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体育祭まであと一週間。生徒の練習も始まり、実行委員の仕事も大変になって来た。
龍ヶ崎君もこの頃私に少し慣れてきたのか、始めの頃の様なぎこちなさは薄れてきた。それでもまだ女子が苦手なのに変わりはないらしい。先輩と言う事もあって楓恋様とはあまり交流が無いから、楓恋様と話すときは表情が硬い。
今日も放課後に生徒会室で実行委員の仕事を熟していると、突然思い出したように一条先輩がこちらを向いた。
「そういえば三人はこの前の中間考査、どうだったの? もう結果は返ってきたんだよね?」
三人とは、今この場にいる私、鴇森君、龍ヶ崎君のことだろう。いつもは鷹司一輝に指示されて仕事をしている鴇森君が、今日は珍しく生徒会室にいた。反対に殆ど生徒会室で仕事をしている鷹司一輝が今日は不在だ。
一条先輩が言う様に、先日一学期の中間考査の結果が返された。この学院では上位五十名は掲示板に名前と総合点が張り出されるらしく、成績上位者は学年全体に総合点が知られてしまう。
「それが、凄いんですよ、この二人。学年首席と次席なんです!」
だからこうして本人以外が順位を知っているのも当然なわけで。龍ヶ崎君は少し興奮したように一条先輩に返事をした。私以上にテンションが高い龍ヶ崎君に苦笑いする。
「へえ、凄いね。因みにどっちが上なの?」
「凰院です」
流石に予想していなかったのか、驚きに目を見開いた一条先輩。中等部からは勉強ができる外部生が入学してくるので、内部生の方が成績が良いのはまれらしい。そうはいっても、一条先輩や鷹司一輝は漫画で常に成績上位者だったんだけど。
「よく頑張ったね、優莉奈ちゃん。外部生を抑えての学年トップなんて」
「ありがとうございます。でも偶然ですよ。他の方より早くから試験勉強を始めていただけですし……たぶん次はありません」
私は前世の経験から、先生が狙いやすいポイントを予想して勉強しただけだ。一度でいいから学年一位を取ってみたいと思って、一番簡単な一年生の一学期中間考査に備えて毎日少しずつ復習を行っていたんだよね。念願の一位が取れたし、毎回こんなに勉強するのはだるいから次からはやらないつもりだけど。
「それでも努力しないとできないことだよ。鴇森君も、次席おめでとう。頑張ったね」
「えへへ…ありがとうございます」
鴇森君が照れながらお礼を言う。私にとっては人生一回目の鴇森君が、外部生を抑えて次席になったことの方が凄い事だと思うんだけど、他の人は私が生まれ変わったことなんて知らないし……下手に何回も褒めると嫌味みたいになるからね。結果が出てすぐにお互い称え合ったきりだ。
「でも、龍ヶ崎君も上位に入っていたよね?」
「そうよ。龍ヶ崎君は実行委員だけじゃなく部活まであったんだから、私たち以上にすごいわ」
「俺はかなりギリギリだったけどな」
そう。私たちだけでなく、龍ヶ崎君も順位表に載っていた。鴇森君が言い出したことに便乗して褒めると、龍ヶ崎君は苦笑いしながらも嬉しそうな雰囲気を出していた。
「今年の一年生は真面目で優秀な子が多くて嬉しいよ」
私たちの様子をにこやかに見ていた一条先輩はそう言った。その言葉に引っ掛かりを覚えて首を傾げる。
――まるで今の二年生、楓恋様や鶴岡様の成績が芳しくないみたいな言い方だな…。
見ると鴇森君と龍ヶ崎君も訝しげにしている。そんな私たちに一条先輩は「内緒だけど」と口元に人差し指を立てながら話し出す。
「鷲宮さんは理数系の科目が苦手で、義仁君は文系の科目が苦手なんだよね。二人とも勉強熱心じゃないから成績はあまりよく――」
「――副会長、随分お話に夢中になっているようですけど、仕事は終わったんですか?」
良くない、と続けようとした一条先輩の言葉を遮るように楓恋様は言った。扉側に背を向けて座っていた私たち三人は、話題の人物がいきなり現れたことに驚き肩を揺らす。
「ああ、お帰り、鷲宮さん。勿論仕事は終わっているさ。一輝に文句言われたくないからね」
にこやかに告げた一条先輩を楓恋様は一瞬だけ睨み、直ぐにこちらを向き直った。おそらくこれ以上一条先輩の相手をしては、苛立ってボロを出してしまうと思ったんだろうね。今は龍ヶ崎君がいるから頼れる先輩モードだろうし。
「三人ともお疲れ様。ごめんなさいね、副会長は話してないと気が済まない質なの。でも嘘をついていることも多いから、全部鵜呑みにしてはだめよ」
「あー……まあ、俺は一条先輩が言う冗談、嫌いじゃありませんよ。楽しいものが多いし」
「あはは。龍ヶ崎君は嬉しいことを言ってくれるね」
楓恋様にぎこちなく返した龍ヶ崎君に、一条先輩は楽しげに笑った。冗談か…。果たして先程の発言は冗談と取ればいいのか、本気にしてもいいのか。別に先輩の成績の良し悪しなんて知っても意味ないけど。
今日する仕事を終わらせたので、その後楓恋様も交えてお話していると、鷹司一輝と鶴岡様が戻って来た。
「お前達…」
仕事もせずに話し続けていた私たちを見て、鷹司一輝は眉間に皺を寄せる。その姿を見て思わず肩が揺れてしまった。隣の鴇森君は鷹司一輝の方を見ていたので、気づかれていないのが救いだな。
「まあまあ、いいじゃないか。僕たちが任されていた仕事はもう終わったんだし、偶には休憩も必要だろう?」
「……お前が主犯か」
不機嫌そうな鷹司一輝を宥めるために、一条先輩が両手を向けながら弁解する。
「もー人聞きの悪いことを言うなって。君たちが後輩と交流しようとしないから、代わりに僕がこうして親睦を深めているんだよ? 人間関係は職場では大事なんだから」
「ふん…。それは認めてもいいが」
「そうだろう? じゃあまずは呼び方を変えよう!」
「は?」
一条先輩の言い分に一応納得してくれたらしい鷹司一輝は、しかし次に言われたことの意味が理解できなかったようで素っ頓狂な声を上げた。それは周りで聞いていた私たちも同様で、一条先輩が今何を言ったのかよく理解できなかった。
今、彼は何と言ったんだ? 呼び方を変える? 誰が誰の? どうしてそういう話になるの??
