三
魔力とは何か。
諸説あるが、一番簡単で安直なのは“魔の力である”という。
では、“魔”とは何か。
時代を感じさせる石造りの建物。
教会のような様式ながら、司教が説くことはなく、長椅子の代わりに床や壁を埋めるのは書架である。
遥か頭上のドームは開かぬ天窓。
その真下に設えられているのは井戸かと思うような囲い。
囲いには透明な投射板で蓋がされている。
呼気すら厭うような静寂が破られ、姿を見せた金髪の少年は空のように青い瞳を真っ直ぐに井戸のようなモニュメントへ向けて近付く。
「承認して」
声変わりには後数年掛かるだろう高い声。着ているものは仕立てこそ見れば良さそうながら、シンプルでラフさ溢れる。
少年の声と、投射板へ添えられた指先に空気が揺れた。
指を離した井戸の上に無表情な少年そっくりの幻影が生じ浮かぶ。
《十九代エミリメラの魔力:生体反応と合致。ようこそ、王の血族》
「第十代の記録の検索と資料貸出し、それから鳴子箱の展開と再生を申請」
《記録、検索完了。資料請求に合致する書架エリアはD‐24の中に二百三十二冊。過去履歴より常用設定の二十冊を出現。変更がなければ貸出し手続きに移ります。鳴子箱の展開完了。エラー発生。再生可能なものだけを再生します》
板の上に現れる本を抱え、後半のエラーにはやっぱり駄目かと済ます。
「えーと、昨日は……」
止めとけと教授達や友人達に言われても選んだテーマだけに、そして何より締め切り間近なだけに今更変えられない。
「エルードの資料は沢山あるのになぁ」
研究テーマの片方は有名で人気も高く、資料も過去に研究した研究家や学生も多い。
けれど、双子でありそして“最高にして最悪”と言われる“新月の皇子”は、彼個人のデータは名前すら記録に残っていない。
「真名を解き、消えた愚かな皇子」
此れが最悪。
「当代に至るまでの功績を紡いだ皇子」
此れが最高。
「新月の皇子」
その呼び方だけが、彼が存在したという証。誰よりも彼に忠実だったという臣下が彼の皇子の名を呼ぼうとして呼べず、ただひたすら絶望の末に口にしたという名。
「どうして皇子は自らの名を解いてしまったのか。そこには何があったのか。そして……」
当代に至るまで続く彼の功績。人間にも魔族にも賛否両論はあるものの、彼でなければ成し遂げられなかった……やろうとは思わなかっただろう事。
「人間と魔族の不可侵契約」
互いの領域を、国を侵略する事を禁じた“呪い”を彼の皇子は残した。何故、彼はそんな事をしたのか。
人間も魔族も、互いの国を侵してはならないという、不可侵の盟約を。
「実在の盟約と呼び名だけの皇子」
名を解くのはその存在自体を解いてしまう事と同じ。
「双子の弟ですら、顔もその名前も思い出すことが出来なかった、か。……兄弟仲、悪かったのかな」
見方を変えて弟であるエルードの資料からその姿に繋がるものを探そうとしたけれど、今度はその資料の多さに頭を抱える事になった。
「嗚呼……皇子が単位落として留年は流石に表歩けなくなる……から、やらなきゃ」
挫けそうな心を叱咤して、資料とのにらめっこを開始する。
彼女が傷つく事の無い世界を作りたかった。可愛い僕の弟の夢を叶えられる世界が欲しかった。
僕にその力があるのなら、躊躇う必要なんて無かったんだ。
「まだ目覚めないのか」
「うん。やっぱり、世界も違うし、眠りの前にあった事が事だからショックが大きかったんじゃないかな」
寝台の上に横たわる僕らの眠り姫。呼吸も脈も正常なのに目を覚まさない。
時を止めているかのように。
「三日だろう。もう」
「うん。でも、多分……もっと眠っても、このまま変わらないと思う」
魔女だと、僕らの眠り姫が殺されそうになった理由が、この僕らに匹敵するほどの魔力。
「心の傷が癒えるまで、眠ったままかもしれない」
「…………」
黙ったエルードの顔を見る。優しい僕の弟は自分の痛みのように心を痛めている。
「大丈夫だよ。少し眠りが深いけど、必ず目は覚めるから。そうしたら、悪夢なんか忘れちゃうくらいいっぱい、楽しいことや嬉しいことをあげよう?」
「……ああ。そうだな」
「うん! 三人で一緒に、またピクニックに行こう」