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……状況を整理しよう。
あの後、私の混乱をよそに入学式はつつがなく終わり、新入生は自分の教室に戻ることになった。六クラスあるので廊下はそれなりに混雑している。この様子だと、考え事をしながらゆっくり歩いても問題はなさそうだ。
私の姉は凰院華梨といって、幼い頃から我儘放題。自分の欲しいものは何としてでも手に入れなければ気が済まない女で「世界で一番美しいのは私、愛されているのも私。世界のすべては私のためにある」なんて言葉を言うような奴だ。いや、実際に言ってるところは聞いたことが無いが、イメージとしてはそんな感じだ。
そして私が転生したこの世界のヒロイン、名前を……あれ? 名前は思い出せないや。まあ、とにかくヒロインは、学力特待生として高等部から外部入学してきた女の子で、家族思い、努力を惜しまない性格、素朴な可愛さ、といったヒロインとして納得のスペックを持っている。
漫画の世界ということで、ヒロインと対立するような立場の姉の性格が、ああもひどいものになってしまったのにも納得した。設定じゃあしょうがないよ。いや、この性格のせいで今後私に降りかかる災難を思うと、しょうがないなんて言えないんだけどね。
そして現状において、そんな性格の姉に私ができることは無いに等しい。本当なら姉の性格を矯正すべきなんだろうけど……はっきり言ってそれは無理だ。だってあの人は強烈な性格なんだよ? 家での発言力もすごいが、学校ではもっとすごい。
私の二つ上だから現在は中学三年生な姉。凰院家の長女である彼女は学校という縦社会での頂点になりうる存在だ。
まず、この世界において家名に鳥の名前が入っている家はかなり力を持っている。(勿論これも漫画の設定的に分かりやすいように、という配慮によって成立していることだ。力を持つ家のすべてに鳥の名前が入っているなんて、偶然にしては出来過ぎだし現実的じゃないと思っていたが、本当にそうだとは思わなかった。この世界の人にとっては当たり前だから違和感はないようだけど)
そしてその中でも『鳳凰』『鷲鷹』『鶴鴇』は特に力を持っている。私の家は『鳳凰』の一字を冠していることから分かるようにトップクラス。因みに姉の想い人(仮)の鷹司一輝も『鷲鷹』の一字を冠しているので同格の相手だ。
で、そんな姉は学校でも女王様気取りで好き勝手にしてるため、逆らってはいけない人物ナンバーワンなのだ。もし彼女の逆鱗に触れることになれば、よくて退学、下手すれば一家路頭に迷う羽目になる、とまで言われてるんだよ? もちろん姉にそこまでする力はないと思うけど、そこまで言われるほどの事はしているということ。そりゃあ諫言してくれるような人もいなくなる。彼女の苛烈さは妹の私に対しても遺憾なく発揮されるので、姉の性格に関しては私には打つ手がないのだ。そもそも私は姉に嫌われているので、私が何か口出ししても逆効果になる恐れもある。
最悪の未来を回避するために、他に私ができることは無いか考えてみる。と、いっても、姉のことをあまり知らないので具体的な対策が何も浮かばない。学校ではすれ違う事すら避けてるし。あの人の視界に入ったらもれなく強烈な視線をいただく身ですからね、私。とりあえず……いじめ阻止、とか? もしかして、今の段階で誰かにやってたりするのかな。でも、学年が違う私にどこまで影響力があるか……。
疑問を感じながら、到着した自分のクラスに入る。席順表が黒板に貼ってあるため確認し、自分の席を探す。よし。一番端の列の一番後ろだ。
……ああ、そもそも前提から変えればいいんじゃない? 例えば他の男に姉の目を向けさせれば……。
自分の席に座り、机の上に置いてあったプリント類をチェックしながらふと気づいた。これはいい考えかもしれない。早速知人の男を思い浮かべていく。
まず彼女の好みに合わせるなら顔はよくないといけない。で、当然ながら外部生は家柄的に論外。顔良し、家良しの男……。
「やあ、随分浮かない顔をしているね。凰院さん」
「ごきげんよう、鴇森様。大したことではないのよ。ただ、今度の体力測定のことを考えていましたの」
まさしく今考えていた人物、鴇森優が話しかけてきたので挨拶をする。彼は『鶴鴇』だからうちと同格だし、顔は優しげな印象を与えるイケメンだ。更にこの年にしては落ち着いているので女子の人気も高い。
「やだな、鴇森様なんて。今まで通り『鴇森君』って呼んでよ」
「でも……鴇森様をそのように呼んで怒られないかしら?」
「凰院さんも鳥の名を冠しているわけだし、大丈夫だよ。凰院さんのご両親だって、僕の親に対して様付けなんてしてないよ?」
いや、両親にではなく、貴方のファンに。
「それとも、僕とはもう親しくしてくれないのかな…?」
鴇森君はしょんぼりしながらそう言った。そんな悲しそうな顔で言わないでよ! 罪悪感が半端じゃないから!!
