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「……どう?」
私がプリントを読み終わったことに気づいた鴇森君が、おずおずと聞いてきた。私はそれに笑顔で頷き返す。
「私でよければ、是非手伝わせてください」
「本当?! よかった~。僕もね、一人じゃ不安だなって思ってたから、凰院さんが一緒なら心強いよ。ありがとう」
喜色満面の笑顔でお礼を言ってきた鴇森君に首を振る。
「いいえ、礼には及びませんわ。私も丁度、放課後にできることを探していたの」
「そういえば凰院さんは部活に入らなかったんだよね」
鴇森君は不思議そうに聞いてきた。私と仲がいい子たちはみんな部活に入っていることを知っているようだ。でも、鴇森君に対して「姉の存在に怯えられたので入部しませんでした」なんて言えるわけがないので話をそらす。
「ええ。確か、鴇森君もそうでしたわよね?」
「うん。実は僕、生徒会に入ろうと思ってるんだ」
「まあ、そうなの?」
すごい。この時期から生徒会に入りたいなんて思う子がいるとは思わなかった。
この学校は兼部ができないので、生徒会に入る場合は部活に入ることができない。生徒会も生徒会執行部として、部活の様なまとまりで見られる。だから鴇森君は部活には入部しなかったと語った。
「それに、ほら、今の生徒会長ってあの鷹司一輝さんでしょ? 僕もね、彼みたいに、生徒会に入って生徒のために働きたいんだ」
鴇森君はキラキラとした笑顔でそう言った。鷹司一輝が生徒のために働いてる…? 漫画の彼しか知らないので、いまいち想像がつかない。漫画での彼はかなりの俺様だったようだけど…。
どうやら鷹司一輝に鴇森君は憧れているらしい。さっきの説明会でも、鷹司一輝に直々に説明してもらったらしく、いかに彼が堂々としていたか、きびきびと説明する姿が素晴らしかったか等を詳しく聞かせてくれた。そして、自分はそんな彼のようになりたいと鴇森君は語った。
「鴇森君ならきっと、優しい生徒会長になれますわ」
「えへへ。ありがとう。でも、まずは役員として選ばれないと生徒会長にはなれないからね。実行委員をやってるときの様子とかも見られるから、頑張らなくちゃ」
「役員に選ばれないと生徒会長になれないの?」
「うん。この学校では生徒会役員…書記や各委員の委員長、副委員長として一年間下積みをしないと、生徒会長や副会長にはなれないんだ」
それ以外にもいろいろ生徒会の仕組みを鴇森君は教えてくれた。
「――って感じかな。…あ、ごめん。話し過ぎたね。時間大丈夫?」
私が途中で疑問を挟んだりしたから、すっかり話し込んでしまった。私が「一応」で出しておいた教科書の存在を思い出したらしい鴇森君が、申し訳なさそうに謝ってくる。心配しなくても、これはぼーっと机に座ってるだけだと対面が悪いので置いていた、ただのカモフラージュに過ぎない。
「ええ、私は大丈夫よ。鴇森君の方こそ大丈夫? 何か用事はありませんでしたの?」
「うん。実行委員の申込用紙は、明日提出することになってるから。他に予定もなかったしね」
「そう、よかったわ。詳しくお話を聞かせてくれてありがとう、鴇森君」
「どういたしまして」
こうまで話し込んじゃうと勉強を再開する気にもなれなくて、私は机の上の教科書を片付けることにした。時間を確認すると、完全下校時間までまだ余裕があるようだった。
「帰るの?」
私が机の上を片付ける様子を見ていた鴇森君が、帰宅の準備を始めたと思ったらしくそう聞いてきた。
「いえ、生徒会室に行ってこようと思って。その…申込用紙? を貰わなくてはいけないのでしょう?」
「そっか。申込用紙を配布しているのは生徒会室だけだからね。じゃあ僕もついていくよ」
「よろしいの?」
「うん。さっきも言ったけど、今日はもうすることがないから」
「では、お願いしますわ」
一年生の教室は一階で、生徒会室は三階だから少し遠い。歩く道すがら鴇森君と話す。
「そういえば、随分鷹司様のことをご存知のようでしたけど、鴇森君は以前にもお会いしたことがありますの?」
「うん。親同士の付き合いがあるからね。以前、一輝さんの家に用があった親についていったことがあって、その時に遊んでもらったんだ」
『鷲鷹』と『鶴鴇』だもんな。家同士の交流もそりゃああるよね。
「ああ、たまに桐人君も一緒になって遊んでたよ」
