10
体育祭実行委員とは、体育祭の時期だけ臨時で全学年から有志を募り、生徒会役員だけでは間に合わない体育祭関連の仕事の手伝いをする人の集まりの事を言う。なにせ生徒会役員が会長、副会長、書記二名の計四名しかいないので、繁忙期には手が足りなくなってしまうのだ。そういう経緯で体育祭実行委員会が生まれたらしい。因みに文化祭の時期にも文化祭実行委員というものがある。
毎年十名前後集まるものだったらしいが、今年は六名しか立候補者がおらず、良ければ昼休みにも手伝いに来てほしいと言われていた。私は昼休みにおしゃべり以外することがない。断る理由が無いので素直に生徒会室に行く。あ、勿論ご飯は食べてきたよ。どのくらい時間がかかるか分からないし。
生徒会室に入ってみると、中にいたのは一条先輩と一年の男子、それから鷹司一輝だけだった。鷹司一輝がチラッとこちらを見たので会釈する。彼はそれに「よく来てくれた」とだけ言って自分の作業を再開した。どうやら彼から私に頼む仕事が無いようなので、邪魔にならない壁際に立って室内の様子を見る。一条先輩と一年生の男子はなにか書き物をしていて忙しそうだ。
体育祭実行委員として実際に活動をしてみると、意外と楽だった。楽と言うのも、私に仕事を割り振るのが楓恋様か鷹司一輝しかいないからだ。他の先輩方は私の姉の存在にビビっているようで、酷い人は後輩の私に敬語を使ってくる始末。実行委員に入ったのは失敗だったか…?
「優莉奈ちゃん、1年6組の出場登録書にミスがあるから説明して訂正してもらってきて」
「一条先輩、それなら俺が行きますよ。自分のクラスだし」
「龍ヶ崎君はそれが終わったら他の事やってもらうから。優莉奈ちゃん、よろしくね」
ああ、そういえばこの人も数少ない雑用をくれる人だ。ニコッと笑ってプリントをこちらに渡してくる一条先輩に、了承の旨を伝えてプリントを受け取る。付箋が貼ってある箇所が訂正箇所のようだ。よく見ると重複できない競技に出ている人が居る。ってこれ要じゃん。
ちらっと一条先輩を見るが、もうこちらを見ていない。先程の一年男子、龍ヶ崎君とやらに新しい指示を出している。恐らく暇そうにしていた私に声を掛けただけなんだろうけど…。龍ヶ崎君の仕事と代われないかなー。
「龍ヶ崎君には力仕事を頼んでるから、優莉奈ちゃんは諦めて早く行ってきなさい」
「…行ってきます」
じっと一条先輩の背中を見ていると、彼は私の視線を感じたようで、こちらを見ずに早く行くように言ってきた。お見通しでしたか。これ以上粘っても意味がなさそうなので、諦めて生徒会室から出ていく。
今は体育祭練習開始前で、実行委員は生徒たちが練習できる環境づくりを行っている。今預かった出場登録書は、どの生徒がどの競技に出場するのか、人数が足りない場合は誰が重複して出場するのかをクラスごとに書いて生徒会室に提出してもらうものだ。
プログラムの進行をスムーズにするために連続して競技には出れない決まりなのに、要の奴はそれを破って登録しているので、他の人と交代してもらわなければならない。今は昼休みだから、要が教室にいるかは分からないけど……仕方ない。行ってみよう。
「失礼します、一条要君はいますか?」
教室の扉を開けて尋ねると、途端に教室内が静寂に包まれる。気まずい空気にどうしようかと思っていると、近くにいた眼鏡をかけた男子が答えてくれた。知らない人が教室に来るとつい注目しちゃうよね。あれってやる側は無意識だったりするけど、やられる側は威圧感半端ないことが今分かった。
「彼なら恐らくもう少しで帰ってきますよ。今は職員室に行っているのでいませんが」
「まあ、そうでしたの。ありがとうございますわ」
「いいえ」
なんかかっちりとした雰囲気の男子だな。学級委員長か風紀委員って感じ。
「あれ? なんで優莉奈がここにいんの?」
かっちり眼鏡君と話していると、ちょうどいいタイミングで要が帰って来た。
「要。貴方、重複できない競技に出場登録しているから訂正してほしいの」
「え!? どれ? あー…うそ。連続して出れねーの?」
「説明書きをちゃんと読んで。体育委員は注意しなかったの?」
出場登録書は体育委員が確認して、生徒会室に持ってくる決まりだったはずだけど。
「だってそれ俺だもん」
お前かよ。
「はあ?」
思わず低い声が出て、まだ近くにいたかっちり眼鏡君の肩が跳ねる。いけない。ビビらせてしまった。咳払いして誤魔化す。
「…今度からは注意書きも読んでね」
「えー…。面倒なんだけど」
「読みなさい」
「…ちぇ。分かったよ。今度からはちゃんと読む」
「分かってくれればいいわ。そういう事だから、誰かと競技を代わってもらってね」
その時、私たちのやり取りを見ていたかっちり眼鏡君が、「あの」と言いながら手を上げた。
「……僕でよければ交代しますよ、一条君」
「え、いいのか?」
「はい。僕はこの競技に出る予定だったので、一条君と代わることができますよね?」
彼に登録書を指さされ、そちらに視線を移すと要の競技の三つ後の競技を指さしていた。これなら交代できる。
