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あの後。姉から嫌がらせを受けていること説明し、成績が良すぎると罰があるから成績を故意に落としたこと、そしてそのことで説明を求められるのが煩わしくて避けていたことも伝えた。私の言葉が終わったタイミングで下校時刻を告げる鐘が鳴ったので、話ができたのはそこまでだった。私の言葉に驚いている様子だった鴇森君が、最終的に何を感じたのか。予想もつかなかった。
取りあえず、翌日の朝に挨拶したときは普段通り――気まずくなる前と同じように挨拶をしてくれたので、しばらくはこのままで大丈夫、だろう。たぶん。
文化祭へ向けての準備が忙しくなる中で、気まずさを気にしていられなかったというのもあるだろう。いちいち相手の顔色を窺っていては仕事が進まない。今までの様に話ができる状態まで戻れたのだから、これでいいはずだ。
…なんで仲直りをするはずが、新たな問題を発生させているんだろう。
自分の至らなさに嫌気がさしながら、今しがた引いたくじを確認する。
今日は文化祭当日。しかも隼様が楽しみにしていた一大企画――学年混合スタンプラリー大会のペア決めの真っ最中だった。
学年混合スタンプラリーとは、その名の通り学年の隔たりなくペアを組み、校内に設置されているクイズを解き明かしてスタンプを集めるという企画だ。外部生・内部生の区別すらなくくじ引きでペアが決まるので、この企画は博打ともいえる。
文化祭の開会式の後、突如告げられたこの企画に生徒たちの反応は賛否両論だった。純粋に楽しみだと言っている生徒もいれば、全体のスケジュールにも関わる企画を当日まで秘密にしていたことに憤っている生徒もいた。ステージの上から全校生徒を見渡していた隼様には、きっと皆の反応が良く見えただろう。
文化祭の準備中にその企画が持ち上がった時、実行委員の中でも相当議論された。内部生・外部生の溝。ペアを決める方法。時間。考えられる問題はいくつもあった。
賛成と反対意見が五分に割れた時、鷹司一輝は言った。
「俺達はこの三年間、戦ってきた。その成果を見てみたい」と。
黄梅様の暴挙を許せず、この学院から差別をなくしたいと立ち上がった鷹司一輝。彼はその三年間で、自分たちの努力がどれほどの成果を上げたのかを見てみたいと言った。
その言葉に、反対派筆頭だった一条先輩は折れた。鷹司一輝の言葉は、特別良い言葉というわけでもない、ただの願望でしかなかった。でも、ずっと一緒に戦ってきた一条先輩には特別に聞こえたのかもしれない。
一条先輩が賛成派に回ると、一気に他の面々も反対意見を翻した。私も同調圧力に負けて鞍替えした。
生徒たちに少しでも楽しんでもらえるように、ということで、対策をいくつか講じる。
内部生と外部生の溝に関しては、今回一番気になる点なので放置。強いて挙げるなら自由参加にすることで、それを厭う人を参加者から外すくらいだ。
ペア決めの方法。クイズを解くのに成績優秀者が固まってしまうと問題になるだろう。しかし、参加者の内成績上位者と下位者を調べて組み合わせるというのは現実的ではない。ならばいっそのこと運に任せるのもいいだろう、とくじ引きで決定した。
時間。クラスや部活によってスケジュールが違う。なるべく多くの人に参加してほしいが、その全てに合わせるのは不可能だ。そこで午前の部と午後の部の開催を分けるということで話が固まった。
準備は完璧とはいえなかったが、最善を尽くしたつもりだ。その結果出た意見は真摯に受け止めよう。そういう流れで会議は終了した。
私自身はこういう企画は好きではないが、今日まで頑張ってきた先輩方を思うと応援したくもなる。春歌さんは部活で手いっぱいだったので、菖蒲さんと他にも数人の友達に声を掛ける。皆快く参加したいと返事をくれた。少し卑怯だったかな、と思いつつクラスメイトにも声を掛けていった。
「あ、高尾君。ねえ、貴方も良ければ――」
「ヒッ」
体育祭でお世話になったクラスメイトにも声を掛ける。彼は男女混合リレーの時に私の前の走者で、バトンパスの練習にも付き合ってくれたのだ。
あの時の親切さはどこにいったのか、私が声を掛けた途端高尾君は短く悲鳴を上げた。
「あ、お、凰院様。すみません、俺友達と約束あるんで…!」
それだけ言って逃げるように立ち去った彼に、寂しさを感じる。体育祭までは優しい人だったのに、それ以降話しかけてもあんな調子なのだ。クラスの勝利の為に、無理をして話しかけてくれていたのかもしれない。もしかしたら仲良くなれるかも、なんて期待していたんだけど…。どうやら私の勘違いだったらしい。