「まあ、桐人も? …その、桐人はお二人にご迷惑をおかけしたのではなくて?」
となると当然『鳳凰』とも交流があるわけで。どうやら私の親は、相手先に男の子しかいなかったから、同伴の相手に弟を選んだらしい。
今まで桐人が両親に連れていかれる姿を見たことが度々あったが、まさか行く先が鷹司家だったとは。私は白鳥学院に入学するまで、鳥の名家の中では同じ『鳳凰』の鳳家くらいにしか行ったことが無かった為、少し驚いた。と、同時に不安になる。弟は鴇森君や鷹司一輝にまで迷惑をかけていないだろうか。あの弟のことだ、何やら失礼なことをしていても不思議ではない。
「ううん。そんなことなかったよ。桐人君、素直でいい子だよね」
す、素直でいい子? 私からしたら、自分勝手な奴だという印象が強いけど…猫かぶってるのか? いや、でもあいつにそんな狡賢さがあるとは思えないし……。あ、社交辞令か。
「そうかしら?」
「うん。それに、桐人君、凰院さんの事自慢してたよ。『優しい姉ちゃんがいるんだ』って」
「えっ!?」
「昔、雷が鳴っていた夜に怖がっていた桐人君のことを慰めたり、水族館で迷子になった桐人君を見つけてあげたりしたんでしょう?」
私は恥ずかしさから顔が赤くなった。何ベラベラ昔話をしてるんだよあの弟は! いや、別に嘘を言われているわけではない。ただ、雷の夜は停電してしまって、まだ幼かった私が動いても大人の邪魔になると気づいたから弟の側にいただけだし、水族館は弟を見つけた後に拳骨して怒った覚えがある。どちらも『優しい姉ちゃん』をアピールするには、物足りないエピソードだ。
つまりこれは鴇森君のキラキラフィルターによって、愚痴として話したこのエピソードが、素直になれない弟が姉を自慢するエピソードに変えられてしまったという事だ。
鴇森君の微笑ましい、という視線が恥ずかしかった。
弟に対しては怒ることも多かったし、あいつは絶対私のことを優しいなんて思ってない。上の姉は言わずもがな、下の姉すら口うるさい女だなんて、弟には軽く同情する。まあ私も弟の好奇心旺盛なところについていけないし、満足のいく姉弟を得られなかったという点で見るならお相子だよね。私は赤くなった頬を誤魔化す為に、両頬を手で押さえた。
「あの子ったら、恥ずかしい事をしないでほしいわ。それに優しいなんて、思ってもないようなことを言うなんて。鴇森君もそんな話を聞かされたあとに私に会って、がっかりしたでしょう?」
「別にがっかりはしてないよ。確かに僕は桐人君の話を先に聞いてから凰院さんと仲良くなったけど、聞いていた通りの子だと思ったよ?」
私の様子に気づいた鴇森君が、からかう様に笑って言った。こういう場面で鴇森君が楽しそうにからかうのは珍しい。それ程私との間に遠慮がいらないと感じてくれているなら、光栄なことだと思う。信頼の証みたいで嬉しい。
でも、からかわれるのはごめんだ。だいたい優しいと思えるのは鴇森君が優しいからだよ。鴇森君のキラキラフィルターにかかれば、俺様生徒会長も生徒想いのお優しい生徒会長に変わるんだから。
「もう。私の話はいいわ。ねえ、生徒会の皆様は他にはどういった方がいらしたの?」
「副会長は一条彰先輩だよ。凰院さんとも仲がいい、一条要君のお兄さんの」
私のあからさまな話題転換に、何も言わずに鴇森君は話を合わせてくれた。ああ、要のお兄さんか。確か漫画にも出てきてたな。俺様な鷹司一輝のことを支える腹黒キャラとして。
漫画では、鷹司一輝に近づく主人公の女の子に対して最初は警戒していて、でも鷹司一輝が主人公に惹かれていることに気づいてからは二人を応援していた。二人がくっつくために鷹司一輝の両親の説得に協力したり、凰院華梨のいじめからさりげなく庇ったり。鷹司一輝が表で活躍している裏には彼の暗躍があったりして、読者にもそれなりに人気だったキャラだ。一部別の楽しみ方をされていたようだけど。
今にして思えば、なんで一条彰は鷹司一輝の側で汚れ役をやったり、彼の横暴に付き合ったりしたのか疑問に感じる。ああいう性格の奴は不用意に近づかない気がしたんだけど……。でも相手が『鷲鷹』の一家だから、権力には逆らえ無かったのかな? 家の事情もあるだろうしね。
「一条先輩も優しい方だよね。いつも笑顔で親しみやすい雰囲気でさ」
私は漫画のイメージが強すぎて、いつも笑顔なのも「何か企んでそう」という印象しかない。笑顔で親しみやすいって、鴇森君、それ貴方の事じゃない?
