14
白熱した戦いを繰り広げた玉入れは、なんと引き分けという結果で終わった。
勝負に負けて落ち込まれると面倒なので、どちらが勝つのかハラハラしていたわけだけど……。こうして決着がつかないとそれはそれでもやもやする。すっきりしない結末に、応援席に戻って来た菖蒲さんも微妙な顔をしていた。
「残念でしたわね」
「はい……あ、いえ。すみません、勝てれば点をもっと得られたのに…」
「特に優勝したいと思ってもいませんもの。点は気にしていませんわ。とにかく、二人ともお疲れ様」
菖蒲さんと春歌さんにタオルを渡しながら労う。
結局、春歌さんも最後まで競技に参加し、必死に玉を投げていた。根が真面目だからサボりみたいなことできないんだね。えらいえらい。
「凰院さん、そろそろ入場門に行かない? 男女混合リレーの出場者に招集がかかっているよ」
菖蒲さん達と話しながら現在行われている競技を応援していると、後ろから鴇森君に声を掛けられた。確かに遠くから男女混合リレーの出場者を集める声がする。おしゃべりに夢中になって気付かなかった…。面目ない。
「まあ、ごめんなさい。すぐ行きますわ」
「優莉奈様、頑張ってくださいね!」
「お気を付けて…」
「ええ、ありがとう」
二人に激励の言葉を貰いながら応援席から離れる。鴇森君はそんな様子を見て「相変わらず仲がいいね」と微笑んだ。
「あの二人は玉入れに出てたんだっけ? すごかったねぇ」
「ええ、本当に。特に要と菖蒲さんの張り切りようが」
「個人種目じゃない玉入れであの調子なんだから、もしリレー競技に出てたらもっとすごかっただろうね」
「やめてください。想像すると頭が痛くなってくるわ…」
今回は引き分けだったし、要は違うクラスだったからよかったが、以前あの二人が勝負して巻き添えをくらった時は大変だったのだ。
「あ、鴇森と凰院」
「あら。ごきげんよう、龍ヶ崎君」
入場門に向かう道すがら、6組の応援席の方から抜け出してきた龍ヶ崎君と合流した。彼の出場競技も男女混合リレーだ。向かう先は同じなんだし、どうせなら、ということで一緒に歩く。
「もう聞いてるかもしれないけど…俺のクラス、今日一人休みでさ。丁度凰院と走る予定だった奴なんだけど」
「まあ、そうなんですの?」
「ああ。だから代理の走者が走るんだ。青井陽子っていう陸上部のやつ。担当は長距離だけど、短距離も結構速いんだ」
陸上部!? なんでよりによって陸上部なの!?
ぎょっとして、勢いよく龍ヶ崎君の方を振り向いてしまった。龍ヶ崎君は私の様子に驚いたのか一歩離れた。ごめん、女子苦手だったね。でもいきなりそんなこと言うからだよ!
「陸上部、ですか……。ごめんなさい、鴇森君。半周ほど差がついてしまうかもしれませんわ」
「あ、諦めちゃダメだよ。僕も頑張るから、凰院さんも頑張ろう?」
運動はそれなりにできる方だと自負しているが、流石に現役陸上部と戦って勝てるほどだとは思っていない。
男女混合リレーは半周ごとにバトンを回していく。しかし、アンカーとその前の走者だけはトラックを一周走るのだ。走る距離が長い分、走者の足の速さによっては差が広まることも縮まることもあり得るわけで。今回は前者のようだ。
全校生徒の目の前で半周遅れ…。つらい。
◇◆◇◆
『さあ、泣いても笑っても最後の勝負! 男女混合リレーが始まりました! 実況は放送委員会委員長、鶯巣一晴が務めさせていただきます』
ああ、とうとう始まってしまった…。
トラックの内側で待機しながら走り出したクラスメイトを見守る。私のクラスの走り出しは順調なようで、現在はトップを走っている。
『1組速い!速いです! なんという美しいバトンパスでしょう! ここまで仕上げるためにいったいどれほどの練習を積んだんでしょうか。しかし4組、6組も負けていない! みなさん頑張ってください!』
プレッシャーになることを言わないでよ! バトンパスミスしたらどうしてくれるの!?
