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私は自分の幸運を信じ切ることができなくなっていた。
「だから、貴方に応援演説を頼みたいんだってば!」
「何度も言っていますが、私には無理です。他を当たってください」
あれから数日。鴇森君と鶴岡様の二人が組んで生徒会選挙に立候補した事実は、あっという間に学院中に広まった。そして殆どが好意的に受け入れられていることから、彼らの人望の厚さが窺えた。当選確実ともいわれる鶴岡様に対し、焦りを感じている人が一人。
それがもう一人の立候補者――楓恋様だった。
「始めは同級生の子に頼むつもりだったの。だけど義仁が鴇森君に応援演説を頼んだって聞いて、このままじゃ勝てないって思って」
「いいじゃないですか、同級生の方で。何が問題なんです?」
楓恋様は連日私の元に現れては、応援演説をして欲しいと頼み込んできた。泣きついてくる彼女に対し、全く憐れみの気持ちが無いといえば嘘になるが…正直、そんな目立ちそうなことはしたくない。
応援演説はステージに立ち、立候補者の隣で立候補者の為人について演説をする。つまり、全校生徒の前で楓恋様を支持する演説をするのだ。楓恋様と対立している姉にそんな姿を見られたらどうなるのかなんて分かり切っている。
「こういう言い方は卑怯だけど、『鳥の名家』のネームバリューは偉大よ。勝てっこないわ」
「でも、一条先輩は勝てたのでしょう?」
かつて一条先輩から聞いた話を思い出す。彼は『鳥の名家』である姉に勝ったと言っていた。十分な根回しがあれば勝てるのだ。
「そんなのあの先輩だけよ! 普通は勝てないの!」
「はあ…」
どちらかというと憐れみの気持ちが強かった私だが、珍しく弱気の楓恋様に段々と苛立ちが募って来た。負けると分かっていても私に数々の勝負を挑んできた楓恋様らしくないというか。失望にも似た感情が胸に広がる。
「…どうしてそんなに勝ちにこだわるんです?」
重い溜息に怯んだ楓恋様に、突き放すように言葉を続ける。何度も勧誘に来られて迷惑をしていたのだ。このあたりで決着をつけよう。
「…貴方達には、どうせ理解できないわ」
「そうですか。残念です」
今までも幾度か彼女に勝ちにこだわる理由を聞いてきた。その度にこうして口を閉ざされてしまうと、私にはどうしようもできなかった。せめて納得できる理由であれば協力してもいいと思えるのに……。いや、そうであっても応援演説はできないけど。
話はこれで終わりだと言うように踵を返す。楓恋様は追ってこなかった。
◆◇◆◇
その後も苛立ちが収まらなかった私は、このままではいけないと思い、休日に友達を誘ってスポーツセンターに来ていた。
「いきなり運動は好きかってメールが来て驚いたよ」
「…ごめんなさい、急なお誘いだったわよね」
「ううん、誘ってくれて嬉しかった」
花実さんは急な連絡だったにもかかわらず快く受け入れてくれた。先日の件といい、本当に頭が下がる。
「バドミントン、好きなの?」
「好きというか…己を忘れられるというか、精神統一できるというか…」
「あはは、何それ。好きってことじゃん!」
「我を忘れるくらい熱中できるってことでしょ?」と聞かれ、そうなのかもと納得した。私、バドミントン好きなんだ。
「それで? 今日は何を話してくれるの?」
「えっ」
ラリーを続けながら掛けられた問いに動揺する。あっ、羽落としちゃった。
「だって優莉奈ちゃん、何か話したいって顔だったもん。分かりやすくて笑えちゃった」
「いや、えっと…ごめんなさい」
「いいからいいから。話してみて?」
愚痴を聞いてもらうだけに呼んだみたいで気まずさを感じていると、あっさりと続きを催促される。もうバレてるならいいかと思い直し、楓恋様の件を話し始めた。
「なるほどねぇ」
一部をぼかしながらも話した内容は、どうやら一通りの理解を得られたらしい。彼女は頷きながら「分かるよ〜その気持ち」と続けた。
「こっちは協力したいって言ってるのに何かと理由を付けて断ろうとするんだよね、相手は。きっかけさえあればいつでも協力するのに…って悶々として、素直になれない自分に嫌気がさして…。相手も相手で事情に巻き込めないから全てを話せない、みたいな」
