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お願いだから諦めて!  作者: 暮野
中等部 1年 2学期
21/28

20

 夏休みが終わった。菖蒲さんや春歌さん達と遊んだり、勉強会をしたりと充実した夏だった。


 さて。夏休みが終わり二学期が始まったということで、早速だが長期休暇明けの学力テストが行われた。私は予定通り、手を抜いていたと思われない範囲で誤答を繰り返した。結果は十三位。学年首席は鴇森君だった。


 急にケアレスミスが増えたことで担任に心配されもしたが、体調が悪かったと言って誤魔化した。これからは普段の授業でも気を付けないと…。段々授業に追いつけなくなった生徒を演じなければ、テストだけ不調では怪しまれてしまう。


 結果が発表されたとき周囲が動揺しているのを感じたが、寧ろ最初からこうしておけばよかったと思った。今の順位なら余計なプレッシャーも姉からの嫉妬も感じない。それに、勉強で手を抜けるということはそれだけ姉のお相手探しに時間が割けるってことだもんね。うん。


「…ちょっと、貴方、鴇森君と何かあったの?」

「何か、とは?」

「こっちが聞いているのだけど」


 放課後の生徒会室。私が持ってきた文化祭実行委員の申込書を確認しながら、呆れ顔でそう尋ねてきたのは楓恋様だった。


 楓恋様の言いたいことは何となく察しがついた。しかし、敢えてそれに気付かないふりをする。楓恋様は私が何も言う気が無いと分かったのか「何なのよ、もう…」と不満げにしながら作業に戻った。


 ―-そう、鈍そうな楓恋様に気遣われるくらい、私と鴇森君の間に流れる空気は変化していた。


 端的に言って気まずい。私が学力テストで手を抜いたことを、彼は薄々気付いているのかもしれない。時折こちらを窺うように見てくる鴇森君と、触れてほしくない話題になると予想して彼と二人きりにならないようにしている私。今まで仲良くしていたのが嘘のようにぎこちない関係になっていた。


 そもそも、二学期が始まってから席替えがあったのもいけないと思う。今までの様に隣同士で話すことも出来なくなって、教室でも廊下でも彼は人に囲まれている。


 忙しそうだから、と文化祭の実行委員の申込書を一人で取りに来た私の対応をしたのは、その日たまたま一人きりで書記の仕事をしていた楓恋様だった。好機とばかりに勝負を仕掛けてきた楓恋様を、手心を加えずに打ち負かしたのが昨日のこと。


 …虫の居所が悪かったとはいえ、悪いことをしちゃったかな。八つ当たり、だったよなぁ。


「まあ、いいわ。実行委員の仕事に支障が無いなら、私が関わるべきじゃないということで納得してあげる。正直、今はそれどころじゃないのよね」

「まあ、何かあったのですか?」


 活動的な楓恋様にしては珍しく疲労の色が滲んだ声に疑問がわく。楓恋様は確認を終えた私の申込書をファイリングしながら答えてくれた。


「今年は昨年までと違って大掛かりなイベントをするみたいでね。スケジュールが厳しくて」

「大掛かりなイベント、ですか?」

「そう。詳細はまだ未定なんだけど」


 昨年までと違って、と言われても私は今年が初めての文化祭だ。その大変さは比較しようがない。それでも、大掛かりなイベントが企画されているなら、今のうちに覚悟をしておいた方が良いだろう。


「会長が言ってたの。『また隼が無茶を言いだした』って――」


 あまり大きな声で言えないけれど…と、私の方へグッと身を寄せて声を潜める楓恋様。その背後に近づく影に気付いたが、相手に悪意が無さそうに見えたので黙って見守る。


「ははは! なんだ、俺の悪口か?」

「は、隼先輩!?」


 どうやら今しがた口にしていた『隼先輩』だったらしい。楓恋様は話していた人物の登場に驚いて目を白黒させていた。


「わ、悪口ではありません。先輩は豪快で思い切りが良いと話していただけで――」

「そうかそうか、そういうことにしておいてやろう」


 愉快そうにしている先輩の姿から、あまり気にしていないことが窺える。楓恋様の方は気まずい空気を感じているらしく、「そういえば」と私へ視線を向けた。


「優莉奈さんは初めてよね? 先輩、こちらは凰院優莉奈さん。数少ない一年生の実行委員の一人です。優莉奈さん、こちらは隼将暉はやぶさまさき先輩。柔道部主将で、今年の文化祭実行委員長よ」

「ほう、凰院か。あいつにこんな可愛い妹がいたとは知らなかった」

「はじめまして、凰院優莉奈です。よろしくお願い致します」


 そうか。彼は文化祭実行委員長だったのか。全体の顔合わせは実行委員の募集期間が終了して行われるため、募集期間中の今はまだ顔合わせが済んでいない。実行委員長との対面ははじめてだった。