緊張から罪もない実況係についあたってしまう。ううう…。心の中で文句を言うくらい許して……。
憂鬱になりながら待っていると、とうとう私の順番が来た。緊張しながらトラックのラインに並ぶ。私の隣に来た子は、練習の時にはいなかったため、6組の青井さんだとすぐに分かった。
「貴方が凰院さんね?」
横目で青井さんを見ていたら声を掛けられた。視線が不快だったかな。ごめんね。
「そういう貴方は青井陽子さん」
「あたしのこと知ってたの?」
「ふふ、ごめんなさい。ここに来る前に龍ヶ崎君から聞いていましたの」
「ああ、そういうこと。あたしも龍ヶ崎から聞いて知ってたんだ」
納得したように頷く青井さん。私相手に気負いしないで話しかけてくれる人は珍しい。たぶんこの様子だと外部生だろう。内部生だと、どうしても姉の存在がちらついてしまい、私に気負わず話しかける人は少ない。そして、たとえ外部生でも『凰院』というネームバリューに怖気づいてしまう人が多いので、彼女がどういう人か少しわかる気がする。
「あたし、貴方が『鳥の六家』だろうと手を抜いたりしないから」
ポツリと溢された一言に目を瞬く。少しだけ強い口調で言われた言葉。その言葉からは、なんとなくだけど、私達『鳥の六家』を快く思ってないように感じた。
「凰院様!」
どういうことなのか彼女に尋ねようとしたところで、クラスメイトが私の名前を呼ぶ。私の前の走者がバトンゾーンに迫っていた。そうだ。リレー中だった。慌ててバトンを受け取る準備をする。
大丈夫。6組の子はまだ来ていない。ここで私がミスすれば、せっかく差を付けてきてくれた子たちに申し訳が無い。落ち着いてパスを受ければいい。
私は走り出しながら右手を後ろに伸ばした。
パシッという確かな手ごたえを感じ、バトンを握り込む。よし。落とさなかった。でも、ここで安心するわけにはいかない。
『1組、次の走者にバトンパス! 走り出したのは凰院優莉奈嬢です! 普段の穏やかさからは想像つかない速さで走っています。おーーーっとここで6組も次の走者にバトンパスしました!! 速い! 流石陸上部期待の新人、青井陽子選手!』
実況のおかげで6組もバトンパスを成功したことが分かった。後ろから感じるプレッシャーは青井さんのものだろう。彼女は長距離走の担当らしいが、短距離走でも十分活躍できる足を持っていると聞いた。きっとすぐに追い抜かれることになる。
ああ、やだな…。今、全校生徒がこの競技を見ている。私が抜かれたせいでクラスが負けるところを、皆に見られるんだ…。
私がそんな後ろ向きなことを考えてしまったせいか、二つ目のカーブに差し掛かる前に青井さんに抜かれてしまった。ごめんね、鴇森君。ごめんなさい、クラスのみんな。
と、私の中を諦めが大きく占めた時、大きな声が私の名前を呼んだ。
「凰院さん!」
私の事を『凰院さん』と呼ぶ人は限られている。それに長い付き合いだ。顔を見なくても声でわかる。
「凰院さん! 大丈夫、僕を信じて!」
失速気味だった私に、鴇森君は大きな声でそう言ってくれた。いつもの優しげな声ではなく、励ますような、力強い声だった。
練習の時に走っている姿を見ていたが、龍ヶ崎君と鴇森君では、鴇森君の方が少しだけ速い。もちろん、練習だったからお互い本気だったかはわからない。それでも、ここで私が諦めてしまえば、勝てる可能性を捨てることになる。
そうだね。これはリレーだ。私がダメでも、鴇森君なら…。
『おや? 6組に抜かれて失速気味だった凰院優莉奈嬢、また息を吹き返したようです! 最終走者である鴇森優に勝負を託すつもりか?! 6組の青井選手、バトンを次の走者である龍ヶ崎選手に渡しました! さあ、勝負はまだわからない! みなさん頑張ってください!』
せめてこれ以上順位を落とさないよう、気合を入れる。よし! 次に繋ぐぞ!
「鴇森君! お願い!」
左手を一生懸命伸ばして、鴇森君の右手にバトンを押し付ける。不思議と、練習のときよりプレッシャーを感じることなくバトンパスをすることができた。パシッという音とともに、私の手からバトンが離れ、鴇森君の手に収まる。彼の背中は、「任せて」と言っているように見えた。
息を整えながらコースから外れる。視線は鴇森君と龍ヶ崎君を追っていた。
鴇森君にバトンが渡った時点で、龍ヶ崎君はまだカーブに差し掛かっていなかった。二人の間は、鴇森君と龍ヶ崎君の走る速度が同じだったらどうにもしようがない距離だっただろう。でも、鴇森君の方が早ければ、もしかしたら追い越せるかもしれない距離だった。
すごい。鴇森君は私に言った通り、どんどん龍ヶ崎君に追いついている。必死な顔をして走る鴇森君は、普段の温厚さが見えず、凛々しく見えた。きっと今の彼を見れば、新たな層のファンが増えるに違いない。
私は両手を握りながら、祈るような気持ちで二人を見つめた。グラウンドは、鷹司一輝と一条先輩の競争時のような盛り上がりを見せている。
――そして。
もしかしたら、という生徒たちの期待を浴びながら。
『おーーとっ! ここで白組、先頭走者の紅組を抜きました! そしてそのままゴールテープを切ったーーー!! お見事!』
鴇森君は龍ヶ崎君を抜き、白組に勝利をもたらした。