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体育館に来るように、という伝言を受け取り準備をしていくと、そこには放課後とは思えない数の生徒が集まっていた。えっ?
「遅かったな」
着替えてましたからね、とも言えずに相手を見上げる。相手は既に別の方向を見ていたので目線が合うことは無かった。
「勝負内容を決めてほしいと頼んだら、審判もしてくれることになったの」
「……」
「そうしたら、どこから話が漏れたのか、ギャラリーがこんなに来てしまったのだけど…問題ないわよね?」
状況を説明する楓恋様に悪気は一切ない。そうだろう。彼女は彼を慕っている。この状況も応援者がいると好意的に受け止めているんだろう。でも、でもさ……。
「勝負内容はフリースロー。五点先取した方が勝ちだ。審判は俺、鷹司一輝が務める。異論はあるか?」
「いいえ、ありません」
「…私も」
適当な人って、適切な人材の方かと思ってたんだけど!? そりゃ生徒会選挙に関する勝負だから、全く相応しくないわけでもないけどさ! でも、でも…!
多忙な生徒会長にこんな事させるか!?
ちらちらと鷹司一輝の様子を窺うが、全く気にしている様子は無い。周囲にたくさんいるギャラリーは鷹司一輝に向けて熱心な視線を送っている。多少この勝負が見どころのないものになっても気にも留めないだろう。
「コイントスで先攻を決めましょう。貴方はどっちにする?」
「そうですね……では裏で」
鷹司一輝は徐にコインを取り出し、宙に弾いた。それだけで黄色い悲鳴が上がる。ここでコインを落としたら女の子たちはがっかりするのだろうか。いや、そんなところも意外性があっていいとか言われるパターンだな。
「――結果は表ね」
「ということは……私は後攻ということですか」
私の懸念をよそに、きちんとキャッチされたコインは表を向いていた。後攻か。少しやりにくい。
「さっそく始めましょう」
トントン、と何回かボールをついて調子を整える楓恋様。ギャラリーがそんな楓恋様に声援を送る。私はそれを見つめながら、早く終わればいいのにと願った。
「貴方、バスケは得意?」
ゴールを見据えながら訊かれる。この身体はスペックが高い。前世より早く走れるし、体力もある。水泳などの身体を使ったスポーツであれば優秀な成績を残せる一方で、道具を使うスポーツに関してはそれほど上達することはなかった。バスケもそれほど得意ではない。
「人並み程度にはできます。楓恋様は?」
「私も」
楓恋様がゴールに向けて放ったボールは、ネットを潜ることなく体育館の壁に当たった。謙遜ではないかと疑ったが、どうやら本当に得意では無いようだ。跳ね返って来たボールを近くに居た人が拾う。頬を染めながら楓恋様にボールを渡し、励ましの声を掛けている。楓恋様はそれに優雅に答えながら私に場所を譲ってくれた。一発目から外したことを残念がってはいるが、そこまで取り乱していない。きっと次に取り返せばいいと思っているのだろう。楓恋様の様子を横目に位置を交代する。
…大丈夫。外してもまだ負けじゃない。
自分に言い聞かせながらボールを放つ。
「…なによ、得意なんじゃない」
「たまたまですよ」
綺麗な放物線を描きながらネットを潜ったボールに、周囲から歓声が起こる。そこではっとして辺りを見渡す。
そうだった。ここには観客がいるんだ。いつものように、私達だけの空間ではないのだ。それはつまり ――。
「ずっと不思議だったわ。能力があるのにひた隠しにしようとしたり、気まずそうにしたり。そのくせ、学年首席だったり私を遠慮なくぶち負かしたり」
「……」
「あれ、全部あの女のせいなんでしょ。考えてみればそうよね。一番の被害者になり得るのは貴方だわ。だって、産まれた時からずっと一緒なんだもの」
「言っている意味がわかりませんわ」
私と位置を交代し、何回かボールを手の内で転がす楓恋様。私はもう勝負どころでは無くて、前髪を整えるふりをしながら視線を彷徨わせた。これだけの騒ぎになっているのだ。もしかしたら、誰か来ているかもしれない。そして入り口付近にそっと佇む人を見つける。ああ……。
「私があの女に対抗するために自分を磨いたように、貴方はあの女と対抗しないために自分を隠した。そうなんでしょ?」