 隼家、ということは鳥の名家だろう。記憶に残ってはいないが、姉と同学年なので漫画にも出てきていたかもしれない。


「ねえ、鷲宮さん。ちょっと確認したいことが――」

「では、私はこれで。ごきげんよう、皆様」


 申込書も提出したことだし、と退室の挨拶をしたタイミングで生徒会室の扉が開く。書類を片手に入って来たのは一条先輩だった。


「あれ、優莉奈ちゃんだ。どうしたの?」

「文化祭の実行委員になりたくて、申込書を提出に」

「ふうん?」


 よく分からないニュアンスで返事をされたことに違和感を覚えつつ、しかし藪をつついて蛇を出すのも躊躇われたため「それでは」と隣を通ろうとする。


「――五分後、科学室に来て」


 いつかと同じように私にだけ聞こえる様な声量で言った一条先輩に、今のささやかな抵抗が無駄だったことを悟った。



◆◇◆◇



「ああ、よかった。ちゃんと来てくれた」


 特に用事が無かった私は、あの後すぐに科学室に向かった。きっちり五分後に科学室に訪れた一条先輩は、私の顔を見て安堵したようにそう言った。


「聞こえなかったかもなって思ってたから安心したよ」


 そうか。聞こえなかったフリもできたのか。


「その時はその時でメールしたけど」


 …メールで呼び出されるなら意味ないな。


「此処に来てもらったのは他でもない、鴇森君のことなんだけど…」


 一条先輩はその後、鴇森君が申込書を貰いに一人で生徒会室に来ていたとか、鴇森君が寂しそうにしていたとか、聞いてもない報告を聞かせてくれた。罪悪感で人が死ねるなら、私はもう何十回も死んでいただろう。いや、私が悪いのは分かっているんだけど…。


「僕もね、ただの友達である君達に、常に一緒に行動しろとか、そういうことを言いたいわけではないんだよ。でも、君達や義仁君達の代が平和なのは、鳥の六家の君達の仲がいいからでもある。そういう意図が無くても、君達が不仲だと周囲に余計な軋轢ができたりするから――」

「分かっています!」


 遠回しに仲直りを提案してきた一条先輩に、つい感情が波立ってしまい大声を上げる。


「そんな事は分かっています! でも、でも……ッ」


 彼が言うことは尤もだと思った。合理的に考えて、今の状況に利は無い。そんなことは私でも分かっていた。


 それでも今は、鴇森君には話せない。成績が落ちた理由を話すわけにはいかない。だからしょうがない。そんな言い訳を毎日毎日自分に言い聞かせながら過ごすのに、私も疲れていた。


「……申し訳ありません、はしたない真似をしましたわ。私、少し疲れているみたいなので、今日は失礼させていただきます」

「え、う、うん…。いや、ごめんね、僕の方こそ。疲れているときに話すことじゃなかったね」


 たぶん初めてだった。一条先輩の前でこんな風に取り乱すのは。だからだろう、彼も驚いたように私を見ていたし、腫物を扱うかのように一歩引いて扉を開けてくれた。


 いつもならお礼を言うところだが、今口を開くと何を言うか分からない。自分の中で渦巻いている感情を制御できなくて無言のまま廊下に出た。


 昇降口まで振り返らずに進んだ私は、一条先輩がどんな顔でそれを見送っていたのかに気付かず学校を出たのだった。



◆◇◆◇



 衝動で学校を飛び出してしまった私は、目的地も定めず走り続けた。頭の冷静な部分が、白鳥学院の制服を着たまま街中を走るのはまずいとか、橘さんに連絡してないとか、そういうことを考えていたけど、それを実行するには至らなかった。


 なにをやっているんだろう。


 全速力でずっと走っているせいか、息が苦しい。いや、ずっと前から苦しかった。いつからだったっけ。


 不意に鼻の奥がツンとして、いけないと咄嗟に歯を食いしばる。目頭が熱くなってきたが、どうにか踏みとどまった衝動に安堵する。


「きゃっ」

「わっ! あっ! す、すみません!」


 と気を抜いたのがまずかったのか、曲がり角で向こうから歩いて来ていた女性とぶつかってしまう。お互い地面に転がってしまうが、幸い私の方に酷い怪我は無かった。急いで相手に駆け寄り、起き上がるのに手を貸す。


