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私を引き留めた声の主は、幼馴染の一条要だった。……まずいなあ。
「…どうしましたの? 一条君」
「あ? どうしたんだよ『一条君』なんて呼んで。いつも通り『要』って呼ばねーの?」
きょとんとした顔で首をかしげる要。中等部に上がって初めて会ったから一応『一条君』なんて呼んだが、やはり無用な心配だったようだ。直ぐに訂正して言い直す。
「……どうしたの、要」
「おう。優莉奈も今から部活見学だろ? 一緒に運動部見て回ろうぜ」
ニカッと笑って提案する要。こいつは昔から、一歩離れたところにいる私の手を引いて巻き込む奴だった。今回も当然私と行動するつもりで私を探していたようだ。私が一組で要は六組だから遠かっただろうに。
「せっかくのお誘いだけど、ごめんなさい。私、菖蒲さんと春歌さんの三人で文化部を見に行くの」
「文化部? 優莉奈は文化部に入るのか?」
びっくりした顔で尋ねる要に頷く。要は初めてその可能性に思い至ったという様子で暫く放心していた。……状況を把握できるまでは待ってあげよう。
要は暫く掴んでいた手をじっと見つめていたかと思うと、いきなりギュッと力を入れた。
「…いやだ」
「え?」
「いやだ! なあ優莉奈。お前も一緒に運動部に入ろうぜ?」
ああ、やっぱりね。こいつならこう言うと思ってたよ。昔からこういう奴だったので今更驚かない。私がどうこの場を収めようかと考えていると、私たちの様子を見ていた菖蒲さんがイラついた顔で要を見た。
「いい加減にしなさいよ、一条君。優莉奈様を困らせないで」
「は? お前は関係ないだろ、九条」
二人の視線が交わる。気のせいかバチバチと音が鳴っている気がする。一条家と九条家は昔からライバル関係にあるらしいから、子供の菖蒲さんと要の仲も険悪だ。
「関係ないわけないでしょう。私は貴方より先に優莉奈様と一緒に部活見学に行く約束をしていたのよ。貴方、後から来たくせに横取りしようというつもり?」
「優莉奈はいつも俺と一緒にいたんだ。今回だって一緒に回るのが当然だろ」
「いつも? 聞き捨てならないことを言うわね、一条君。私の記憶が正しければ、優莉奈様と貴方がよく一緒にいたのはせいぜい四年生のころまでだったし、私たちもその場にいたはずよ。私たちは六年生になっても優莉奈様と一緒にいたし、いつも一緒にいたというなら私たちの方ではないかしら」
「あーあーあー! 九条はいつもそうだよな!! いちいち細かいんだよ!」
「なんですって!?」
二人の喧嘩がヒートアップする。春歌さんはおろおろと二人を止めようとしてるが、彼女には荷が重いだろう。
「二人とも、そのくらいにしましょう? 廊下で騒ぐなんてみっともないわ」
私の言葉にハッとしたように止まる二人。廊下で言い争いをしていたから、少し人の目を集めてしまっていたのだ。菖蒲さんは恥ずかしそうに「すみません」と謝ってきた。
「要、私は運動部に入る気はないわ。運動部が見たいのなら、他のお友達と行って」
「……見学だけでも、見に行くつもりはないのか?」
諦めきれない、という様子でこちらを窺う要。なんだか幻の犬耳としっぽが垂れているのが見える。私は眉を下げて苦笑いした。
「そうね。ごめんなさい」
「………ちぇ、分かったよ。今日は亮太たちと行く」
不貞腐れたように呟いて要は手を離した。
「本当にごめんなさいね、要。でも、誘ってくれてありがとう」
「ん、俺もごめん。……またな」
「ええ。またね」
要に手を振って別れを告げる。それに手を振り返した要が背を向けて歩き出したので、今度は菖蒲さんの方を向く。菖蒲さんは少しばつが悪そうな顔をしていた。
「菖蒲さん、庇ってくれてありがとう」
「…いえ。すみません、騒いだりして。でも、優莉奈様は一条君に甘すぎると思います」
「そうかしら?」
菖蒲さんの意外な言葉に驚く。私、要に甘いか?
「だって、一条君、優莉奈様と一緒に回るのが当然なんて思ってたんですよ? 彼、ちょっと勝手すぎます。なのに優莉奈様、そのことについて何も言わなかったじゃないですか」
「それは…なんていうか……」
そういえばそんなこと言ってたね。二人の勢いに負けて聞き流してた。それに、中学生ってこんなもんなんだろうなーって思って、大概のことはスルーしちゃうんだよね。
「……優莉奈様にとって、一条君が特別な存在だってことは分かってます。でも、それにしても」
「ちょ、ちょっと待って、菖蒲さん」
菖蒲さんが言った言葉にぎょっとして、慌てて止める。特別? どういうこと?
「要が特別って、何?」
私の疑問に対して、菖蒲さんだけでなく春歌さんまできょとんとした顔をした。そして菖蒲さんと春歌さんは顔を見合わせ、困惑気味に言った。
「隠さなくても大丈夫ですよ……? 一条君と居る時だけ、優莉奈様は生き生きとしていらっしゃいますから」
「その…いつも読書やピアノ演奏をなさっていた優莉奈様が、私たちとよく遊ぶようになったのは……一条君がきっかけでしたし…」
それは、純粋に遊ぶ貴方たちと同じテンションで遊べないと思って離れていただけで。確かに要がきっかけで菖蒲さんたちともたくさん遊ぶようにはなったけど、だからと言ってそれで奴が特別な存在になったりはしない! 要と居る時に生き生きとしてるというのも誤解だ。奴のやらかす馬鹿な行動を止めるために否応なく声を荒げているだけだ!!
