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今日はいよいよクリーンアップ活動がある日だ。午前中は通常授業があり、清掃活動は午後の授業時間を使って行われる。
「今日は暑いので水分補給をこまめに行ってください。それから、気分が悪くなったら遠慮なく近くの教員に声をかけてくださいね」
朝礼時、担任の先生から今日の活動内容と注意事項の説明があった。
この学院に通う生徒の多くは、外で長時間労働することに慣れていない。学校行事で倒れられたら責任問題に発展するし、この活動の目的は「掃除をすること」だけでなく「奉仕の精神を知ること」や「協調性を学ぶこと」もあるからだろう。生徒に無理な活動をさせるわけにはいかないってことだね。私からしたら当たり前のような、基本的な事からじっくり説明された。
昼休みに更衣室で体操着に着替えていると、春歌さんから何か言いたげな視線を感じた。なんだろう。何かおかしなことをしたかな?
「…いえ……その、優莉奈様、どうしてジャージも用意されているんですか…?」
朝礼で担任の先生から言われたように、今日は暑い。そんな中長袖のジャージを着るなんて、軽く自殺行為だと言える。でも、楓恋様との勝負内容が私の予想通りなら、半袖の方が辛くなる…かもしれない。
「もしかしたら必要ないかもしれないけれど、念のために用意しましたの」
「?」
「まあ…春歌さんは心配しなくても大丈夫ですわ」
「そう、ですか…?」
うまい言い訳が思いつかないので、まだ納得がいっていない様子の春歌さんには触れずに髪を結ぶ。いつもはハーフアップにしているが、こんな日までそんな髪型してたら暑いし邪魔になるからね。菖蒲さんとお揃いのポニーテールだ。ポニーテールは帽子をかぶる時、後ろの穴の部分から髪を出せるからいいよねー。
活動場所は学年ごとに大体決められていて、仕事もクラスで割り振られているらしい。本当なら私は、1組に割り当てられた窓拭きをする予定だったけど、楓恋様からの呼び出しがある。菖蒲さん達に一言言ってその場を離れた。
「あら。一人で来るなんていい度胸ね」
指定された場所、裏庭の入口に行けば楓恋様がいた。よかった、いた。裏庭の入口は西と東の二つあるので、こちらに来たのは賭けだったのだ。もし反対側だったら彼女を待たせることになっていただろう。
「ごきげんよう、楓恋様」
「……ごきげんよう、凰院さん」
楓恋様がピリピリしていたので躊躇ったが、挨拶はしたもの勝ちだ。彼女が言った言葉には反応を返さずに挨拶すると、楓恋様も挨拶を返してくれた。
楓恋様の服装を見ると、彼女はジャージを着ていた。私のジャージは、予想が当たっているか不安だったので、タオルや水筒を入れたバッグに一緒に入れてある。この分だと予想は当たってそう。
「ふん、半袖の体操着で大丈夫なの?」
両手を腰に当ててこちらを小馬鹿にしたように見る楓恋様。
「あの手紙をよく読んでいなかったようね!」
「? いえ、読みましたよ?」
「ちゃんと読みなさいって言ったでしょう? 注意力が足りないわ!」
「でも……ほら、裏庭の入り口に来るように、としか書かれていませんけど…」
楓恋様から渡された果たし状を持って来ていたことを思い出し、手紙を広げる。そこには前に見たときと変わらず、場所の事しか書かれていない。
楓恋様も私が持ってくることを予想していたのか、足元に置いていたバッグから何かを取り出した。細いペンの様な形に見えるが、片側の端だけ膨らんでいる。それを持ったまま楓恋様はこちらに来て、私に手を差し出した。手紙を渡せってこと?
「ふふ、甘いわ! その不自然な改行に何故目を付けないの? そこには見えない文字が隠されているというのに!!」
「あ」
楓恋様は受け取った手紙の、名前と文章の間に会いている空白部分にそのペンを向けた。カチ、という小さな音と共に手紙が青く照らされる。そこに浮かび上がった文字に思わず小さく声を漏らす。
『凰院優莉奈殿
来週行われるクリーンアップ活動にて貴殿に勝負を挑む。
活動の時間になったら裏庭入口に来られたし。
なお勝負は草抜きとする。
道具は各々で用意されよ。
鷲宮楓恋』
前世で昔流行ったなー。ブラックライト当てると、特定のインクで書いた不可視の文字が白く浮かび上がってくるってやつ。桐人あたりはこれ喜びそう。クリスマスプレゼントはこれでいいかな。だめか、流石に。
「最初は本当に空白にしていたんだけど、義仁にそれじゃあ不公平だと言われたから書き足してあげたの」
「……見える文字で書いてもよろしかったのでは?」
「それじゃあつまらないじゃない。これでも譲歩してあげたんだから」
楓恋様はそう言って手紙を私に返してくれた。つまる、つまらないの話じゃないだろ、という文句は飲み込んで手紙を受け取る。勝負内容は私の予想通りだったんだから別にいい。うん。
「ま、そういうことだから。精々貴方は虫刺されや草負けに悩むがいいわ!」
ライトをバッグに戻し、再び腰に手を当てて威張る楓恋様に、どのタイミングで私もジャージを持って来ていることをカミングアウトすればいいんだろうと悩む。
私が指を顎に当てて考えていると、ぱさっと肩に何かがかかる。びっくりして振り向くと、そこには鶴岡様がいた。先程までは見当たらなかった彼が、いきなり現れたことに呆然としてしまう。
「……貸す」
私の肩を指さしながら言われる言葉に、慌てて肩を見るとそこにはジャージがかかっていた。胸元に『鶴岡』と書いてあるので間違いなく鶴岡様のものだろう。