そこに居たのは姉の取り巻きの一人だった。確か、姉からは玲子と呼ばれていたはず。よりにもよって、姉に最も近しい取り巻きが来るなんて。彼女は冷たい眼差しでこちらを見ている。私が変なことをしないか、監視に来たのだろう。楓恋様はまだ気づいていない。気付いたところで楓恋様がどうするのかなんて想像がつかなかったが、勝負に集中させた方が良いだろう。私は何でもなかったように装いながら楓恋様の方へ目を向けた。
楓恋様の放ったボールが、バックボードにぶつかってあらぬ方向に飛んで行く。私はそっと息を吐く。
「…難しいわね」
困ったように呟く楓恋様。彼女の言葉には答えず、立ち位置を交代してボールを放つ。
私と楓恋様の勝負は幾度となく繰り返されたが、それを全て知っているのはいつも隣で見守ってくれた鶴岡様だけだろう。つまり、この場に居る姉の取り巻きを含めたギャラリーにとって、この勝負の場は私と楓恋様の初めての対立に映っているはずだ。彼らの目にはこの勝負が鷹司一輝率いる革新派と姉率いる保守派の勝負に見えている。私が楓恋様を気遣う様子を見せれば、不穏分子として姉に報告されるだろう。
私が放ったボールはリングに当たったものの、外に跳ね返ることなくネットをくぐった。楓恋様はムッとしながら「次こそ決めるわ」とボールを手に取る。
「でもね、それじゃ何も解決しないわ。逃げてるだけよ、それ」
ボールがネットを潜る。楓恋様はようやく一点。大丈夫。まだ相手は一点だ。
「おしゃべりもいいですけれど、もう後が無いですよ」
ガコン。私も一点。これで三点だ。
「立ち向かうのよ、そうしないと何も変わらないわ」
「…生憎と、とても恵まれた環境に居ますので、何かを変えたいと思うほど苦労はしておりません」
「嘘よ。あの女のこと、嫌いなくせに」
楓恋様は調子を掴んできたのか、また点を入れた。これで二点。しかし、私の脳を占めたのは楓恋様の言葉だった。
私は、姉が嫌いだと、鴇森君にしか話したことは無い。
「……それ、どういう意味ですか」
ガタン。ボールは見当違いの方に飛んで行ってしまった。思わず眉を顰め、邪念を払うように首を振る。
鴇森君は、友達の秘密を簡単に話すような人じゃない。だからきっと、これには理由があるはずだ。
「さあ? 自分で考えてみたら?」
完全にコツを掴んだのだろう。楓恋様が放ったボールは危なげなくネットを潜った。三点目。
「…勝負中に関係のない話を持ち込むのはやめてください」
「ふん。だったら言い返せば? 私を動揺させるようなこと、言えばいいじゃない」
「……」
楓恋様が何を言われたら動揺するのか皆目見当もつかない私に、そんな芸当は無理だった。押し黙る私に自分の優位を確信したのか、楓恋様は得意げに笑う。これは少し、まずいかもしれない。
試合の流れが変わったのを観客も感じたのだろう。楓恋様への歓声が増えてくる。元々、楓恋様は人望がある。応援する人だって多いはずだ。というか、そもそもこの場に鷹司一輝のファンと楓恋様の応援者以外が居るのだろうか? ああ、姉の取り巻きは居たんだっけ。じゃあ、私を応援してくれるような人って、いないんだ。
ガタン。私が投げたボールは再び見当外れの方に飛んで行った。
「ふふん、後が無いのはどっちかしらね」
「…まだ勝負はついていませんよ」
負ける気は無かったとはいえ、勝たなければならない理由もなかった。応援演説を快く引き受けることはできないけれど、勝負に負けて仕方なく、という体裁が保てるならば問題は無い……はず。
先程見つけた姉の取り巻きは、鷹司一輝の死角になるような位置に変わらず立っている。応援するでもなく、静かにじっとこちらを見つめていた。私が負ければ、また姉の怒りを買うことになるのだろうか。それとも、私が勝てば生意気だと詰られるのだろうか。どちらにしても嫌な未来だ。
観客の歓声が大きくなる。楓恋様が四点目を取ったのだ。
ボールを手に取り、じっと見つめる。先攻の楓恋様が既に四点を取ったということは、ほとんど勝負がついたようなものだ。ここで外せばほぼ確実に勝ちは無い。せめてここで点を入れて並ばないと。でも――。
ゴールを見上げると、途端にとても遠くにいってしまったような気がして足が竦む。無理だ。入らない。別に、諦めてしまってもいいんじゃないかな。その場合、姉の恨みを買うけど。それくらいいつものことだし。
「凰院さん!」
優しくて心強い声が、私の名前を呼んだ。