「? いや、だから先輩は私を巻き込もうとしてるんだよ。話聞いてた?」
「あれ? そうだっけ。あはは、ごめんごめん~」
いつの間にか妄想が入ってた~とおちゃらける花実さんに毒気を抜かれた。なんだかバドミントンを続ける気にもなれなくて構えを解く。花実さんもラケットを下したので休憩用のベンチに移動する。
「冗談はさておき、優莉奈ちゃんはどうしたいの?」
「…私は、協力はしたくないんです」
「ん~~ちょっと違うんじゃない? 協力はしたいけどできない、じゃない?」
どうしたいのかと聞かれ、自分の気持ちを率直に答える。すると花実さんは私の言葉を否定した。
「だって、協力したくないならこのままにしておけばいいもん。事情を話そうとしないその先輩が悪いって、放置しちゃっても誰も責めないし。でもそうじゃなくて、優莉奈ちゃんからは現状をどうにかしたいって気持ちが伝わって来たよ。今の説明を聞いているだけでもね」
「そんなまさか! どうして私が先輩の協力をしたいなんて思うの?」
「どうしてって……それはまあ、好きだからじゃない?」
意味の分からないことを言う花実さんに、どうしてか焦燥感が募る。
私が好き? 楓恋様を? あんな、向こう見ずなところが目立つ先輩を? 冗談じゃない。尊敬できるところもないのに、好きだなんて。
「納得できない? じゃあさ、試してみようよ」
「試す?」
「そう。聞いた話だと、その先輩は勝負が好きなんだよね?」
「ええ」
「じゃあ、こっちから勝負を仕掛けるの。負けた方が勝った方の言うことを何でも聞くって。それで勝って理由を話してもらえばいいでしょ?」
楓恋様からすれば、勝てば私に応援演説をしろと命令できる。乗らないはずがないだろう。ん? でも、それって…。
「……私、花実さんのこと誤解してた」
「あ、流石に気付いちゃった?」
「もう。いいよ、それで。貴方って意外と策士なのね」
「気付いたうえで実行するなら、やっぱり好きなんだよ。その先輩のこと」
にこにこと微笑ましそうにこちらを見る花実さん。なんだか良いように言いくるめられたような気がして腹が立つ。
「…まだ時間はあるし、バドミントンの続きしましょ」
「うん!」
決めた。さっきみたいに手加減しない。問答無用で打ち込んでやる。
その後、花実さんが音を上げるまで私の一方的なラリーは続いた。
◆◇◆◇
「ごきげんよう、優莉奈さん! 今日こそは良い返事をもらうわよ!」
早朝から元気な様子の楓恋様に、先日きつく当たってしまった時の様子が嘘のように思えて少しほっとする。……いや、気にしてないならよかったというか、落ち込んでたら悪いなと思ったというか。別にこうして頼みに来てほしいという訳ではないのだけど。
「良いですよ。条件がありますけど」
「ふふん、何度断られても――って、え?」
花実さんに言われた通り勝負をする為に一度頷いて見せると、楓恋様は信じられないという顔をした。
「え? なに、え?」
「ですから、条件次第でお受けしてもいいと」
「条件? な、なによ条件って」
徐々に事態が飲み込めたのか、恐る恐る条件を尋ねてくる。私は勿体ぶることでもないので素直に口を開いた。
「勝負です。貴方が勝てば、貴方の望むように致します。ただし、私が勝てば私の望みを叶えてもらいます。いつもの勝負に少しおまけがついた程度だと考えてください」
「…なるほど。貴方が勝てば勧誘を止めろと言う訳ね」
そう。この状況で「負けた方が勝った方の望みを叶える」という勝負を持ち掛けるなら、そういう目論見を疑うだろう。私が勧誘にうんざりしていて、このやりとりに終止符を打とうとしているのだと楓恋様は思っている。それに否定も肯定も返さず微笑みかける。
今のところは、そういうつもりはない。認めたくはないけれど、花実さんの言う通り、楓恋様の手伝いをしたくないわけではないのだ。かといって無条件に手伝ってあげる程の義理もない。だからこれは、見極めるための勝負でもある。
「――いいわ。その勝負、受けさせてちょうだい」
「では、今日の放課後お待ちしております。勝負の内容は楓恋様が決めてください」
「いいえ、結構よ。ここは公平に第三者にお願いしましょう。適当な人を連れてくるわ」
私の提案を断り、堂々とした姿で去っていく楓恋様を見る。あの日の弱々しい姿はもうそこには無かった。