『くじを引いた方は案内板に従って進んでください。自分のペアを見つけた方は昇降口で用紙を受け取って出発してください』
誘導に従い歩を進めていると、数字が書かれた案内板が見えてくる。自分の番号を確認すると「27」だった。「21~30」と書かれた案内板に身を寄せると、私を探す声が聞こえた。
「おい、この中に27番の者はいるか」
「あ! はい、私が27番――」
「……」
「……」
慌てて駆け寄ると、そこに居たのは見覚えがある顔で。というか声で分かれと言う話なんだろうけど。
「お、一輝は優莉奈ちゃんとなんだね。頑張ってね、二人とも」
私達の沈黙を突き破る様に、一条先輩が見知らぬ女生徒と並びながら声を掛けてきた。それ以上何かを言うつもりもないらしく、一条先輩はそのまま昇降口に向かう。
「あ、あの、よろしくお願い致します…」
「………ああ、よろしく頼む」
ペアが見つかったのに立ち竦む訳にもいかず。必死に勇気をかき集めて言えば、ペアの相手――鷹司一輝も答えてくれた。
ああ、遠くから囁くファンの声が聞こえる…。分不相応の私がペアでごめんなさい…。鷹司一輝も少し顔が不機嫌そうだし怖いよ……。助けて誰か……。
私の心の叫びは当然ながら誰にも届くはずもなく。無常にもスタンプラリーは始まりを告げた。
◆◇◆◇
「このペア決めは失敗だったな」
さあやるぞ、と決意を新たに最初のチェックポイントに向かっていると、少し後ろを歩いていた鷹司一輝にそう言われた。やめて。せっかく出したやる気を挫こうとしないで。
「失敗とは?」
「俺はペアを組んだ相手がどういう様子で参加するのを観察するつもりだったんだ。相手がお前では意味が無い」
なるほど。実行委員として参加者の様子が見たかったという鷹司一輝に納得する。
「…でしたら、参加者のフリをするのはどうでしょう」
「振り? どういう意味だ」
「実行委員の私達が一番を取ってしまうと、あらぬ疑いを持たれるかもしれません。なら、最初からゴールを目指すのではなく対戦相手の偵察を目的にするのです」
「それで参加者の振り、か」
私は元々企画が盛り上がる助けになれればそれでよかった。恐らく鷹司一輝も一番を目指してはいなかっただろう。だから初めからスタンプ集めを目的にするのではなく、ライバル達がスタンプ集めに奔走する様を見ることを目的とする。
「やるからには一番を、と思っていたが…。ふん、いいだろう。お前の提案に乗ろう」
あれっ。案外乗り気だったんだこの人。こりゃ失礼。
◆◇◆◇
このスタンプラリーはチェックポイントにあるクイズを解くことでスタンプが貰える。クイズを用意してくれたのは先生方で、ほとんどの先生は自分の担当教科に合わせた内容でクイズを考えているだろう。成績上位者である私達を見た他の組からは『優勝最有力候補』だと言われていた。
チェックポイントは全部で7つ。全てのスタンプを集めて最も早くグラウンドに戻って来たペアは景品がもらえる。先程二人で決めた通りゴールを目指してないとはいえ、『優勝最有力候補』がスタンプを一つも集めていないのは違和感があるだろう。そういうことでゆっくりと問題を解いているのだが…。
「あの、本当に私一人で問題を解かなくてはいけませんか?」
「元々お前が言い出した案だろう。それに俺よりはお前の方が学年の分、学力は劣る」
「それはそうですけれど…」
なんと鷹司一輝は私に全てを丸投げしてきたのだ。前世のおかげで高校卒業程度の学力を既に持っている私は、どこまでが中学一年生レベルか測りかねる。今解いている問題、私が解けても変に思われないかな…。
「あれ? 凰院さん?」
私が悩みながら問題を解いていると、後から声を掛けられた。振り返るとそこには、鴇森君とそのペアであろう女子生徒がいた。学年混合なので先輩だろう。
「ごきげんよう、鴇森君。そちらは――」
「ごきげんよう、優莉奈様。こうしてお話するのは初めてですわね」
きつめの美人という印象だったが、声がとても優しくて綺麗で聞き惚れてしまった。自己紹介をしてくれた先輩は、それ以上会話に加わるつもりが無いらしく一歩引いた場所で佇んでいる。
「お二人とも、順調に進んでいますか?」
鴇森君からの質問に、ついと鷹司一輝を見る。どう答えましょうか。彼は彼方を見たまま口を開いた。
「順調とはいかないだろうな」
「えっ! そうなんですか? 優勝最有力候補とまで言われた二人が…意外です」
「ふん。俺が本気を出してしまえば勝負にならんだろうからな。凰院の好きにさせている」
あれ? 今気づいたけど、もしかして私、言い訳にされてる?
