりと並ぶドアの一つを開けて入る。

エレベーターは使わない主義なんだな佐藤ウズシオ。そして鍵もかけない主義なのか佐藤ウズシオ!

これ以上疑問符を増やさせるな佐藤ウズシオ!!


 鈴木か高橋の黒ネコは、我が家だと悟ったのか、僕の腕から降り、背中を高くし伸びをする。


「じゃ、帰るな。」


 僕の発言が聞こえないかのように、佐藤ウズシオは小さな冷蔵庫から氷をグラスに入れ、そのグラスにペットボトルの烏龍茶を注ぎ、僕に向ける。

確か暑い。僕の喉は、その冷たそうな烏龍茶を欲している。玄関で佇む僕と烏龍茶の距離は2m弱といったところか。

8畳一間の部屋には、小さな冷蔵庫とちゃぶ台、そしてネコの餌入れらしきものしか、床に置かれていない。

窓際の上空には、洗濯物が干されているのが見える。



「お邪魔します…。」


「買ってくるの忘れてた。」


 良く冷えた烏龍茶のグラスを受け取ると同時に、家主である佐藤ウズシオがまた出掛けてしまう。

残された僕と黒ネコ二匹は、どうすれば良いのか。黒ネコ達は餌入れに併設された水を交替で飲むと、部屋の日陰になっている傍らに丸くなる。


 僕は居た堪れずに烏龍茶を二口ほど飲み、ちゃぶ台の前に座る。

留守番していた方が良いのだろうか。それとも元々、鍵をかけてないようだし、烏龍茶を飲み終えたら、勝手に帰って良いのだろうか。確かに僕の家は歩いて2分30秒程だろうし、特別急ぎの用もないのだから留守番していても良いのだが。

僕の斜め上で洗濯物、ブラジャーたちが静かに揺れる。



 僕がちゃぶ台の前に座り15秒と経たないうちに、玄関のドアが開き佐藤ウズシオが入ってくる。佐藤ウズシオは小さな冷蔵庫から氷をグラスに入れ、そのグラスにペットボトルの烏龍茶を注ぐ。

なんだ? これはデジャヴ、客観的視点から3分前の状況を見ているのか?

いや唯一3分前と違うのは、玄関に立っている男が僕ではなく、あの男ということだ。


 あの男、壇之浦が烏龍茶のグラスを佐藤ウズシオから受け取ると、ちゃぶ台を挟み僕の前に座る。

佐藤ウズシオは、まるでこの状況は日常の何の変哲も無い状況であるかのように、振り返ることも一声かけることもせずに再度、出掛けて行ってしまった。

僕はこの状況に置かれていったい何を為せば良いというのだろうか。



 僕の周囲に言い知れぬ変化の波が、人々に気がつかれないように唸りを上げ始めている。いや、こんなことは人々が気がつかないだけで、日常的に「言い知れぬ変化」が起こり続けているのかもしれない。

きっとそうなのだろう。

僕はその「言い知れぬ変化」の波に飲み込まれ、流され続け、抗うことすらできないのではないか。

まるで僕らが、気がつくことなく「重力」という枷に捕らえられ続け、抗う必要すら感じずに生きているかのように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >その猫背の背中の上にネコを二匹乗せている、 >「猫背だけに」とでも言いたいのか、佐藤ウズシオ! これは上手い言い回しですねw 猫の名前がまた凄い、というか適当すぎるw そして現れる壇之…
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