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確か、申込用紙は生徒会室前のポストに入れておけばいいんだったよね。申込用紙を貰った時に鷹司一輝から言われていたことを思い出し、ポストを探す。しかし、鴇森君と二人であたりを見回しても、生徒会室の前にポストらしきものは見当たらなかった。あれ? 出し忘れかな。
「ポスト、出し忘れてるみたいだね。聞いてみよっか」
その言葉に少し焦る。生徒会室に入らなくていいと思って、正直油断していた。今からあの鷹司一輝と顔を合わせるかもしれないと思うと、冬でもないのに身震いしそうになる。
そんなことを思っていると、鴇森君は既に生徒会室の扉をノックしていた。早いっ! もう少し待っててほしかったな! まだ心の準備ができてないんですけど!
「はーい。ちょっと待っててください」
意外と近い所に居たらしい、女子の生徒会役員が答える声がする。声とともに足音が近づいてきたので、今の人が出てきてくれるみたいだ。よかった。鷹司一輝とは会わなくてすむ。
恐怖の対象に合わずに済むことに安心していると、扉が内側から開かれた。揺れるツインテール。すらっとした手足が扉の向こうから現れる。
なんと、生徒会室から出てきたのは今朝も会った楓恋様だった。楓恋様は鴇森君を知っていたようで「あら、鴇森君。何の用?」と気安い感じで話しかけている。
「僕たち、実行委員会の申込用紙を提出に来たんです」
「それならポストに――って、置いてないわね。まったく、会長ったら昼休みにポストの中身を確認して、それっきりなんだから……。ごめんなさいね、どうやら出し忘れていたみたい。貴方たちのは私が預かるから、渡してもらえる?」
どうやら鷹司一輝が昼休みに、中身の確認をするためにポストを一度生徒会室内に引き下げたまま、ポストを元に戻し忘れていたことが原因らしい。独り言のように愚痴を言った楓恋様は、それまでの不満げな様子を取り払って申し訳なさそうに手を出した。鴇森君が扉近くにいたので、必然的に彼からプリントを渡す。楓恋様は渡された申込用紙にさっと視線を走らせ、記入漏れが無いかの確認をしているようだ。その間に鴇森君と立ち位置を交換した。
「あら、貴方、今朝会った…」
「はい。ごきげんよう、楓恋様」
「貴方も実行委員に? 体育祭だから、大変よ? 体力ある?」
「自信はありませんが、精一杯頑張らせていただきますわ」
「ふふ、そういう気概は嫌いじゃないわ」
申込用紙を渡しながら言った私の言葉に満足げに笑った楓恋様は、しかしその後直ぐに顔を硬直させる。手に持った申込用紙に真っ直ぐに注がれる視線。ある一点を眺めて動かない楓恋様を不審に思い声をかける。
「楓恋様?」
「――――わ」
「え?」
彼女が言った言葉が聞こえずに聞き返す。
「あんた、凰院の妹ね! そんなやつに、実行委員会をする資格なんてないわ!!」
今度は叫ぶように言った楓恋様。表情は親の仇を見るようなものだ。言われた内容は今までに飽きるほど言われてきた内容なので、別に傷つきはしない。でも、先程まで親しげだった人に言われると少し、ね。
「何をわめいているんだ、鷲宮」
そこで廊下からやって来た鷹司一輝。このタイミングで来るとか……。
「会長! こいつあの女の妹よ! なんでそんな奴に申込用紙を渡したんです!?」
「確かにそいつはあいつの妹だし、そんなのは関係ないとは俺には言えない」
「だったら!」
「だが、そいつは彰に推薦されてるんだ。この意味が、分かるな?」
その言葉に押し黙る楓恋様。はい。あの腹黒に推薦されるなんてこいつ何者…!? と言ったところでしょうか。その心境を推し量るに。要の兄、一条彰先輩はあの鷹司一輝にまでこういう言い方をされるなんて、一体どういう学院生活を送って来たんだろう…。
「なんだったらお前の部下にして監視していればいいだろう」
下級生の実行委員会は上級生や生徒会役員の下について活動する。私は一年生なので、誰かの部下として働くのだ。楓恋様の部下。気苦労は絶えないかもしれないが、楓恋様は責任感が強いお方だと聞くし、部下として支えるには好物件かも。ただし相手から、一定の好感度を保たれている時に限るけど。
「さっきから聞いていれば、酷いですよ。二人とも、凰院さんをよく知りもしないで」
「鴇森君……」
アンチ凰院派が二人もいて、現実逃避をしていた私を救ってくれたのは鴇森君だった。六年の付き合いは伊達じゃない。自分より上級生の相手に向かって、真っ向から意見を言う事の出来る鴇森君はとても勇気ある人だ。
「凰院さんは親切で優しい人です。任されたことはきちんとするし、嫌な顔をせずに頼まれごとを引き受けるような子なんですから」
「騙されてんじゃないの?」
おっと辛辣。鴇森君の擁護をものともせずにズバッと切り捨てる楓恋様! そこに痺れも憧れもしませんけど!!