「そうね。要とは大違いよ」
「一条君は元気で明るい人だよねぇ。僕はあまり親しくは無いんだけど」
「要に付き合っていると疲れるから、鴇森君くらいの距離がちょうどいいと思うわ」
私の言葉をどう捉えたのか知らないが、鴇森君はくすくすと笑った。ねえ、まさか鴇森君まで誤解してないよね?
「そっか。あ、書記は鷲宮楓恋様と鶴岡義仁先輩だよ」
「まあ、あのお二人も?」
『鷲鷹』の鷲宮家と『鶴鴇』の鶴岡家。両方ともやはり私の家と同格の家柄だ。
鷲宮家の楓恋様は良家の子女にしては行動的で、考えるよりもまず行動! というイメージの人だ。噂では姉との仲が険悪らしい。鷲宮家に行くときに同伴していたのは姉だけなのでその場を見たわけではないが、初訪問に日に姉が楓恋様に失礼なことをしたとか。で、その後も色々と衝突しているらしい。一歳差があるので、学校では直接対決はあまり起こっていないようだが。姉と仲が悪いので私もあまり交流が無い。
鶴岡様はそんな楓恋様の一歩後ろに控えてる姿をよく見かける。暴走しがちな楓恋様を宥めるのは彼の役目で、以前一人でいる時に胃のあたりをさすっている姿を見たことがある。その姿はかなり哀愁を漂わせていて、ああ、苦労しているんだろうな、と同情した。
「すごいよね。鳥の六家が揃ってるんだもん」
無邪気に感心する鴇森君。鳥の名前が付く鳥の名家の中でも、『鳳凰』の鳳家、凰院家、『鷲鷹』の鷲宮家、鷹司家、『鶴鴇』の鴇森家、鶴岡家、この六つの家は特に力を持っているため、総称して『鳥の六家』と呼ばれる。
偶然にも(といってもこれも漫画の設定上必要な、ご都合主義が働いているのかもしれないが)今の学校には六家のうち五家の子供が揃っているので、学園内の勢力図があまり安定しないのは確かだ。私はそういう派閥争いみたいなのには関わっていないが、姉の世代はすごいらしい。女子トップの凰院華梨と学園のトップである生徒会長鷹司一輝。今まで目立った衝突はなかったようだが、小競り合いくらいは起きていて、どうして漫画の中の凰院華梨は鷹司一輝を好きになったのかが分からない。
まあ、それは置いておいて。生徒会役員の中に姉が入っていないことが妙に恥ずかしく感じた。在学中の鳥の六家の中で姉だけが生徒会に入っていないことになる。(勿論まだ役員に入れない一年生は除いてだけど。)
いや、もちろん、たとえ形だけでもあの姉が生徒会に入ることなんてできないとは分かっているけどね。問題児の代表みたいな人だから。
「そうですわねえ」
とりあえず鴇森君の言葉に相槌を返し、この話を流すことにする。
その後は、鴇森君と授業の話をした。今はまだ簡単な授業だがこれからは難しくなっていくだろう、とか、あの先生の説明は丁寧で分かりやすい、とか。そんなとりとめもない話をしていると生徒会室に着くのはすぐだった。特に身構えることもなくドアをノックをする。中から「どうぞー」と声がしたので鴇森君が扉を開けてくれた。「レディーファーストだよ」と、にっこり笑って先に入ることを促す鴇森君にお礼を言って中に入る。
「失礼します。一年一組の凰院優莉奈です。文化祭実行委員の申込用紙を――」
「凰院だと?」
私が訪問の用件を告げようと口を開くと、一番奥に座っていた男が私の言葉を遮ってきた。どこか冷たい印象を与える瞳と目が合う。私の言葉を遮ったのは、入学式で生徒代表の挨拶をしていた男、鷹司一輝だった。
わ、忘れてたーーー!! ここは生徒会室なんだから生徒会長の鷹司一輝がいるのはあたりまえじゃん! なに気軽にドアを開けちゃってんの私っ!? もっと警戒しろーーーー!