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スタンプラリーを終えて解散した私は、なんだか急に友達の顔を見たくなったので調理室へと向かっていた。幸い私が見回りを担当する時間まで三十分ほど時間がある。これなら一言二言話せるだろう。
調理室に足を踏み入れると甘い匂いが漂ってきた。家庭科部のお菓子作りは予想通りの盛り上がりのようで、沢山の女子生徒が参加していた。
「…優莉奈様?」
邪魔をしないようこっそり入ったつもりだったが、ちょうど入り口近くに居た春歌さんに見つかってしまった。
「珍しい……ですね。優莉奈様も、参加されますか…?」
「いいえ。少し校内を見て回っていただけなの。長居する気はないわ」
他の友達を連れているわけでも、実行委員として見回りをしているわけでもない私に春歌さんは不思議そうな顔をした。そして私がこういったことが好きではないことも知っているのだろう。春歌さんの申し出を断った私に「では……お茶だけでも、召し上がってください…」と隅にある空いた椅子に案内してくれた。
「このお茶、美味しいわね」
「…よかった。このお茶、優莉奈様が、好きそうだなと…思っていたんです」
たった一言「美味しい」と言っただけで嬉しそうな顔をする春歌さん。彼女の優しい雰囲気とお茶のおかげで、肩の力が抜けていくのを感じた。
「…このお茶が、飲みたくなったら……いつでも、いらしてくださいね…」
「ふふ、ありがとう。でも、これ以上邪魔をしても悪いから、そろそろお暇させていただくわ」
彼女が自由時間になったら菖蒲さんと合流して見て回る約束をしている。今ここで居座るのも迷惑だろう。また後で、と手を振って調理室を出た。
◆◇◆◇
美術室は調理室と同じ階に存在する。菖蒲さんも部活の方に顔を出すと聞いていたので、そこに行けば会えるだろう。
「優莉奈様! どうしたんですか? まだ約束の時間には早いですよね?」
「ごめんなさい、急に。少し時間に空きができたから校内を見て回っていたの」
「そうだったんですね。そうだ、折角なのでこちらに」
恐らく部活生が作ったのであろう彫刻や絵画があちこちに展示されている。展示の仕方にも工夫をしているようで遠くから全貌を眺めるだけでも楽しめた。
「これ、部長の作品なんです。素敵でしょう?」
「まあ、木彫りの箱ね。繊細で美しいわ」
菖蒲さんに案内された先にあったのは、細かな模様が掘られた木箱だった。美術部の部長の作品ということだけあって、中学生とは思えぬ完成度だ。
「菖蒲さんの作品は? こちらには置いていないの?」
「私のは未熟すぎて、お見せできるようなものでは…」
「…見られたくないというのなら我慢するわ」
菖蒲さんのことだからすぐに見せてくれるものだと思っていたのに、思っても見なかった反応が返って来て戸惑う。芸術作品の出来の良さなんて分からないけど、本人が嫌がるものを無理に見るのもなぁ。
「…いつかお見せできる作品をつくってみせます」
「本当? 楽しみね」
こちらが引き下がると、菖蒲さんは難しい顔をしながら未来の約束をしてくれた。美術部に入ると聞いた時はこういうことが得意なのかと思っていたけど、実際は違うのかもしれない。でも、好きでやっているのだろう。美術室に居る彼女は、いつもより楽しげだった。
そろそろ実行委員の当番の時間になる。菖蒲さんにそう告げると「生徒会室は美術室を出て右手にある階段を上った先にありますからね」と言われた。心配性だなぁ。流石に校内で迷わないって。もう半年近く通っているんだし。
◆◇◆◇
「それじゃあ二人とも、頼んだぞ。何か問題があったら連絡してくれ」
「はい。任せてください」
生徒会室に訪れると相方の鴇森君が待っていた。十分前に来たけど少し遅かったかな。待たせてしまうとは。
実行委員長である隼様からいくつか注意事項を受けて出発する。二人きりで行動するのは、この間裏庭で話した日以来だ。少し緊張する。
「じゃあ、一階から順に見ていこっか」
「え、ええ」
鴇森君は何とも思ってい無いようで、普段通りの様子だ。拍子抜けというか…。いや、仕事中に私事を持ち込むのはよくないよね。集中しよう。
まずは一階からということなので、階段を下りる。そういえば、体育祭の実行委員をしていた頃、この階段を龍ヶ崎君と二人で降りたことがあったけ。あの時も沈黙に対してどうすればいいか悩んでたなぁ。
