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―HERETIC―  作者: イツカニト
3/5

~正義~

「参考人、上がれ!」


 広場に設営された火刑台の上と下で、この儀式を警護するのは、防御力よりも機動力を重視した甲冑に身を包み、新型の銃剣を手にした兵士達。鎧の胸部に大きくラインで描かれた、開く扉の前で導く女神を示すシンボルが、教会軍であることを示している。

 その内の一人、ステージの上の向かって左の端で儀式を進行する、他の濃紺の布地と銀の金属部の兵と違う、赤地と金の兵士が声を張った。

 その言葉に従い、少女は恐る恐火刑台へと登り、進行の兵士と反対の端に立った。


 長い赤毛を左右で三つ編みにした、雀斑が印象的な質素な身なりの彼女は、その薄紫の瞳に困惑と恐怖を浮かべ、この儀式の主役を――鉄の手枷で後ろ手に柱に繋がれた自分の母親を見詰めていた。

 積まれた薪から放たれる、鼻の奥を刺すような燃料の臭いに、僅かに血の臭いが混じっている気がする。

 クコがこの数日姿を見ていなかった母親は、最後に見た時の扇情的できらびやかな衣装からは想像もつかない程の汚い布を纏い、見るも無残にやつれ、肌が見える所には痛々しい拷問の傷跡が見えた。

 冷たい印象だった双眸は虚ろに空へと視線を定めず、力無く空いた口からは、何ヵ所も隙間の空いた歯が覗き、唾液を垂れ流している。

 そして、聞き取れない音量で、聞こえたとしても聞き取れない言葉で、なにかを唱えていた。

 そんな彼女が、これから処刑されようとしている。唐突に、今まで母だった人物が魔人として目の前に居て、そしてこれから殺されようとしている。

 あまりにも受け止めきれない事象だからだろうか。それとも、やはり心のどこかでこうなる事を望んでいたのだろうか。

 この現実に対し、クコは自分がやけに素直にこの状況を受け入れている事に少なからず驚いていた。

 これから死に行く人を目の前にしている恐怖と、衆目に晒される戸惑いは有る。だが、母が殺されようとしている、という事に関しては、特に何も思考が回らないのだ。


 クコの登場に、ステージを見上げる観客達のざわめきが増す。

「静粛に!」

 それを静めるべく、進行の兵士が再び声を張る。

「これより、女神センの名の下に、領主エドガ=バド=アロクの命により、魔人裁判を執り行う!ここに居る女が、この度正式に魔人と認定された者である!」

 

 何かの間違いではないだろうか――と、クコの脳は心とは裏腹に、進行役の言葉を理解する事を拒んでいた。

 いつから母は魔人になったのだろうか。それとも最初から魔人だったのだろうか。そもそも目の前に居るのは本当に母なのだろうか。本当に良く似た別人ではないのだろうか。

 では、その母から生まれた私は――?

 

「参考人に問う!」

「は……はいっ!」

 大衆向けに放たれていた言葉が、突然矛先を変えて自身に向けられた為、意表を突かれたクコの声は上ずる。

「貴様は、この女の娘に間違いないか!女神に誓い、正直に答えよ!」

 投げ掛けられた言葉は、至極単純な問いであり、今、最も問われたくない問いだった。

 だが、目の前に晒されているその人は、無理に見間違える事も困難な程に母だった。例え傷だらけだとしても、やつれていたとしても、本能的に母だと判ってしまう。

 かつてどれ程求めて、どれ程憎んで、その果てに、今では居ようが居まいが何も感じなくなってしまった存在であるのに、目の前のその人が母だと判ってしまう事で、対する自分がその娘なのだと痛感させられる。

 そして、この街では、母は悪い意味の有名人であり、その娘の自分も同様だ。つまり、ここに居る観客も兵士達も、今の問いの答えは既に知っているのだろう。

「……はい……間違いありません……」

「では、この女の身内である参考人に続けて問う!

 貴様は、自分が何故参考人として召喚されているかは、理解しているか!」

「え……」

 次の問いに対して身構えていたクコに問われた、二つ目の問い。何故自分がこの場に呼ばれているのか――。

 連れて来られたからには理由が有るのだろうが、それは、自分がこの母の娘だからではないのだろうか。

 しかし、確かに、それだけの理由ならば、わざわざこれから処刑しようとしている母親の前に、こんな形で引き出すだろうか。

 母と同じく魔人だと疑われているのなら、少なくとも今自分が居るのはそれを検査する施設の筈。

 ――魔人とは疑われていないのだろうか。それにしても、何故ここに呼ばれているかは――

「わかりません……!」

「宜しい!参考人にはそれを正しく認識する義務がある!