「そんな! 私、そういうつもりで言ったわけではないのよ。ごめんなさい、鴇森君」
私が慌ててそう言うと、鴇森君は嬉しそうにはにかんだ。
「そう? よかった。中等部に上がってからは男女の壁を感じやすいって聞いてたから、凰院さんとも疎遠になっちゃうのかと思って不安だったんだ」
「疎遠になんて、そんなまさか。鴇森君とは初等部に入った頃からの付き合いですもの。今後とも、是非仲良くしていただきたいと思っていますのよ?」
「うん。僕も凰院さんとはずっと仲良くしたいな。これからもよろしくね」
「ええ。よろしくお願いいたしますわ」
鴇森君との付き合いも長いな~。彼とは初等部に入学して最初に隣の席になってからの付き合いだから、もう六年たつのか。
感慨に耽っていると隣に座った鴇森君がプリントを落とした。私の足元に落ちてきたので拾って手渡す。自分のドジが恥ずかしかったのか、頬を少し赤くして笑いながら鴇森君はそれを受け取った。
「えへへ、ありがとう。…ねえ、覚えてる? 初等部の時の入学式のこと」
「もちろん。あの時も今と同じで隣同士でしたわね」
あの頃は気づかなかったが、男女が分かれているとはいえ、五十音順で「お」と「と」が隣同士なんてちょっと学院側の作為を感じる。初等部に入りたてだから気を使ったのかもしれない。
「そう。そして今みたいに、僕が落したプリントを凰院さんが拾ってくれたことがきっかけになって、話すようになったよね」
「懐かしいですわ」
鴇森君を姉の恋人候補として考えたわけだけど、鴇森君は少し雰囲気が違うかな。あの鷹司一輝はきりっとしてて、俺様みたいな感じ? 色で言うなら黒が似合うような人だけど、鴇森君は反対にぽわぽわした雰囲気で、優しい王子様みたいな感じがする。色で言うと白のイメージが強い。もし鴇森君が姉に迫られたら、彼女のあの勢いについていけずにただ疲労するだけだと思う。
あんな我儘女に振り回される恋人候補に、大事な友人を入れるわけにはいかないと、慌てて鴇森君の名前を候補から外す。彼のこの純粋な笑顔は守らなければならないと思うからね。
…そうか。あの人の性格が矯正されないと、彼女の恋人さんは相当苦労を強いられるわけだ。うーん。下手な人物を候補に挙げることができないぞ、これは。
漫画の鷹司一輝はメンタル強そうだし、マイペースで姉に振り回されることが無かった。大概のアプローチを無視していたし。姉は思い通りにならない恋に、より一層嵌まっていったわけだけど。
少なくとも鷹司一輝並みのメンタルの持ち主を見つけないといけないのか……。これは思ったより大変だな。
私は隣に聞こえないようこっそり溜息を吐き、入ってきた担任の話に耳を傾けた。
◆◇◆◇
入学式の日から数日が経った。
私にとって憂鬱だった身体測定も体力測定も無事に終わり、平穏な日々が続いている。今はまだ入学したばかりということで、授業もゆっくり進んでいて課題が無いので、私は仲がいい子たちと話ながら放課後を過ごしていた。
「そういえば、優莉奈様は部活はどうされますの?」
「そうねぇ…」
私と違って人生一度目のみんなは、初めての部活を決めるのに忙しいようだ。今はちょうど新入生が部活を決めるための仮入部期間で、みんな色々な部活を見に行っているらしい。教室に残っている人は少なかった。
部活か…。前世ではバドミントン部に入っていた私だが、運動部のつらさをもう一度味わうのはちょっとね…。だって今世ではかなり権力のある家の娘だから、みんな遠慮気味に接してくるんだよ? あの青春を味わうことは難しいだろう。
「私は文化部を見てみようかしら」
「それでは私もご一緒してよろしいですか?」
私と仲がいい子の一人、九条菖蒲さんが質問してくる。私は菖蒲さんに頷きを返した。
「ええ。一緒に行きましょう、菖蒲さん」
「わ、私も…ご一緒しても、よろしいでしょうか…?」
おずおずと手を挙げたのは西園寺春歌さんだ。
「もちろんよ。さあ、行きましょう?」
うちの学校の有名な文化部は茶道部、華道部、科学部、パソコン部、吹奏楽部、美術部、家庭科部……くらいかな? 同好会を含めるともう少しあるらしいけど詳しくは知らない。
「お二人はどこの部活を考えていますの?」
教室から出たところでまだ行き先が決まっていなかったことに気づく。二人の方を振り返って尋ねてみると、菖蒲さんが私の目を見ながら答えてくれた。
「私は茶道部か美術部ですね」
「私は、家庭科部を…」
きっぱりと告げた菖蒲さんと、か細い声で告げた春歌さん。初等部の頃からこうだけど、つくづく対照的な二人だと思う。
菖蒲さんはストレートの髪をポニーテールにしてて、眼鏡をかけたきりっとした美人さんだ。自分の意見をはっきり言えるし、私にも必要以上に遠慮したりしないので、一緒に居て気が楽な友達だったりする。
対する春歌さんは毛先が内巻きなボブで、雰囲気が儚い感じの美少女だ。いつも自信無さげで俯きがちだが、他人に対して真摯だし、気遣いの上手い所なんかは尊敬できる友達だ。
私たちはこの三人で行動することが多い。もちろん他にも仲がいい子はいるが、この子たちと居る時間は気が楽だったりする。
「では、部室が近い茶道部から覗いてみましょうか」
私は特に希望が無かったので、とりあえず一番近い部活から見ることを提案する。二人は私の言葉に賛成のようだ。私はまだこの学院の地理があやふやなので、学院の地図が既に完璧に頭に入っている菖蒲さんに案内を任せよう。
「おい! 優莉奈!」
私も菖蒲さんに続こうと歩き出したとき、後ろから手を引かれて呼び止められた。