「いたた…って、あれ? 優莉奈ちゃん?」


 怪我は無いかと相手の手足を見ていた私は、不意に呼ばれた名前に顔を上げる。そこに立っていたのは夏祭りで出会った少女――花実さんだった。


「わーー! すごい偶然! 一人? なにしてたの? ってあれ? その制服…」


 私に気付いた花実さんは、偶然の再会を喜びながら矢継ぎ早に質問をして来た。


「…そんなに一気に聞かれても、答えられないわ」

「…あ、そ、そっか。ごめんごめん、ははは…」


 あまり申し訳ないと思って無さそうに笑う彼女に、ずっと張りつめていたものがほどけていくような感じがした。


「ね、今日暇? せっかく会ったんだし話そうよ!」

「そうね。でも、ちょっと待ってもらってもいい?」


 彼女の魅力的な誘いを断る理由が無い。しかし、ここで寄り道をすれば確実に問題になるだろう。


 やっと主導権を取り戻した冷静な思考が、私の手を動かした。携帯を握り、着信履歴を確認する。案の定、そこには橘さんの名前が並んでいた。



◆◇◆◇



 橘さんに謝罪を済ませ、門限に間に合うように連絡することを約束した後。私達は私の馴染みの喫茶店に来ていた。


 恵実さんの親戚だからか、彼女との会話は弾んだ。いつの間にか学院の事まで話していて、普段白鳥学院の関係者には言えないような事も私は口にしていた。


「へー。すごいんだね、優莉奈ちゃんの学校。恵実おばさんに聞いて少しは知ってたけど…。改めて聞くと別世界だ」

「恵実さん?」

「あれ? 知らなかった? おばさん、白鳥学院の卒業生だよ」


 言われて初めて気づく。そうか、そう言えばベビーシッターは学生時代の友人だったと母親から聞いた事があった。母親の母校が白鳥学院なら、必然的に恵実さんの母校も白鳥学院ということになる。


「そうだ! 白鳥学院なら、あの人達居るんだよね? 『鳥の名家』!」

「ええ」

「きゃ~~~~! すごいすごい! 本当に存在してたんだ!! ねえねえ、優莉奈ちゃんは会ったことある? 鷹司一輝様とか、鷲宮楓恋様とか!」


 会ったことがあるどころか、私自身が鳥の名家だ。


「ええ。学年が違うので接点が多いわけではないけれど、お会いしたことは」

「そうだよねぇ。でも会ったことあるなんてすごいすごい!」


 黒崎君の時も思ったけど、一般人からすると鳥の名家はすごい存在に映っているのだろう。実際は普通の人とそんなに変わらないんだけど。


「…実はね、私、高校受験は白鳥学院を第一志望に考えてるの」

「まあ」

「だから、ちょっと不安だったの。白鳥学院って、外部生への風当たりが強いって噂聞くし…」


 花実さんは鷹司一輝達と同じ学年だったはず。ということは、ヒロインとも同じ学年だ。漫画でヒロインが受けた仕打ちをそのまま受ける、ということも無いかもしれないが…学年の雰囲気としては漫画と大差ないだろう。


「それで、調べていくうちに外部生に対しても分け隔てなく接してくれる人がいるって聞いて」

「それで鷹司様と楓恋様のことを知っていたのね」

「そうなの。今の学院で外部生との交流の先頭に立っている人なんでしょ? 他にもそういう人っているの?」

「そうね。あまり表だって友好的でない人も、実は陰で支えてくれてるってことはあるわ」

「そっかぁ。…よかった」


 きっと今まで不安を抱えていたのだろう。私の話を聞くうちに、花実さんは徐々に晴れやかな顔になっていった。


 しかし…学院の関係者ではないからと色々と話してしまったのはまずかったかな。来年から、彼女も白鳥学院に通う可能性があったなんて。


「今日はありがとう。おかげで色々決心がついた」

「大袈裟よ。私、何もしてないわ」

「そう? 誰も味方が居ないと思ってたから、友達が同じ敷地内に居るって分かるだけでも私には十分だったよ」


 大げさな表現で私への感謝を伝えてくる花実さんに、胸の内が暖かくなるような気がした。そんな彼女に、少しばかりの意地悪をする。


「じゃあ、私も楽しみにしてていいのね? 来年からは同じ敷地内に新しい友達が増えるって」

「もちろん!」


 自分の合格を全く疑っていない花実さんに驚きつつも、彼女ならやってみせるのだろうという不思議な予感がした。意地悪のつもりが、逆にこちらが圧倒されてしまうとは。適わないな。


 喫茶店を出て大通りを歩く。橘さんに連絡を済ませたので、近くに車を止めて待ってくれているはずだ。花実さんは駅まで続く道を指さしながら「私、こっちだから」と別れを告げる。


「またね」

「ええ。また会える日を楽しみにしているわ」


 彼女の背中が見えなくなるまで見送った後、私も移動を始める。この辺りは歩き慣れていないから注意しなくちゃ。


「―――――」

「え?」


 誰かの声が聞こえた気がして振り返るが、私に視線を向けている人は誰もいない。気のせいだったのかな。いや、でも、今の声は――


 ヴーヴーッ


 足を止めた私を急かすように携帯が震える。橘さんだ。先程の連絡からいつまで経っても私が現れないから心配をしているのだろう。ああ、申し訳ない。仕事の邪魔をしてしまった。


「もしもし、橘さん? ごめんなさい、今――」


 自分の現在地をなるべく詳しく伝えながら、彼の誘導通りに歩を進める。流石運転手というべきか、道を熟知している彼の誘導のおかげで難なく合流できた。


「お友達とは話せましたか?」

「ええ」


 車の中で心配げに視線を投げる橘さんを安心させるように微笑みながら答えた。問題は何も解決していないが、愚痴というのは吐き出すだけで心が楽になるものだ。


「私も頑張らなくちゃ」


 これから受験戦争を勝ち抜くために追い込みをかけるであろう友人を思い浮かべながら、密かに決意するのだった。

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