表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ユメシート

作者: 全刀

 時刻は夕方。私は一日何千何万人もの人々を運んでいる鉄の箱に乗り込んだ。つまりはラッシュの列車である。

 乗客の波に洗われるロングシートの中に、まるでそこだけぽっかりと穴が空いているかのように空席が一つあった。

 今日は運がいいなと思いながら私はその席に座る。

 程なくしてドアが閉まり、ゴトンと音を立てて電車は動き出した。私は大分疲れていたみたいで、すぐに眠気が迫ってきた。揺れる車両が揺りかごのように感じられる。

 私は仕切り板に体を預けて眠りに落ちた。


***


 ガタン。

 一際大きな揺れで私は目を覚ました。

 窓の外を見て、電車が既に自宅の最寄り駅に到着している事に気付き、慌てて飛び降りる。しかし迂闊なことに、私は車内に鞄を忘れてしまっていた。

 チャイムを鳴らしながらドアが閉まるのと、私が忘れ物に気付くのは同時だった。

 あ! 待ってという呼び掛けの声など届くわけもなく、無情に動き出す電車をただ呆然と眺める事しかできなかった。

 先頭車が私の真横を通り過ぎる瞬間、線路からホームに巻き上げるような強風が吹いた。

 私は驚いて短く悲鳴を上げてしまった。思わず目を瞑り、自然と足に力が入る。しだいに風は弱まり、私は恐る恐る目を開いた。

 すると目の前に、大柄な男が立っていた。

 またぞろ悲鳴を上げそうになったが、その男が駅員の制服を纏っているのを見て、喉まで出かかっていた声を飲み込む事ができた。


「お探しの物は、こちらですか?」


 そう言って巨漢が差し出したのは、なんと私の鞄だった。一体いつ車内から持ち出していたのだろう。


「あ、はい。私のです。どうもありがとうございま……」


 鞄を受け取るため巨漢の顔を見上げようしたが、私は彼の顔を見ることができなかった。いや、見ようとすることができなかった。

 その大男の顔を見上げようとしても、途中で体が動かなくなるのだ。

 額に嫌な汗が滲む。

 私は、硬直する唇を無理矢理開いて言葉を紡いだ。


「……あの、貴方は、誰ですか」

「んん~~? わたくしですかあ!?」


 その瞬間、頭の中に靄がかかった。


***


 気が付くと、私は車内の座席に座っていた。

 ああ、寝ていたのか。とまだぼーっとしている頭を回して状況を確認する。


『次は、~~。お出口は左側です』


 車内アナウンスは、私が降りる駅の次の駅を案内していた。

 つまり乗り過ごしたわけだ。次の駅で折り返さなければならないことを考えると、何故もう一駅前で起きられなかったのかという後悔が襲ってくる。

 寝起きから気分が沈んでしまったので、せめて帰りにコロッケでも買って気持ちを切り替えようと思う。近所の商店街に店を構えるお肉屋さんで揚げられる、あのサックサクのコロッケは絶品だ。