今まで黙って様子を見ていた春歌さんまでそんなことを言い出すので、私は本当に驚いた。まさか二人そろってそんな誤解をしているなんて。
「その、誤解よ、二人とも。私にとって要は確かに幼馴染だけど、それ以上でもそれ以下でもないわ。彼も私のことを妹とか姉とか…そういう兄弟の様なものだと思っているのよ。私からしたら、菖蒲さんや春歌さんの方がよっぽど大切だし、特別だわ」
私の言葉に二人もびっくりした顔をした。たぶん二人は知らないんだろうけど、要が初めて私に声をかけてきたときの言葉は「おまえ、いつも一人でさみしいやつだな! おれさまの子分にしてやるよ!」だ。今もどうせ私のことを子分だと思ってるに違いない。
「それは、大変嬉しいのですが……照れ隠しとかではなく?」
「違います」
きっぱりと言い切る。中学生ともなると、そういう浮ついた話が出てくるものだよね。でも誤解で噂が広まるのはごめんだ。姉の恋愛ごとで厄介な目に合うかもしれないというのに、自分の恋愛ごとまで構っていられない。だいたい自分の感覚的に、中学生を相手に惚れた腫れたの話に発展できないと思う。ショタコンじゃあるまいし。
私の断固として譲らない、という態度に、菖蒲さんはまだ少し納得がいってないようだったが、取りあえずは引き下がってくれた。私たちの様子を窺っていた春歌さんがふと時計を見た。
「時間もないし…そろそろ行きませんか……?」
「本当ですね。すみません、私が一条君と言い争ったりしたから…」
「それはもういいわ。行きましょう」
私は二人に笑いかけて言った。
しかし、本音を言うと運動部を見て回るのも悪くないとは思っていた。私の現在の知人の中に、姉の相手になるような人がいなかったからだ。要はメンタル強いけど、もし姉の恋人になったら二倍疲労することになる。私が。
で、運動部にいるような人ならタフな人も多いだろうし、姉の恋人候補を探すのにちょうどいいかな、と考えていたのだ。でもまあ、せっかく菖蒲さんが庇ってくれたわけだし、先に約束してたのは菖蒲さんたちだしね。
まだ四月だし、焦ることは無いかな~と思う。姉の様子だとまだ鷹司一輝のことが好きってわけじゃあなさそうだし。漫画では、いつから姉が鷹司一輝に惚れていたのか描写されていなかったからなあ。それとも私が思い出せていないだけか?
◆◇◆◇
結局私は部活には入らないことにした。あんな騒動を引き起こしておいて申し訳ないが、文化部っていまいちぱっとしないしね。それに「あの凰院華梨の妹」という事でかなりビビられたのだ。文化部のメンツに。
文化部員は比較的おとなしい子が多いから、恐怖の象徴ともいえる姉と繋がりがあるというだけで身構えてしまう。それはしょうがないと思うよ。だって怖いもん、彼女。
私が部活に入らないという事で、最初は遠慮していた春歌さんも、最終的には予定通り家庭科部に入部することに決めた。菖蒲さんは見学した結果、茶道の流派が家で習っているものと違ったので美術部に入ることにしたようだ。
他にもよく一緒にいる子達はそれぞれ部活に入ることにしたようで、帰宅部は私だけになってしまった。この学校は部活加入率が高いので、しょうがないともいえるが……寂しい。放課後はみんな忙しくなってしまうのか~。私の放課後の予定といえば、初等部の頃から続けている習い事くらいだ。別に何もすることが無いわけではないけど、なんかそれだけって言うのも虚しい。
なんとなくすぐに帰ることが躊躇われて、私は人がいなくなった教室でぼんやりと過ごした。一応机の上には今日の授業で使った教科書を出しておく。
すると、教室の後ろのドアを開けて鴇森君が入ってきた。
「あ、凰院さん。まだ残ってたんだね。何してたの?」
「ごきげんよう、鴇森君。今日の授業の復習と明日の予習をしていたの」
「真面目だねぇ」
鴇森君は感心したように言った。実際、中等部の最初の方の授業なんて予習も復習もいらないからね。簡単だから。
「いいえ、それほどでもありませんわ。そう言う鴇森君は?」
「僕? 僕は体育祭の実行委員の説明を聞きに行ってたんだ」
「実行委員?」
「そう。体育祭は体育委員以外にも、運営する側の手伝いで実行委員がいるんだ。実行委員は有志から募る形だから、生徒会室に行けば詳しい話を聞けるよ」
へー。初めて知った。前世では学校行事なんて面倒だと思うだけで、運営側に回ったことなんてなかったからなあ。
「そうだ。よかったら凰院さんも一緒にどう? 一年生からは立候補が少ないんだって」
「まあ、そうなんですの?」
「うん。やっぱり入学したてだからね。部活に入る子も多いから、どうしてもこういう実行委員に入ってくれる子が少ないんだ。あ、これさっきの説明会で貰ったプリント。読んでみる?」
「ええ」
鴇森君からプリントを受け取る。成程、実際にすることはそんなに多くなさそう。でも放課後の時間がほとんど取られるから、部活生には厳しそうだな。これなら放課後暇な私にとって丁度いいし、やってみようかな。