プライドの高そうな鷹司一輝が、優勝できなかった理由として私が良いように使われている気がする。「後輩に任せたから一位を取れなかった」という言い訳をする為に私一人に丸投げしているのでは…?
たった今浮上した疑問から、ジトっとした目で鷹司一輝を見上げる。
「…二人とも、知らない内に随分仲良くなったんだね?」
そんな私を見て鴇森君が不思議そうに首を傾げた。仲良く? どこが?
…いや、確かに私、最近鷹司一輝が怖くない。それは体育祭での経験を経て、彼への印象が変わったからというのもあるだろう。必要以上に恐れる必要が無いと思ってからは、怖がらずに話せているかもしれない。けど、それだけかな…?
上手く説明できない違和感にモヤモヤとした気持ちを抱える。なんだろう、魚の小骨が喉につっかえている様な不快感は…。
「仲良くは無いだろう」
呆れたように鴇森君の言葉を否定した鷹司一輝。何気なく彼を見上げて、そういえば彼と目が合わないことに思い至った。先程見上げた時も、彼は視線を鴇森君に固定していた。道中も、彼は私に前を歩かせていたので目が合わなかった。
「でも、凰院さん前よりずっと…」
「ゴフッ! ゴホッゴホッ!」
なんだかいつもと違う様子を見せた鴇森君に何を言われるんだと身構えていると、鴇森君のペアの先輩が急に咳き込みだした。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ。ごめんなさい、話を続けて」
「いや、もうおしゃべりは終了だ。問題に集中した方が良い。他の組の迷惑になる」
視線を周囲に配る鷹司一輝に倣うと、別のペアが続々と到着しだしているのが見えた。確かにこのままここで喋りつづけていては邪魔になるだろう。「それもそうですね」と鴇森君は問題を確認する。
「う~ん、この問題、難しいですね」
「成績優秀な鴇森様がそこまで言うなんて。力及ばずながら、私も頑張って考えますわ」
「そんな、ご謙遜を。さっきの問題での発想の転換、凄かったじゃないですか」
…ふむ。現学年首席の鴇森君が難しいというのなら難しいのだろう。さっさと解いてしまわなくてよかった。
二人が仲良く問題を解いている姿を見て、心が冷えていくのを感じる。いいなぁ、私も…。
「おい、何を呆けている。さっさと問題を解け」
「…ええ、大丈夫です。もう解けました。あちらの芝生は青いなと思っていただけですので」
「なんだと?」
「こちらは秋風が身に沁みるなと」
私の言葉の意味が伝わったのか、伝わらなかったのか。鷹司一輝は馬鹿馬鹿しいという顔で「吹雪いてほしくないならさっさと次に行くぞ」と言った。
◆◇◆◇
「…お前は、生徒会に入る気はないのか?」
「まあ、どうして急にそんなことを?」
「質問しているのは俺なんだがな」
後ろから不意に掛けられた言葉に驚く。最初は実行委員になることすら反対していた男が、「生徒会に入る気はないのか」なんて。
「彰はお前に入って欲しそうだったが、お前にはその気が無いように見えたからな。やる気が無い者に席を用意しても意味がないだろう」
「……」
「生徒会の活動はただの作業じゃない。学院への思いも無しに続けるのは難しい」
「学院への思い、ですか」
「そうだ。俺達はこの学院をもっと良く…外部生も内部生も関係なく、皆が自由に過ごせる学院にしたかった」
気づけば私も鷹司一輝も足を止めていた。変わらず私の斜め後ろに控える彼の方を振り返る。
「勿論、お前がこの考えに同意できなくてもいい。姉の様に内部生の権利を主張したとしても、それはお前の自由だ」
彼は私の方を見ていなかった。ずっと向こうの…高等部の校舎がある方向を見据えていた。
「俺達が卒業した後、この学院をどう導きたいのか。その答えが出るまでは、お前は生徒会に入るべきではないだろう」