 貴様はこの女の娘である!それ故に、同様に魔人ではないかという嫌疑が掛けられている!

 しかし教会は、魔人化は生来のものと後天的なものがあるとし、この女は後者にあたるとしている!そして、後天的な魔人化であるが故、遺伝している可能性はないとの判断を下し、貴様に聖火の審判を行う事を義務とした!」

 ――聖火の審判。

 その単語が出た時、ステージ下の傍観者達がざわめき立つ。

 そして、それが何をするのかを知っているクコは、背筋が凍り行くのを感じていた。

 それを煽るかのように、クコの背後で一人の兵士が動く。

 そして、物音と共に放たれたのは、熱と光、立ち昇る黒い煙、揺らぐ炎――。

「貴様の潔白を、女神の聖火を以て、正義の行いで示すのだ!」

 進行役の言葉と共に、クコの右手に一本の松明が握らされる。

 潔白を、女神の聖火を以て、正義の行いで示す。


 それはつまり、この火を、目の前の悪に――魔人である母親に向かって投げ込めという事だ。


「聖火だ!聖火が灯ったぞ!!」

「ビビるな、嬢ちゃん!正義の行いだ!!」

「魔人を殺せ!正義を示せ!!」

 傍観者達から、傍観者らしい声が飛んで来ている。

 そんな事は理屈では判りきっている。問題は、自分の体と心と思考と魂が完全に停止してしまっている事である。


 ――どうしてこんな事になってしまったのだろう――。


「女神様が見てらっしゃるよ!

 その火で私達を救っておくれ!」

「婬売の娘!お前に女神様がチャンスを下さったんだ!」

「そうだ!正義を示して英雄になれ!」


 手にした松明の先で揺らぐ、清らかな炎の奥で、女神様が私の事を見ていらっしゃる様な気がする――。


「魔人を殺せ!正義を示せ!英雄になれ!女神様の導くままに!魔人を殺せ!正義を示せ!魔人を殺せ!魔人を殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!」


「……あんたなんか、生まれて来なければ良かったのに……」


 その時、確かに母は言葉を発した。


 しっかりとこちらを見て、この騒音の中でもしっかりと聞き取れる、憎悪と殺意の籠った低い声で――。


「全部あんたのせいだ……。私の人生を返せ、化け物……」


 ――その時、私は気づいたのです。

 私の背負わされた荷物が重いのは、全て母のせいなのだ。

 その母から背負わされた荷物が重いのならば、手放してしまえば良いのだ、と。


 私は心のどこかで、母を求めていたのだと思います。

 だから、母の荷物を背負っていれば、いつか母が私の事を見てくれるかもしれない。いつか背負っていて良かったと思える日が来るかも知れない。と、思っていたのでしょう。


 でも、どうやらそれはもう不要な様です。

 女神様……これは本当に、女神様が下さったチャンスなのですね。

 母の娘ではなく、一人の人として、全てを手放す為に。

 そうする事で、私が自由になって、皆に認めて貰える為に。

 私の正義を示せる様に――。


 クコはその時、全てを手放した。

 今までの生き方としがらみを捨て、新しい自分として生きる為に。


 その手の正義の火に乗せて、前へと放り出した。


 正義の行使――。

 魔を払い、邪悪を焼き付くす正義の炎が今、女神の慈愛の様に大きく燃え上がっていく。

 己の過去を洗い流し、今の自分を解放し、新しい未来へと導いてくれる様な、その清らかな美しさに、暖かな風に、小気味良く薪が爆ぜる音に、心が満たされていく。

 

 そんなクコを、束の間の幸福感から現実へと引き摺り戻したのは、耳を貫く絶叫だった。

 地獄の底から轟くような、人間の喉から絞り出されたとは思えない慟哭。

 今まで見とれていた炎のその奥で蠢く、もがき苦しむ母の姿が、容赦ない現実を叩きつけてくる。


 たった今、自分は人間を一人、自分実の母を焼き殺したのだ、と。

 一時の殺意を満たすために、束の間の幸福感に浸る為に、女神の名を大義名分に正義を掲げ、人を殺した。

 今まさに、自らの手によって、母親が目の前で焼き殺されている。

「あ……あ……私……!」

 それは後悔なのか、逃避なのか。クコの頭と心を、目の前の光景が、叫び声が、考える余地が無い程に埋め尽くして行く。


 だが、その異変が起きたのは、その直後だった。

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