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カラン、と涼しげな音を立てながら開いた扉を潜り、店内を見渡す。
「あ、優莉奈ちゃん! こっちよ、こっち!」
きょろきょろと不審な私に気付いた探し人が、奥の席から声を掛けてくれた。無事に見つけることができて、安堵からホッと息を吐く。私に声をかけたのは、本日会う約束をしていた元ベビーシッターの女性、竹石恵実さんだ。
「お待たせしてすみません」
「いいのよ、気にしないで。私も今来たところだったから」
テーブルの上には何もなく、彼女の言葉通り今来たところだったのだろう。あまり待たせていなかったという事実に安心し、笑みがこぼれた。
ここは私の家からそう遠くない所にある喫茶店だ。大通りから少し外れた小道を進んだ先にあり、年季の入った外観をしているが、店内は綺麗で落ち着いた雰囲気のいい店だった。
私と恵実さんは度々ここで会う約束をして、お互い近況を報告し合ったり、雑談に花を咲かせたりしている。今日もそんな感じで話すことを目的に、ここに集まった。
注文を聞きに来た店員に、お互い飲み物と軽食を頼む。私はここのレモンティーが大好きで、飲み物を頼む時は何時もこれだ。
「どう? 中学校には慣れた?」
「ええ、まあ。とはいっても、同級生の殆どが初等部からの内部入学ですけど」
「でも、公立の中学校だってそんなものよ。同じ小学校に通ってた子は同じ中学校に通う事になるわけだし、知った顔ぶれになるのも仕方ないわ。部活は? 何か入らなかったの?」
「本当は文化部に入ろうと思ってたんですけど……私には向いていないような気がして止めたんです」
「えーもったいない! 中学校は部活が楽しいのよ?」
「その代わり、と言えるかは分かりませんが、体育祭の実行委員会をしたんです。休み時間が潰れてしまうこともありましたけど、やりがいがあったし、いい経験になったと思います」
「一年生で実行委員? 偉いわね~。そういうのは三年になってからでもいいのに」
お互い私生活が立て込んでいたため、今日は約半年ぶりの再会にだ。あまり喋る方ではない私だけど、恵実さんが相手の時は会話が途切れることなく続く。
「偉いだなんて。友達が誘ってくれたから、入っただけなんです。その人にはいつもお世話になっているから、恩返しというか……」
「なるほどね~。でも、優莉奈ちゃんなら一方的に借りを作っているってことはないんじゃない?」
店員が運んできた飲み物にストローを挿して一口飲む。恵実さんも喉が渇いていたのだろう。自分のもとに置かれたアイスコーヒーにシロップを入れ、ストローで中身をかき混ぜている。コーヒーが十分に混ざったころ、彼女がストローに口を付けるのを待って私は口を開いた。
「……そうでしょうか。私は彼に、何か返せてるんでしょうか」
私は鴇森君との付き合いは結構長いが、私が彼から貰っているものをきちんと返せている自信は無い。先日も失敗したばかりだ。
私達は、お互いにとって唯一の家格が等しい同級生で、鳥の六家で無くても今と同じ関係が築けたかと聞かれると――正直な所、難しかったと思う。人気者の彼と、嫌われ者の妹の私。仲良くなれる要素が見つからない。
体育祭の時だって、彼は多くの人に慕われていた。準備の時も、彼が頼みごとをすると相手は喜んで手伝っていたし、円滑に物事が進む。対して私は、多くの人に恐れられ、それをどうにかしたいと思えずに暮らしてきた。
人に囲まれている鴇森君を、眩しいと感じるようになったのは最近のことだった。中等部に入って、外部生の女の子たちが鴇森君を「かっこいい」と言っているのを聞いて、私にとっては可愛いばかりだった鴇森君が、なんだか遠くの存在に感じてしまった。
「う~ん。私はその子のこと知らないけど、優莉奈ちゃんなら相手の好意に胡坐をかいて何もしないってことは無いって知ってるもの。きっと何も返せてないなんてことはないんじゃない?」
「そうでしょうか……いえ、そうですわね」
恵実さんは慰めるように言葉を掛けてくれたけれど、この状況で私を慰めるようなこと以外言えるわけがない。その気持ちだけありがたく受け取っておく。