「だって君、この間優莉奈ちゃんを何て呼んでた? 『凰院妹』って言ってただろう? お・う・の・い・ん・い・も・う・と。九文字もあるじゃないか! フルネームの方が短いくらいだよ」
「それは……まあ、そうだな…」
ああ、そう言えばそんな呼ばれ方してたね。「おい」とか「お前」とかで済まされることが多いし、あまり気にしてなかった。でも呼び名に関しては私も心の中で鷹司一輝とフルネームで呼んでいるのでお相子といえる。あ、勿論口に出すときは『鷹司様』だけどね。
「呼び方から距離があるから君たちは何時までも仲良くなれないんだよ」
「……仲良くする必要は無いだろう。こいつとの関係は、体育祭が終わるまでだ」
「そんなことないって。君たち鳥の名家だろ。嫌でも付き合いは続くさ。鴇森君もそう思うよね?」
「えっ!? あ、はい。そうです、ね…?」
「ほら、彼もこう言ってる」
二人のやり取りを唖然としながら眺めていた鴇森君は、いきなり話題を振られたことに驚いたようだ。言葉尻が微妙に上がり、この状況をうまく把握できていないことが分かる。場の空気は完全に一条先輩のもので、誰も彼のペースについていけない。
「名前で呼ぶのもいいけど、渾名も距離を縮めるのには有効な手だよ。うーん…、一輝で考えるなら『タッキー』とか?」
どこのアイドルだ。いや、この世界にそんな名前のアイドルは存在していないんだけど! 偶然だろうけど、なんか嫌だ!
一条先輩がそんな渾名を候補に挙げたことにも驚いたけど、それ以前に渾名を決めるという発想に至ったことに驚きだ。勝手なイメージで申し訳ないが、彼はそう言うのと縁遠いと思っていたのに。誰とでも親しくするけど、踏み込んだ付き合いはしない人に見えてたんだけどなあ。
鷹司一輝が思わず絶句していると、そんな彼に構わず一条先輩はこちらを向いた。ばっちりと目が合うとにこりと微笑まれる。え、まさか次の標的は私ですか…?
「優莉奈ちゃんは『百合の君』とかいいんじゃない?」
「丁重にお断りさせていただきます」
「即答かよ…」
嫌な予感がしていたので断る準備をしていたら、案の定微妙な渾名を提案された。漸く立ち直ったらしい龍ヶ崎君が私の返事の早さに驚いている。
優莉奈の響きから来た名前なんだろうけど……『○○の君』って古くない? 私は平安時代の人間かよ。もしかして暗に平安顔だって言われてるの? 喧嘩売られてる??
……いや、冷静になるんだ私。そんな穿ったものの見方をするなんて相手に失礼だ。一条先輩は純粋に私たちの仲に不安を感じ、純粋に心配し、純粋に改善案を考えているに違いないんだから。……一条先輩と純粋の言葉が結びつかない。これが鴇森君が言い出したことなら信じられたのに……。一条先輩の発案というだけで裏を疑ってしまう。
「鷲宮さんは『楓の君』だね」
「…………いやだわ、副会長ったら。冗談が過ぎますよ」
楓恋様は荒れ狂う感情を必死で抑えているようだ。表面上は笑顔を浮かべているが、微妙に口端が引きつっている。それを眺める一条先輩の笑顔を見て、あ、この人楽しんでるなー、と察した。
「龍ヶ崎君は何にしようか。りゅ…りょう………」
「…そろそろ活動終了時間ですよ」
「あ、本当? じゃあ帰ろうか。ほら皆、荷物纏めて」
今まで大人しく壁側に避難してこちらを静観していた鶴岡様がそう切り出すと、一条先輩はあっさり引き下がった。鶴岡様、巻き込まれないようにしてたな…。ずるい。
一条先輩の言っていたことはやはり冗談だったらしく、さっきまでの呼び方に対する執着は消えていた。なんだったんだ、この人。ただ皆をからかって遊びたかっただけ?
扉を開けて早く出るように促す一条先輩の元へ急ぐ。
「――期末、気を付けた方がいいよ」
「え?」
扉を通る時に耳に落とされた言葉。一条先輩を見ても、彼はただ微笑むだけだった。
…これも、冗談なんだろうか。
胸にもやもやとした気持ちを抱えながら家に帰る。考え事をしていたせいで桐人から「姉ちゃん、大丈夫か? ぼーっとしてるけど」と心配されてしまった。ああ、こいつに悟られるなんて私もまだまだだな。桐人には疲れているだけだと誤魔化し、早々に就寝することにした。
期末って期末考査の事? 学年が違う一条先輩が忠告するようなことが、その時に起こるっていうの?
その日はベッドに入ってもなかなか眠れず、やけに時計の音が響く中、私は考え事をし続けた。