試し書き
枕元で携帯電話が振動する。行儀良く仰向けに寝ていた俺は肩を使ってうつ伏せになると、振動のするほうに右手を伸ばした。すぐにプラスチックの手触りがある。眼鏡だ。すぐ跳ねのけて、近くをまさぐると、ようやくお目当てのものに行き当たる。
寝起きに加えて近眼なので視界は悪い。目を細くして画面を見ると、友人の名前と電話番号が見えた。
「俺だ」
「よお。…ちょっと悩みがあるんだけど、聞いてもらってええ?」
「どうした、珍しいな」
「最近、突っ込み力が低下しているような気がして…」
「どんな悩みやねん」
「ほら… それ…」
どうやら本気で悩んでいるらしい。さっきは邪険に扱った眼鏡だが、寝起きのいい俺の頭は冴えてきた。ここは視界もハッキリさせて置くべきだろうと、扱いにくい左手で眼鏡を定位置に据える。
「もうこれから先どうしたらいいか、わからなくなってしまって…。
これからはボケキャラとして生きて行くほうが良いのかなって」
「いやお前、別にお笑い芸人でもなんでもないだろ」
「それは、そうだけどな。だけど人間はボケとツッコミのどっちかだろ? 迷ってるんだ。
今までツッコミで生きてきたんだ、死ぬまでツッコミだ、という俺と、そろそろ潮時だろ、という俺がいるんだ」
「いわゆる、船頭多くして船山に登る、みたいな」
「そうなんだよ。考えがまとまらないんだよ」
「逆に考えると、船頭を増やせば船で山にすら行ける!
みたいな方向で」
「逆に考えるなwww
山に行きたいときは電車か車か徒歩で行けwww」
「いや考えてみてよ。
隣の大陸に行きたいな~って船に乗るじゃない?」
「お、おう。大陸?」
「気がつくと、山の上に到着してるわけですよ」
「なんでやねんwww 船は港に到着してくださいよwww
港からは目的地別に交通手段考えるからさ…」
「手間が省けるかと… 良かれと思って…」
「過ぎたるは及ばざるが如しやな…」
「山までの運賃も乗っけて売上アップ」
「しっかり金は取るんかい!」
「じゃあ、船頭は一人でいいんだな?」
「いいよ一人だけで」
「じゃあ船頭が一人の時に船が山に登るには…」
「登らんでいいっちゅうにwww」
「船頭が多い場合に山に登るわけだから、
その場に存在する船頭力が問題なのかな?」
「初耳ですけどそんな力」
「私の船頭力は53万です」
「船頭さんがフリーザ様みたいな顔してたら安心して乗られんやろ!」
「なんとか高めたいですよね、船頭力」
「いやホントにいいから、高めなくて。
頼むから港に到着してくれ。後のことはこっちで考えるから」
「いやこれは船のパラダイムシフト的なアレなんだよ。
I'm possible.」
「東芝さんから苦情が来るから! やめて!」
「東芝さんスンマセン」
「頼むでホンマ」
「秋の新作ねじり鉢巻3本で作る最強着回しコーデで船頭力アップ」
「服装がコロッコロ変わったら誰が船頭さんかわからんやろ!」
『ありがとうございました』
俺とヤツが見事に唱和する。二秒ほど、沈黙をはさむが、俺は確信を持って言った。
「まだまだイケるやん」
「ちょっと自信戻ってきたかも。ありがと。
それじゃあまたな」
「おう、またな」
通話の切れた携帯電話には日付と時刻。俺は実に清々しい気持ちで、もう一度寝ることにした。