「それに、そういうのは今の状況を当たり前だと思わず、何かを返そうと思い続けるのが大切なのよ、きっと」
「恵実さん…?」
どこか遠くを見ながらそう呟く姿に少し不安になる。何か彼女の大切な思い出を刺激してしまったのでは…。
「ああ、ごめんごめん! あっ! それよりさ、優莉奈姉ちゃん夏祭りって興味ある?」
「夏祭りですか?」
なんでも恵実さんの家の近くで開催される小規模の祭で、恵実さんの親戚が店を出すらしい。そこでもし暇なら遊びに来てほしいというお誘いだった。
「そういうことなら。必ず伺います」
「本当!? ありがとう!」
私の言葉に嬉しそうに破顔する姿からは、先程の寂しさは見られない。よかった。
「じゃあ、詳細はまたメールするから。そうだ、お友達とか誘って……は難しいかな」
「そうですね…。すみません」
「ううん、気にしないで。優莉奈姉ちゃんが来てくれるの楽しみにしてるから!」
私の友達はもれなく育ちが良いので、小さなお祭りに誘うのは気が引けてしまう。
「じゃあ、またね」
再会を約束して別れる。恵実さんとこうして交流が続くとは、産まれたばかりの私は考えもしなかった。恵実さんは、普通の子供に接するように私に接してくれる。
この縁は大事にしよう。心からそう思った。
◆◇◆◇
ガヤガヤと、小規模ながらに賑わう祭を眺めながら、隣に聞こえるように溜息を吐く。こうでもしないとヤツには私が迷惑していることは伝わらない。いや、こうしても伝わらない可能性もある。
「なーなー。何があってんの? コレ」
「祭よ」
案の定、特に気にした様子もなく暢気に尋ねてくる桐人に冷たく返す。驚くべきことに、こいつは私がこっそり出かけるのを見かけて何も言わずに着いてきたらしい。祭に着いて早々、鳥居の近くですれ違った少女が落としたハンカチを拾い上げ、持ち主に声を掛けるために振り返ったところでその存在に気が付いた。早めに発見できて良かったよ、ホント。
「へー。花火は?」
冷たく対応しても尚、暢気に言いつのる桐人に頭が痛くなる。念のため母にメールをすれば、桐人の外出に気付かなかったこととそのまま傍について居てほしいという旨の返信が来た。はあ…。
「この祭の規模なら無いでしょうね」
「えーーー! シケてんな…」
勝手を言う桐人の頭にコツンと拳を当てる。お前が何も聞かずに着いてきたのに、文句を言うのはおかしいぞ。「イタッ! 今ゴツンっていった! 痛かった!」と喚くのは無視だ無視。
「そもそも…どうして着いてきたのよ」
「え? だって姉ちゃん、あの………なんだっけ。竹林? とかいう人に会いに来たんだろ? 俺も久々に会っておこうかなって」
「竹石さんね。…貴方、竹石さんのこと憶えていたのね」
「あんま憶えてねーけど、優しい人だったよなー」
「そうね」
憶えていたのは意外だった。桐人は恵実さんのことなんて、興味ないかと思ってたもの。
「今日は竹石さん以外にもご親戚の方がいらっしゃるのだから、貴方は失礼のないように――っと、うわっ!」
ドンッ! と後ろから押された反動でふらつく。いけないいけない。ここは学院と違って御淑やかで大人しい子ばかりではないのだ。油断してると怪我をするかもしれない。
見慣れない風景に興味津々だったようで、桐人は物珍しそうに辺りを見渡している。周囲への注意が疎かになって居る様なので、手を繋いで傍に引き寄せた。通行人とぶつかりそうになる前にこちらでフォローすれば大丈夫だろう。
「あ! あれ何?」
「ん? ああ、りんご飴ね。食べたいの?」
「うん!」
きょろきょろと頭を忙しなく動かしていた桐人が、ある出店を指さしながら尋ねてきた。食卓に出たことのないそれはりんご飴。お祭り定番の食べ物の一つだ。仕方ない。買ってやるか。
他人とぶつからないように気を付けながら、出店まで歩を進める。
私が持っているお金は、当然ながら両親からお小遣いとして渡されたお金だ。普段からそんなに使う機会もないし、今回は小規模なお祭りということで余り沢山持ち合わせてはいないけど…。飴を買うくらいの余裕はある。そう考えて財布を取りだそうとするが――。
あ、あれ? 財布、忘れた?