龍ヶ崎君とは知り合って間もない頃だったので、お互いペースが掴めずぎこちない雰囲気が漂っていた。付き合いが長い鴇森君に対しても、同様の気まずさを感じていることに気付き苦笑する。
「…ずっと考えてたんだ」
私達が任されたのは、文化祭中に使用しない教室に誰かが迷い込んでいないかの確認だ。自然と人通りが少なくなっていく中、沈黙を破ったのは鴇森君だった。
「あの日、凰院さんが打ち明けてくれたこと。納得した部分もあったし、どうしてって思う部分もあった。でも、なんていうか…最終的には一つの結論にしか辿り着かなくて」
普段通りに思えた鴇森君も、実はあの日のことを気にしてくれていたらしい。続きを促すように彼の目を見る。
「話してくれてありがとう。嬉しい、って」
「ありがとう、なんて…」
まさかお礼を言われるとは。呆気に取られていると、鴇森君はいつもの可愛らしい笑みで「ありがとうだよ」と続けた。
「だって、凰院さん、すごく勇気を出して言ってくれたでしょ? 家族のこと話すの、簡単じゃないもん」
「…軽蔑、しませんでした?」
「どうして?」
「だって、苦手とかじゃなくて嫌いって言ったのよ。それにお姉様のこと悪く言ったわ」
「誰にでも好き嫌いはあるよ。それに、僕だって…」
キラキラフィルターで世の中を見ている鴇森君から「誰にでも好き嫌いがある」と言われたことが意外だった。その後に続いた言葉は「…ううん、今は僕の話はいいよね」と誤魔化されてしまったので分からないが、もしかすると彼にも嫌いな人がいるのかもしれない。
「もし僕にできることがあったら何でも言って。同じ『鳥の名家』として力になれることもあるだろうし。友達として協力は惜しまないよ」
私の手をそっと包み込むように握りながら、鴇森君は決意の固い眼差しでそう言った。彼の言葉に胸がじんとして、自分の口元が綻ぶのが分かった。
「…ありがとう、嬉しいわ」
胸が痛んだような気がしたのは、きっと気のせいだろう。
◆◇◆◇
見回りを無事に終え、春歌さん達と合流して文化祭を楽しんだ後、クラスの出し物である合唱の為に私達は体育館に向かった。
鴇森君が指揮者で、私は伴奏。いくつかの参加クラスの内、最優秀賞を貰ったのは私達のクラスだった。審査員の評価が「指揮と伴奏の息の合った素晴らしい合唱」だったので、『鳥の名家』が受賞理由なのでは? と疑わしく思う。しかし、クラスメイトは嬉しげなのでこれはこれで良かったのだろう。
長かった文化祭ももうすぐ終了だ。これが終われば生徒会の交代の為に生徒会選挙が行われる。
「生徒会、かぁ…」
今日、鷹司一輝に言われたことを思い出す。この学院をどう導きたいか。そんなこと、考えたことも無くて、すぐに思いつきはしなかった。
…いや、なんでそんなこと考えてるんだ? 私、別に生徒会に入りたいとか思ってないし…。
「生徒会がどうかしたのか?」
「わっ! は、隼様!? どうしてここに!?」
誰もいないと思って呟いた言葉を拾われ動揺する。今はスタンプラリーの表彰式が体育館で行われているはず。実行委員長の隼様がこんな所に居るなんて…。
「表彰が終わって休憩に入ったんだ。少し外の空気を吸おうと裏に出てみればお前が居たというわけさ。お前こそどうしてこんな所に?」
「気分がすぐれなかったので、外に出ていたんです。熱気に当てられただけの様なので、保健室には行かなくてもいいかと…」
「む、素人判断はいかんぞ。念のため保健室に行こう」
そう言ってすぐさま私の手を引いて歩き出した隼様。流石柔道部主将。少し抵抗してみせたが全く適わない。
「病弱なのだろう? あまり無理をするなよ」
「はは…。ご心配ありがとうございます」
引きこもっていることが多いからか、病弱だと思われているようだ。訂正するほどのことでもないかと流し、お礼だけ言う。
「凰院と似た顔でお礼を言われると、調子が狂うな」
ははは! と続いた豪快な笑い声からは判断がつかないが、恐らく本音だろう。姉と顔が似ているのは何度か言われたことがあるし、だからこそ同じような性格をしていると思われることも多い。
「先程、生徒会がどうとか言っていたが、凰院も生徒会に入りたいのか?」
「いえ、私は別に…」
「なんだ、違うのか。もしそうなら面白そうだったのにな」
「面白そう、ですか」
「ああ! 凰院がさぞ悔しがるだろうな、と!」
…ん?