「違います! それに、凰院さんは誰が相手でも分け隔てなく接してくれる人です。外部生のクラスメイトにきつく当たっているところも見たことないし、家柄で人を判断することもありません」
まあ、態度に出さないだけで内心ではそうでなかったりするけどね。例えば鷹司一輝。けど折角鴇森君が庇ってくれているので黙っておく。
「…ふーん。鴇森君がそういうならそうなのかもね」
鴇森君が必死に言いつのったことで絆されたのか、未だ疑わしげではあるものの、先程よりはとげの抜けた視線で私を見る楓恋様。
「……よし。分かったわ。じゃああんた、あたしと勝負しなさい! あんたが勝ったら、実行委員として認めてあげるわ!」
暫く黙ってこっちを見ていたかと思ったら、突然そう切り出した楓恋様にその場にいた私たち全員が驚く。鷹司一輝の驚き顔なんてレアだ。
「はい?」
私の疑問符付きの返事を肯定と捉えたらしく、彼女は右手を上げてこちらを指さ――そうとして慌てて止め、両手を腰に当てながら次の言葉を言い放つ。今の仕種、ひょっとして人を指さすのを躊躇ったんだろうか。学年では楓恋様の方が上の立場だけど、家格でいえば私は同格の相手だしね。指さしって相手を下に見た行為で、されると嫌な気持になるって言うけど私はあんまり気にならないな――なんて、現実逃避をしてみたり。
「勝負は半月後のクリーンアップ活動で行うわ! 逃げるんじゃないわよ!!」
こちらの反応に見向きもせずに、生徒会室の扉を閉める楓恋様。計らずしも締め出された形になった鷹司一輝は、生徒会室の扉を眺めながら「……悪いが付き合ってやってくれ。ああなったあいつは簡単に止まらないから」と言った。
「…ええ、それは勿論、構わないのですが」
「なんだ?」
私が途中で区切った言葉が気になるのか、視線をよこす鷹司一輝。こいつは怖いが、言っておきたいことを言わなければ気が済まない。
「今度からはポストの出し忘れに気を付けてくださいね」
「………わかった」
今回このような騒動を引き起こした要因の一つを責めるくらい、正当な行動のはずだ。
今日がついてる日なんて誰が言ったんだか。運がいいどころか、とんだ災難に見舞われたわ。
◆◇◆◇
「…さっきは庇ってくださってありがとう、鴇森君」
生徒会室からの帰り、私は鴇森君と廊下を歩きながら先程の事にお礼を言う。
楓恋様は漫画では主人公の後輩として登場していた。主人公は鷹司一輝と親し気な楓恋様にやきもきしていたはず。でも楓恋様は鷹司一輝のことを恋愛対象としてみていなかったし、その後主人公を応援してくれるキャラになる。漫画ではもう少し大人しかったような印象があるのは、原作が始まるまであと一年あることと関係しているのかも。主人公が二年生の時の登場キャラだったし……二年もあれば大人しくなるかな。
「…ううん。あのくらい当然だよ。それより凰院さん、大丈夫? 僕が誘っておいてなんだけど、嫌だったら実行委員に入らなくてもいいんだよ?」
「いえ、大丈夫ですわ。私こそ、何だか変なことに巻き込んでしまってごめんなさい」
「そんな、僕は気にしてないよ」
面倒なことに巻き込んでしまい申し訳ないと思っていたが、鴇森君は本当に気にしてないように見えたのでほっとする。あそこまであからさまに姉への悪意をぶつけてくる相手は滅多にいない。大抵の人は不満があれども権力に逆らうべからず、と言う態度を貫くからね。だからあんな風に鴇森君を巻き込んでしまったのは初めてで、どちらかというと今回のことが原因で距離を置かれるようなことになったらどうしようかと思っていた。まあこの様子だと杞憂だったみたいだけど。
「ありがとう」
「ううん。僕が気にしてないんだから、凰院さんも気にしないでね」
「ええ」
お互いに笑い合っているところで昇降口に着いた。携帯を出して運転手さんにメールする。どうでもいいけど、漫画の連載が始まったのが結構昔だったせいでこの世界にまだスマホは普及していない。最終話でちらっと出た主人公たちの未来の様子でも、主人公がガラケーを使っていたのでスマホ普及への道のりは長い。いや、主人公がガラケー派ならまだ望みがあるかもだけど、未来では子供を連れてたんだよ? 子供が十歳くらいだったからなー。
「クリーンアップ活動で勝負って言ってたけど…何をするんだろうね」
靴を履きかえたところで鴇森君がそう切り出した。私もそれは疑問に思っていたので首をかしげる。
「さあ…。どちらが早く掃除を終えるか、とかでしょうか」
「やっぱりそんな感じかぁ。凰院さんは、自信ある?」
「えーっと………いえ、あまり」
前世では学校から家庭まで十数年にわたって散々掃除をしていたが、生まれ変わってからはそんなにしてない。基本的に家も学校内の掃除も業者に依頼しているから。前世の経験があるから自信あります、なんて電波なこと言えないので自信が無いことにしておく。私の言葉に鴇森君も「そうだよね。凰院さんは箱入りだもんね」と同意している。うーん、一応大人しい子って設定だったからインドア派と思われてるのか?
「じゃあ頑張らないとね。あ、僕にできることがあったら何でも言って。協力は惜しまないよ」
「まあ、すみません。お気遣い感謝いたしますわ」
「ううん、元はと言えば僕が誘ったのが原因でしょ?」
「そんな。丁度何かがしたいと思っていたところを誘っていただいたんですのよ? 感謝こそすれ、迷惑に思う事なんてありませんわ」
そう。暇だったところに声をかけてくれた鴇森君を恨むなんてことはあり得ないのだ。そう言って否定すると鴇森君が噴き出した。え、なに?
「いや、なんかさっきから同じような事を繰り返してるから、おかしくなって」
「…言われてみれば」
私も可笑しくなって少し笑う。ああ、校門に着いた。お互いの車が到着していることを確認する。
「では、ごきげんよう鴇森君」
「うん。また明日ね、凰院さん」
車に乗ったところで、少しばかり不快に思っていた気持ちが、すっかり晴れていることに気づきまた笑う。運転手さんに機嫌がよさそうだと指摘されたのにも、否定は返さなかった。気分良く帰った私は、結局桐人の誕生日プレゼントを選ぶことを忘れて、その日を終えたのだった。