そんなバカなと思いつつ、鞄の中を漁る。無い。財布が無い。携帯はあるけど財布が無い。どうしよう。この時代、電子マネーとか全然普及してないし、そもそもこんな場所だ。現金以外の取引は無いだろう。
「…桐人、貴方今日はいくら持って来てる?」
「え? 財布置いてきたけど」
こいつに期待した私がばかだった。
「…仕方ないわね。橘さんに連絡してお金を用意してもらいましょう」
「もしかして財布忘れたの? ダッセー!」
けらけらと笑うバカにもう一度鉄槌を下す。
「嬢ちゃん達、冷やかしかい? 買う気が無いならどいてくれ」
「あ、申し訳ありません。お邪魔して…」
私達の様子からお金が無いことを察したらしい店主は、少し迷惑そうにそう言った。商売の邪魔をしたことに申し訳なく思いながらその場から離れようとする。
「んだよ感じわりーの! 冷やかしじゃねーし!」
「ちょっと、桐人」
すると突然ムッとした顔で店主に突っかかる桐人。や、やめてくれ。今回は私達に非があるのだ。大事になっては困る。
「あん? 坊主、じゃあ金はあるのか? 買えないなら冷やかしだろ?」
「バーカ! 俺達を誰だと思ってんだよ! 俺達はおう――」
「大人を呼んでまいります! お金は大人に預けていたので! すみません!」
何かを言いだす気配を察知して慌てて口をふさぐ。もしかしなくても家の名前を出す気だったよね!? 何を言い出すかなぁ!? この子は!
「こんな所で名前を出しても意味ないわよ」
店主に聞こえないように声を潜めながら注意する。桐人は不思議そうな顔をしていた。学院と違って、こういう場では名家の名前など出しても本気にされないと知らないようだ。
「とにかく今は橘さんに連絡を――」
「あの」
橘さん――私の専属運転手さんに連絡しようと携帯を取り出したところで声を掛けられる。聞き覚えのない少女の声に首を傾げる。誰だろう。
「りんご飴、欲しいんですか?」
「え? え、ええ。そうですけれど…」
「分かりました。待っててください」
振り向いた先に居たのは浴衣を着た美少女だった。歳の頃は私と変わらないくらいだろうか。顔を見ても誰だか思い出せない。いや、あの浴衣の柄、見覚えがあるような…。
「はい、どうぞ。さっきはありがとう」
「いえ、こちらこそありがとう――さっき?」
勢いに負けて差し出されたりんご飴を受け取ろうとしてしまうが、いやいやおかしいおかしいと踏みとどまる。知らない人から物を貰わない、なんて常識だ。
それでも違和感のある会話に、つい疑問を投げかけてしまった。すると彼女はそう聞かれるのを待っていました、とばかりに微笑んだ。
「うん。さっきハンカチを拾ってくれたでしょう?」
これはそのお礼、と笑いながら買ったばかりのりんご飴を差し出す少女。その言葉に、此処についてすぐにあった出来事を思い出す。そう、鳥居の近くですれ違った少女だ。そうかそうか。さっきの子だったのか。
じっと隣から視線を感じる。お礼をしたいという少女の真意も分かったし、今買うところを目の前で見ていた。危ないものと取り換えた様子もない。…いいだろう。ここは私が責任を持とう。
「…いいわよ」
「! ありがとう! 姉ちゃん!」
ずっと隣で期待した視線を送っていた桐人は、私の言葉に嬉しそうに破顔してりんご飴を受け取った。
「私、中澤花実。中学三年生。貴方は?」
「私はおうの――」
名乗り出た彼女に、いつものように自己紹介をしようとしたところで思いとどまる。ついさっき、自分たちの名前のことを桐人に注意したばかりだった。
