8
あれから数日。変わり映えのしない日常を私は送っていた。朝に校内を徘徊したり、友達と当たり障りのない会話をしたり。そういえばクリーンアップ活動に不平を言っていた子は、あの後考えを改めてくれたようだった。意外ではあったけど嬉しいことだね。考え方の違いで仲が拗れなくてよかった。
「そういえば、明日は菖蒲さんの誕生日でしたわね」
いつもの様に食堂でご飯を食べ終えて、教室に戻ってきてからそう切り出す。本来なら当日に祝いたいんだけどね。菖蒲さんの誕生日はゴールデンウィーク初日なので、家族で旅行に行っていることが多く、当日に直接祝うことが難しいのだ。
「はい。覚えていてくれてありがとうございます、優莉奈様」
「いいえ、大切なお友達の事ですもの。忘れたりしませんわ」
ちょっと照れたようにお礼を言ってくる菖蒲さんに、そう言って一日早い誕生日プレゼントを渡す。それを皮切りに、みんなも用意していたプレゼントを持って来て彼女に渡した。菖蒲さんは一人一人にお礼を言って、嬉しそうに笑っている。
「今年もどこかへ旅行に行くの?」
「はい。今年は父の都合で国内旅行なんです」
プレゼント渡しも一通り終わったので雑談に戻る。去年は海外に行ったと聞いたが、今年は国内のようだ。菖蒲さんの家は私の家と違って家族仲が良好なので、旅行に行くときは家族全員で行く。たまにお父さんが忙しくて、途中参加だったり途中退場だったりはするらしいけど。今回もそのパターンみたいだ。
「それは……残念、ですね。折角の…誕生日なのに…」
「そうですね。でも、今年は誕生日当日は一緒に過ごせるので、別にいいです」
隣で聞いていた春歌さんもそう思ったようで、菖蒲さんを思い遣るように見ている。春歌さんの視線に気づき、菖蒲さんは苦笑いしながら答えた。
「そう。良かったわね、菖蒲さん。旅行、楽しんでいらしてね」
「はい。今日は皆さんありがとうございました」
時計を見ると、もうじき午後の授業が始まる時間だった。菖蒲さんが最後にもう一度お礼を言って、皆それぞれの席に戻る。さて、午後最初の授業は何だったかな。
◆◇◆◇
「おはよう。姉ちゃん、今日が何の日か覚えてるよな?」
ゴールデンウィークも終わり、連休明け特有の気怠さを抱えている頃。私が学校へ行く支度を終え、ソファーで寛いでいると、起きてきた桐人に開口一番にそう言われた。そんな聞き方をされれば嫌でも思い出す。今日は桐人の誕生日だ。
桐人は疑わし気に私を見ている。ごめんごめん。毎年覚えてないから不安なんだよね。すぐに私がその不安を払拭してあげよう。
「おはよう。もちろんよ、桐人。お誕生日おめでとう」
「…ありがと」
間をおかずに祝いの言葉を述べると、桐人は照れたように横を向いた。ぼそぼそと感謝の言葉を述べる桐人を見て冷や汗を流す。
どうしよう。完全に忘れていた。
あの日。鴇森君に言われてプレゼントを探そうと思っていたのに、あんなことがあったせいですっかり忘れていたのだ。ごめん、鴇森君。折角教えてくれたのに。ごめん、桐人。プレゼント用意できてなくて。
幸い今は朝だし、私は帰宅部なので放課後に時間がある。寄り道してもらって何か買おう。
「朝は忙しいから、プレゼントは帰ってからね。私はもう行くから、貴方も遅刻しないように」
「分かってる! …優莉奈姉ちゃんいっつも朝早くに行ってるけど、何かあるの? 華梨姉ちゃんはもう少し遅いじゃん」
「ふふ、内緒。じゃあ、行ってきます」
内緒もなにも、特に用事は無いんだけど。桐人は私の言葉に納得がいかないようだ。それでも私が立ち上がって玄関に行こうとすると「いってらっしゃい」と言ってくれた。
桐人は朝に弱い。寝起きはどうしてもぼーっとしていたり、機嫌が悪そうだったりする。もしいつものテンションの時に「プレゼントはまた後でね」と言われたら、「今すぐがいい!」と即座に言ったに違いない。良かった、今が朝で。
プレゼントは何がいいだろう。私はプレゼント選びが苦手なので、こういう時はすごく困る。菖蒲さんの時は春歌さんと一緒に選びに行ったから相談できたんだけど、今回はそうもいかないしなあ。
…あいつはアウトドア派なので、スポーツ用品とかがいいだろうか。そういえば昔ふざけてあげた駄菓子は結構好評だった。この家にはそういう庶民的なものは無いので、初めて見るものに興味津々の様子だったのを思い出す。
う~ん…。誕生日プレゼントに駄菓子は流石に無いけど、そういう桐人が滅多に見ないもの系統で探してみるかな。良いのが無ければ無難なスポーツ用品でも渡そう。
◆◇◆◇
学校に着き、自分の教室に向かっていると、教室内に人影が見えた。珍しい。私のクラスでこの時間に来るのなんて、私くらいしかいなかったのに。誰だろう。
不思議に思いながら扉を開けて中に入る。中にいたのが誰か確認するためにそちらを向いて――驚いた。楓恋様じゃないか。
「…………」
「……………」
沈黙。お互い何も言いださない。楓恋様は何故か私の席の机の中に手を入れている。え、何してるの…?