 そんな事を考えていると、電車はいつの間にか次の駅に到着していた。

 そこは地下ホームの駅だった。ホームに降りて見回しても、裸電球がまばらに取り付けられているだけで薄暗く、そしてそこには誰も居なかった。

 ここは以前から地下駅だっただろうか。何か違和感を感じる。今はラッシュ時だというのにここはまるで無人駅だ。

 ふと後ろを振り向くと、電車の車内灯が全て消えていた。しかも無人である。数秒前までほぼすし詰め状態だったはずの乗客はどこへ行ったのだろうか。

 少し不思議に思いながらも、私は折り返すために反対側のホームに向かって歩きだした。


 時々鼻先をふわっと掠めていく生暖かく淀んだ風がとても不気味だった。

 しばらく進むと改札口に辿り着く。改札口も無人で、暗いだけでなくとても静かだった。聞こえるのはコツコツと鳴り響く自分の足音とICカードの読み取り音だけだ。

 改札を抜けた先にある階段を降りて連絡通路を進み、また階段を上ると反対側のホームの改札口が見えてきた。

 こちらには裸電球すらなかったので、ほとんど手探りでICカードを読み取り部にかざした。

 真っ暗なホームというのはなかなか怖いもので、私はとにかく、早く来い、早く来いと必死に念じながら電車がくるのを待った。


 線路の先が明るくなったかと思ったら、音もなく電車が入線してきた。車内は、やはり真っ暗である。

 恐る恐る中に入ると、やけに勢いよくドアが閉まった。

 私は周りを見回した。暗くてよく見えなかったが、どうやらこの電車も無人のようだ。

 ここには誰もいない。私も含めて。


***


 ドア前に立っていた私は、下車しようとする人の波に流されて電車を降りてしまった。その流れはさながら壊れた蛇口のように歯止めが効かない。

 人の波を抜け、電車に戻ろうとした時にはもうドアは閉まっていた。

 仕方がないので次の電車を待つことにした。溢れんばかりだった人の波はそれが幻だったかのようにさーっと引いていった。そしてついに、ホームにいるのは私だけになってしまった。

 ここはどこだろうか。全く知らない駅だ。

 ホームの中央にはおおきなヤシの木が生えている。見上げると、空は不気味なくらいに青かった。ペンキを塗りたくったかのようなその光景に唖然としてしまう。

 駅名を見ても全く知らない場所だった。

 そもそも私は、何故ドアの前に立っていたのだろう。確か座って寝ていたはずなのに……、とそこまで考えたところで、やっとピンときた。

 これは夢だ。先程からずっと、夢を見ていたのだ。これが自覚夢というものだろうか。

 だとすると現実の私はまだ座って寝ていることになるので、早く起きなければならない。

 取り敢えず出口を探そうとホームに意識を向けた途端、またもや頭の中に靄がかかった。


***


 気が付くと、私は最初に座っていたのと同じ席に座っていた。依然として電車は揺りかごのようにゆらゆらしながら走っている。

 目覚めたのだろうか。周りを見渡して確認する。特に違和感は感じられない。

 私は立ち上がって、ドアに向かって歩きだした。しかし思うように動けない。例えるなら、処理が重くて画面がカクついているPCゲームをやっているかのような感覚だった。

 まだこれは、夢の中だ。私はまだ目覚めてなどいない。

 元いた席に座り直し、私はひたすら起きろ起きろと強く念じた。

 その時、スピーカーからまた車内アナウンスが聞こえてきた。そのアナウンスは私の降りる駅から三つ先の駅を案内している。

 電車はどんどん進んでいる。多分このアナウンスは現実だ。というより、現実のアナウンスを私が無意識下で聞き取って、それがこの夢に反映されているのだろう。一刻も早く起きなければならない。

 一層強く起きろと念じると、頭の中に靄がかかった。


 パッと意識が切り替わり、私の視界に映ったのは、先程と同じ車内の光景だった。

 だが、これは夢だ、と今度はすぐに直感した。

 アナウンスは更に一つ先の駅を案内している。

 しかし何度意識が切り替わっても一向に目を覚ます事ができない。もしかしたら私が現実だと思っていたものなどは存在せず、この夢こそが本当の世界なのではないかと、そう考えてしまう。

 いつも漂うようにフワフワとした毎日を送っていた私には、現実など見えていなかったのかもしれない。

 何でこんなに、急いでいるんだっけ。そんなことを胸中で呟いて、私は考えるのをやめた。

 頭の中に靄がかかった。


***


 目が覚めると、電車はもう駅に到着するところだった。結局私は、自宅の最寄り駅から四駅も乗り過ごしていた。

 しかし意外と快眠ができていたのか、どこかさっぱりとした気分だ。私はホームの真ん中で背伸びをする。


「コロッケ食べて帰ろ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