まさかとは思うが、私がジャージを用意しないことを見越して持って来てくれたのだろうか。な、なんて優しい先輩なんだ…。寡黙なところとか、心配りが上手なところとか、春歌さんを彷彿とさせる人だ。友人に似た人が現れたおかげで、少しほっとした。
「ありがとうございます、鶴岡様。折角貸してくださったところ、申し訳ないのですが、私もジャージを持って来ているので大丈夫ですわ。指定場所が裏庭入口だったので、勝負内容は草取りだと予想していましたもの」
「えっ」
「…………」
私の言葉に驚きの声を上げたのは楓恋様で、鶴岡様は僅かに目を見開いて、口は閉じたままただ頷いた。気にするなってことでいいんでしょうか。付き合いが短いので、無言だと流石に意図を把握し辛いんですけど…。
持ってきていることの証明に実際にバッグからジャージを取り出して着てみせる。胸元の『凰院』の文字を見せると、悔しそうにこちらを見つめる楓恋様。しかし、何かを思い出したらしく、気を取り直すように彼女は顎を上げた。
「ふ、ふん! 思ったよりは賢いようで何よりよ。そう、あたしは貴方の推理力を試したのよ!」
「まあ、そうでしたの」
勝負内容が予想通りだったので、先日購入した道具も取り出す。無駄にならなくてよかったよかった。
「推理力はまあまあのようね。でも、これは流石に用意していないんじゃない? そう、この――」
「軍手ですか?」
「そうよ、軍手――って、え!?」
ジャージのポケットから楓恋様が取り出したものを見て、つい被せ気味に言ってしまった。決して、自慢気な楓恋様にイラッと来たわけではない。先程の見えないインクで書かれていた文字の事を怒っているわけでもない。つい、だ。
「な、な、な……! あ、あんた、なによそれ!」
軍手を言い当てられたことに驚いてこちらを見た楓恋様に、持っている物を見せつけると面白い反応を返してくれた。そのことに少しすっきりした気持ちになる。
「何、と言われましても…。草取りでしたらこちらの道具も必要かと思い持って来ていましたの」
小型ショベル、刃がV字に割れていてグリップが付いた草取りフォーク、そしてねじり鎌。両手で持ちながら楓恋様に見せると、それを見た彼女は項垂れながら「そんなの知らない…」と呟いた。だろうね。鷲宮のご令嬢が知ってたらちょっと驚きだよ。
◆◇◆◇
「それで? 結局どっちが勝ったの?」
今回の騒動に巻き込んでしまった鴇森君に先日の勝負の報告をするために、カフェテリアでお茶に誘った。心配をかけただろうからお詫びしないとね。
粗方のことを話し終え、後はどっちが勝ったのかを言うだけの段階になって結果を聞いてきた鴇森君に、もったいぶらずに結果を言う。
「道具もありましたし、私が勝ちましたわ」
「そっか、よかったね」
勝負内容はどちらが時間内により多くの草を抜けるか、だった。楓恋様は昨年の経験から自信ありげだったけど、私は道具もあったしね。楓恋様は根から抜けずに葉だけ千切ってしまうこともあったし、抜きにくい草と抜きやすい草の見分けがつかずに抜きにくい草とひたすら格闘していることもあって、経験の少なさが窺えた。
「鶴岡様が公平に審判してくださいましたし、楓恋様も不慣れな私に考慮してくださったんだと思いますわ」
あの場に鶴岡様が現れたのは審判をするためだった。楓恋様は負けず嫌いなところがあるから、何かやらかさないか心配だったんだろう。実際、勝負の後で楓恋様に対して鶴岡様はなにかフォローをしているようだった。小声だったから何を言っていたのかは聞こえなかったけど。
「義仁先輩は誠実な方だからねぇ。鷲宮先輩は一度決めるとそれを貫こうとして周りが見えなくなるようだけど、悪い方ではないんだ。誤解されやすいけど…」
「そうですね。私も先日初めてお話しさせていただきましたけど、あまり悪い印象は抱きませんでしたわ」
楓恋様は精々小悪党レベルだ。言葉は悪いけど子犬が吠えてるような印象しかない。姉のように怖いと思うこともなかったし。
「よかった。鳥の名家の間で騒ぎを起こすと、他の生徒に示しがつかないしね」
白鳥学院に通う鳥の名家は、やはりそれなりに注目される。姉の学年は姉と鷹司一輝が対立していることから、学年全体がギスギスしているようだ。楓恋様達の学年は、二人とも内部生、外部生に分け隔てなく接しているので学年全体にその風潮がある。それだけ鳥の名家の行う行動は周囲に影響を与えてしまうので、成るべく穏便に学院で過ごすべきだと言われているんだけど……中学生だしね。うまくいかないこともある。
「ええ。少し反省しているわ。もしかしたら、学院全体を巻き込む騒動になってしまっていたかもしれませんもの」
「でも、結果的に和解はできたんでしょ? なら大丈夫だよ」
鴇森君の言葉に飲んでいた紅茶を喉に詰まらせてしまう。咳き込む私に、テーブルの向こうに座っていた鴇森君が立ち上がって背を摩ってくれた。
「え……まさか、和解して無いの?」
戸惑うように言った彼に、視線をそらすように明後日のほうを向く。
「いえ、その…。一応、実行委員になることは認めてくださったのですが……」
彼女は鶴岡様に慰められた後、別れ際に「今回は負けを認めてあげるけど、次はこうはいかないからね! 覚悟していなさい、優莉奈さん!」と言ってきたのだ。
「そ、それは…ご愁傷様、だね」
それを聞いた鴇森君も僅かに顔を引き攣らせている。これからもあんな風に勝負を挑まれることがあると思うと、憂鬱だ。
私はこれからの実行委員としての活動を思い、ため息を吐いた。