勉強道具はすべて持って帰っているので中は空のはず。だから悪戯目的だったとしても、特に何もできないとは思うけど…。あ、漫画の主人公は机の中に虫の死骸を入れられたり、靴箱を泥まみれにされたりしていたな。もしかしてそっち系?
「…ごきげんよう、楓恋様」
「……ええ、ごきげんよう」
沈黙が痛かったので、とりあえず挨拶をしておく。すると楓恋様も悩むような間があったものの、挨拶を返してくれた。
「その、そこは私の席なのですが……」
「っ! ええ、もちろん分かってるわ! だからこそ、あたしはこうしているのよ!」
恐る恐る言った私の言葉に、楓恋様は何か吹っ切れたようだ。先程までの気まずげな様子などもうそこにはなく、堂々と腰に手を当てて胸を張りながら話している。
「何をしていたのか、お聞きしても?」
「そんなの決まってるでしょう?」
私を少し馬鹿にしたように見て、楓恋様は机の中に手を入れた。何かを取り出し、その手を私の方へ伸ばす。その手に握られていたものを見て、私は目を見開いた。
「果たし状を置きに来たのよ!!」
『果たし状』とご丁寧に描かれた封筒を持って、彼女はこちらを真っ直ぐに見ながらそう言った。
なんでだよ。
◆◇◆◇
放課後。桐人へのプレゼント探しにショッピングモールに向かう。運転手さんには目的が分かっているらしく、特に訝しむ様子が無かった。
制服姿での寄り道は目立つ。私の通う白鳥学院は有名なので特に。だから予め私服を用意しておいて、トイレで着替えてから店を回ることにした。服は以前から、こういう時に使えるように車に乗せてある。私は服が入った紙袋を持って車から降りた。
きっと他のお嬢様たちは、トイレで着替えてお買い物なんてしないんだろうな~。いや、お嬢様でなくてもしないのかな? 前世では友達とそういうことしてたんだけど、どうなんだろ。
万が一知り合いに会ってもいい様に、眼鏡や帽子をつけることで印象を変える。うん。パッと見ただけじゃわかんないかな。
今着ている服を入れていた紙袋に制服を入れて、コインロッカーに預ければ準備完了。さて、まずは雑貨屋から覗いてみようかな。
雑貨屋を巡りながら朝の事を思い出す。あの後、楓恋様は「じゃあそういうことだから。ちゃんと読みなさいよ!」と言って教室から出て行った。
楓恋様が出て行ってからも、暫く自分の机の上に置かれたものを見ていたのだが、こんなところを他のクラスメイトに見られでもしたら変な噂が立ってしまう。それは避けたいので、諦めてその封筒を手に取った。
『凰院優莉奈殿
来週行われるクリーンアップ活動にて貴殿に勝負を挑む。
活動の時間になったら裏庭入口に来られたし。
鷲宮楓恋』
わあ、楓恋様ってば達筆だー。…ではなくて。うん。予想通り来週のクリーンアップ活動についての手紙だった。でも追加情報は裏庭でやるってことだけだ。もっと具体的に教えてほしかったんだけど。
最近校内を歩き回っていた私は、もちろん裏庭にも何度か行ったことがある。この学院の裏庭は結構広いのでまだ全体を見て回ってはいないが、結構寂れていた気がする。人気が無いので学院側もあまり予算を回さないらしい。
もしかして――。
裏庭の様子を思い浮かべ、勝負内容にあたりを付ける。想像している様な勝負であった場合、アレがあった方がいいかもしれない。そう思い至った私は、丁度買い物に来ているわけだし、ついでに必要になりそうな物も買っておくことにした。
桐人のプレゼントと目的の物を見つけ、制服に着替え直して車に戻った。運転手さんに家に帰っても大丈夫か聞かれたので頷く。桐人はどういう反応をするかなー。
家に帰って桐人にプレゼントを渡すと「遅い!!」と怒られた。どうやら先に帰ったはずの私より、鴇森君の方が早く家に着いたそうで、どこに寄り道をしていたのか聞かれる。学校で必要なものを買いに行っていたと言えば、今日でなくてもよかっただろうと拗ねられてしまった。
機嫌を直すために夕食後に出たケーキの、私の分を桐人にやる。「帰るのが遅くなってごめんなさい、桐人。これで機嫌を直して?」と言うと暫く唸ってから頷いてくれた。おいしそうにケーキを食べる桐人を見て思う。
こいつ、ちょろいなー、と。