「――大野、優莉奈。中学一年生です。こっちは桐人、五年生」
「わっ、しっかりしてるから同い年かと思ってた。年下だったんだね」
「はい。私のことはどうか優莉奈と呼んでください」
「敬語はいいよ。同じ学校の先輩後輩ってわけでもないし。私のことも花実って呼んで?」
「…ではお言葉に甘えて」
花実さんはどうやら近所の中学生らしい。私の自己紹介に違和感を覚えること無く、普段どんなことをしているだとかを話しだした。桐人はりんご飴に夢中なようで、会話に参加する気はないらしい。適度に相槌を打ちながら、どうしようかと考える。
歩きながら食べるのは危険だから、と道の端に寄ってから食べるよう桐人に注意したので、たぶん花実さんは手持無沙汰になる私に付き合ってくれているんだろうけど…。
「あの、時間は大丈夫? 誰かと一緒に来ていたんじゃ…」
そう。彼女は浴衣姿だった。一人でお祭りに行く人は珍しくないかもしれないが(私もそうだったので)浴衣を着ておしゃれをばっちりしているのに連れが居ないのは滅多にないだろう。
「あはは…実は友達と来てたんだけど、その…」
「?」
「たまたまその子の好きな人と合流しちゃったから、私は遠慮しちゃった」
「まあ」
なんと。彼女も他人の恋愛に振り回される質だったか。私は未遂だが、親近感がわいてきたぞ。
「だから、もし良かったら少しだけ付き合ってほしいなー…なんて。会ったばかりの子に言うのもおかしいよね?」
「私で良ければ喜んで」
少し気恥ずかしそうに言う花実さんにグッと心臓を掴まれたような心地がして、気づいたら彼女の手を握って頷いていた。
…断じて、私の正体を知らない彼女の気安さに心を動かされたとかではない。寂し気な少女を助けるための行動だ。
「優莉奈さ――優莉奈ちゃん、財布持ってきたよ」
「橘さん。ありがとう」
「気を付けるんだよ。優莉奈ちゃんの友達? すまないね、二人が迷惑を掛けたみたいで」
「い、いえ!」
丁度いいタイミングで運転手の橘さんが来てくれた。私がいつも持ち歩いている財布だ。今回は祭ということで小銭だけを入れた財布を用意していたので、持って来ていたものとは違う。やっぱり、忘れたのではなく落としてしまったのだろうか。
私が誰かと居る姿を見て咄嗟に呼び方を変える優秀な運転手にお礼を言って別れた。だいたいの帰宅時間も忘れずに伝える。
「かっこいい人だね。お父さん――ではないか。親戚?」
私が彼を苗字で呼んだことに気付いたらしい。花実さんは不思議そうに関係を尋ねてきた。
「父の部下の方なの。家でも付き合いがあって」
彼の場合、寧ろ家が職場だ。
「へー! なんかすごい!」
きゃあきゃあとはしゃぐ彼女に年頃の女の子らしさを感じながら、そういえば恵実さんの親戚の出店にまだ顔を出していないことに気付く。
「あの、私一軒寄りたい所があるんだけれど…」
「うん、いいよ。一緒に行こう」
花実さんは当然という顔で同行を申し出てくれた。もう少しだけ一緒に過ごせることに安堵する。
桐人がりんご飴を食べるのに飽きてきたようなので、包装を戻してビニール袋に入れた。残りは家に帰って食べるそうだ。私の財布が無事手元にやって来たからか「こんな機会滅多にないし、色々食べてみよーぜ」と桐人は言いだした。…別にいいけど、これは私のお金だぞ。そこらへん分かってる?
途中でいくつか買い物をしながら辿り着いた先で、なんと恵実さんと花実さんが親戚同士だったことが判明して、世間の狭さを実感しながら私はその日を終えたのだった。