「そうですね。では書き直していただけますか?」
「分かりました。………はい、これでいいですか」
返却された登録書には『一条要』の代わりに『黒崎大輔』と書かれていた。どうやらかっちり眼鏡君は黒崎君と言うらしい。
「ええ。ありがとうございました」
「ありがとなー、黒崎」
「いいえ。学級委員長として、クラスメイトのために行動しただけですよ」
想像通り学級委員長だった黒崎君は、眼鏡のブリッジを上げながらそう言った。この動作って漫画とかでインテリキャラがよくするから、現実でするとからかわれちゃうことがあるよね。子供の間だけだろうけど。
「貴方、一年生ですよね? 生徒会の仕事を手伝っているなんて……もしかして、体育祭の実行委員なんですか?」
用事も無事終わったし、要に別れの挨拶を言おうとしたところで黒崎君に話しかけられた。
「ええ。友達に誘われたので」
「優莉奈は真面目だからなー。あ、そういえば亮太とは話したか? 亮太も実行委員やってるんだけど」
「亮太さん? ……どなただったかしら」
亮太……名前からして男だし、何度か聞いたことがあるような……。うーん…誰だったか思い出せない。
「ほら、初等部の頃から俺と遊んでた奴いただろ。あいつだよ。苗字が龍ヶ崎って言うんだけど、まだ会ってねーの?」
「ああ! 龍ヶ崎君ね。その方なら先程会ったわ」
龍ヶ崎と言われて先程の事を思い出す。一条先輩と話していた一年男子だ。確か、彼は最初の募集で五名しか実行委員が集まらなかったので、再度募集をかけたときに入って来た人だったはず。
そうか。彼が龍ヶ崎亮太か。要と一緒の姿を見ることが偶にあったが、身長が伸びていたので気づかなかった。初等部の頃、龍ヶ崎君は要より身長が低かったのに、中等部に入って一気に伸びたようだ。要もいつかあのくらい身長が伸びてしまうんだろうか。今は私より小さいのに。
「龍ヶ崎君は部活生ではありませんでしたか? 実行委員に入って大丈夫なんでしょうか」
私たちの会話を聞いて、黒崎君が心配そうにそう言った。思い返してみれば、龍ヶ崎君の名前を最後に聞いたのは部活見学の時だ。運動部を要と回ったであろう彼が、何らかの部活に入っていることは想像に難くない。
「そうなんだよ。あいつ、頼まれたら断れないからさー。自分が大変でもいろいろ仕事引き受けたりするし、心配なんだ。兄貴にも言ってるけど、優莉奈も様子見てやってくれねーか?」
頬を掻きながら言った要を見て、私は胸が温かくなった。つい先日まで、私の都合を考えようともせず運動部の見学に誘ってきたような奴が、友達の心配をしている。
こいつ、ホントに要? ニセモノじゃない? …いやいや、こいつも成長したんだろう。大人になったね、要!
一瞬だけ疑う気持ちが出たが、直ぐにそれを振り払い感心する。何があったかは知らないが、友達の成長は嬉しいことだ。喜びが顔に出ていることを自覚しながら頷く。
「もちろん。じゃあ、早く戻って何かお手伝いできないか聞いてみるわ」
「ああ、頼んだぜ!」
要が拳を突き出してきたので、自分の拳を軽く当ててやる。何の影響を受けたのかは知らないが、昔から要はこの動作をよくしている。最初は抵抗があったけど、今ではもう慣れたもので、拳が突き出されると反射的に返してしまうようになった。
こういう時に思うのは、要は私を鳥の名家の令嬢と思ってないんだろうなー、ということだ。要は昔から影響を受けやすく、私に初対面で子分になれと言ったのも、海賊が出てくる映画を見た影響だったらしい。そんな始まりだったからか、こいつから女の子扱いをされたことは無い。まあ、こいつのやんちゃに付き合ってきたせいかもしれないけど。
今度こそ別れようと背を向けると、黒崎君から焦ったように声を掛けられた。
「っ! あ、あの! 優莉奈さんって、もしかして凰院家の方ですか?」
「え? ……ええ、そうですわ。それが、なにか?」
焦っている様子の黒崎君を見て、不安がよぎる。もしかして、姉に何かされたのか? とりあえず不安は見せずに首を傾げ、黒崎君に続きを話すよう促す。私が肯定した姿を見てほっとしたらしい黒崎君は、幾分か落ち着いた声で続きを話してくれた。
「やっぱり。以前から名前を聞いていたので、そうじゃないかと思っていたんです。こうして直接鳥の名家の方とお会いできるなんて……感激です」
「まあ、大げさですわ」
「いいえ。僕たち外部生にとって、貴方がたは雲の上の人というか…。同学年にいることは知っていたのですが、こうして直接話ができるとは思っていませんでしたから」
照れた様に笑った黒崎君が、手を出して「不快かもしれませんが、その…宜しければ、記念に握手してくださいませんか?」と言ってきたので笑って手を握り返した。芸能人じゃあるまいし、握手なんて大げさな人だなー。要も珍しいものを見たからか、こちらをじっと眺めている。
お礼を言ってくる黒崎君に手を振って、もう一度背を向けた。今度は誰にも邪魔されることなく、三度目にして漸く私はお別れに成功したのだった。