隼様、私も姉もどちらも「凰院」と呼んでいるので混乱してしまったかな。
「えーっと、お姉様が生徒会に入りたがっていると私が悔しがる、と?」
「そんなことは言っていないだろう。お前が生徒会入りしたらお前の姉が悔しがるだろう、と言ったんだ」
…聞き間違いではなかったようだ。
つまりこの先輩、私と姉の不仲に気付いているのか。そしてその上で、かつて姉が入れなかった生徒会に妹である私が入ることができたら、姉が悔しがる姿が見れてさぞ面白いことになるだろう、と言っている…?
……いやいや、そんなまさか。
「あの、隼様はお姉様のこと、あまり良く思われていないのでしょうか…?」
先程までの体調不良がどこかに吹き飛んでしまうほどの衝撃を覚え、頭を押さえながらなんとか言葉を絞り出す。
「む、そうだな……ここだけの話だぞ?」
私の足取りが悪いことに気付いてくれたようだ。立ち止まってくれた隼様は、そのまま私の耳元に口を寄せる。
「俺の片思いだ」
は!?!???!?!
何?? 今、片思いって言った!?!? 誰が誰に?!??
「えっと……は、隼様が、お姉様に…?」
「ああ、好意を寄せている」
真剣に、しかし若干照れを交えながら答える隼様に混乱がピークに達する。
本気だ…。じゃあさっきの言葉は何?! 好きな子には意地悪したいとかそういう話!? そういう次元だった!?
「じゃ、じゃあなんで…」
「学年が違うお前は知らんだろうが、凰院は同学年に劣っているものがほとんど無い。だから悔しげな様子などほとんど見られんのだ」
そ、そうなんだ……。嫉妬深いから、学院でもそんな感じかと思ってた…。
「それこそ、彰に出し抜かれて生徒会に入れなかった時くらいなんだ。悔し気な所を俺が見れたのは」
「でも、好きなら普通、悔しい思いをして欲しくないと思うところでは…?」
「そうか? 俺は色んな凰院が見たいと思うが。それに、俺が積極的に何かをして嫌がらせをするならともかく、誰かが何かをしようとして起きたことなら咎められるいわれはないと思うんだがな」
た、確かに…? 今の話も、私が生徒会入りを目指してなくて残念とは言っていたけど、生徒会を目指すなら協力するとは言われていないな…? じゃあ普通なのか…??
「えっと、その、あの………お、応援します」
「お、そうか! ありがとう! 実は応援されたのは初めてだ」
思えば、彼が姉の名前を出した時に不快気だったことは無かった。快活な人だと思っていたが、そもそも抱いていた感情が好意だったなんて。
…これ、鷹司一輝や一条先輩は知ってるのかな。応援されたの初めてって、反凰院派にしか打ち明けたこと無いってこと…? いや、そんな……。
「大丈夫か? さっきより顔色が悪い。歩けないようなら抱えて――」
「歩けます! 大丈夫です! さあ、行きましょう!」
冗談じゃない。よく分からないけど姉に思いを寄せ居ている男子に抱えられて学院内を歩くなんてできるか! 今は休憩時間なんだ。どこで誰が見ているかも知れないのに。
とにかく早く一人になりたい。保健室についたら体調不良を猛アピールして寝かせてもらおう。そうだ、それがいい。
自分でも正常に戻っていない思考を自覚しながら、足早に保健室に向かった。




