二
二
「ハインリヒ。 人間の国と交渉に行って来ようと思うんだ」
主である皇子の一言に、私は完全に舞い上がっていた。
双子の皇子。 その兄皇子であるシェード様に私は仕えている。 漆黒の髪に苺のような赤い瞳の可愛らしい私の殿下。
けれど、その容姿に反してその身に宿す魔力は強くしなやかで、美しく誰よりも気高い。 私は初めてお会いして拝謁した時から、この方にこの身を賭してお仕えすると決めた。 王になってもならなくても、私の主は殿下のみ。
「ハインリヒ、ねぇ、僕のお願い、聞いてくれる?」
「なんなりとお命じ下さい!」
皇子の前に膝を突き、その命令を待った。 皇子はいつものように微笑んだまま、嬉しそうな声で、
「ありがとう。 じゃあ、僕を忘れて」
「え?」
小さな手が、目の前に翳された。 抗うことが許される筈もなかった。
小さな皇子。 可愛い殿下。 その容姿は十を過ぎてから年齢を重ねても酷くゆっくりとしか成長しなくなった。 それは、強すぎる魔力ゆえに。
誰よりも強い魔力ゆえに。
「ごめんね。 ハインリヒ」
いつもの、言葉。 いつもは、感じなかったものをそこに感じて、私は無駄なのに叫びたくなった。
嫌です。 そんな、最期のような声で言わないで下さい! そう叫びたかったのに。
意識は遮断される。 黒い闇が記憶を虫食いにしていく。
嗚呼、なんて……酷い方。
私の殿下。
こんな世界にはおいて置けない。 だから僕は彼女の身体を抱えて僕らの世界まで跳んだ。
酷いショックを受けて眠りに着いたその呼吸は穏やかで、怯えていた時の震えはなく、安寧の中にあった。
「もう二度と、怖い目になんて遭わせないからね」
二度と哀しませないから。 そう誓って僕はその身体を抱いたまま城へ戻った。
中庭からの光りで目眩がするほど白い石造りの廊下。 それを誰にも見付からないように駆けて、自室へと。
主の許しなくば誰も入れない部屋。 その主は当然、僕。
「……ルードには報せないと」
ゆっくりと寝台に彼女を横たえながら、僕は呟いた。
そうしないと、隠してしまいそうで怖かったから。
僕の部屋は“子供らしい”部屋で、沢山の絵本におもちゃ、可愛い白地に蔦模様の壁紙、青い夜空の天蓋がついた寝台の四隅からは星と月のオーナメントが下がっている。
その中で、壁に掛かった扉つきの姿見には秘密があって、僕は姿見の扉を開けて鏡に囁いた。
「ルード、ねぇ居る?」
『何だ。 私は今、忙しい』
「うん。 今日はルードの苦手な魔力構築と還元式の応用編だもんね」
『わかっているなら』
「だけどそれより“僕ら”にとって大切な事でお話しがしたいんだ。 お願い。 こっちに来て」
仕方無さそうな溜息の後、鏡面が波紋を描いた。 そこから白い指先がこちら側に。 手首、肘、そしてやがては全身が現れる。
「何だ。 用件は手短に……」
「……」
言葉の途中で絶句したエルードの視線の先は追わなくてもわかってたから、僕はそのまま振り返らなかった。
「おまえっ」
「しー。 大きな声、出さないで。 多分、暫く目覚めないとは思うけど」
「どういう事だ」
声を抑えながらもエルードの声音には詰問の響きがあったよ。 仕方ないけどね。
「ちょっと、困った事があって……。 村人が暴走して、あの子のおじいさん、死んじゃったから」
「それは」
「大丈夫。 片付けてきたよ。 おじいさんはちゃんと埋めてきた。 でも、あの子をもうあそこにおいておけないと思ったから、連れてきちゃた」
てへ。 そんな感じでぺろっと舌を出して子供らしく随分と年上に見える弟を見上げた。
魚みたいにぱくぱくと口を動かしていたけど、終いには眉間に深いしわを刻んで片手で顔を覆うと長い溜息をついて。
「わかった……」
「うん」
「それで……彼女に怪我は?」
「ないよ。 けど、あの子の居た世界とここは違うから、空気が合うかちょっと心配かな。 それに……相当ショックだったみたいだから、眼が覚めるまでに少し時間掛かるかも」
エルードの顔が心配するようなものに変わる。 僕の弟はやっぱり優しい。
「そうか……」
「大丈夫。 ここに居ればもう、怖い思いなんてさせないでしょう? “僕達が”」
「……そう、だな」
躊躇うような間を置いたことに、きっと可愛い弟は気付いてない。 それは無意識に“僕達”に抵抗を感じたからだろう。 仕方ないよ。 だって、僕だって本当は“僕が”って言いたいんだもん。
でも、僕は言わない。 僕も気付かないフリをする。
ずるくても良いよ。 だって最後にはきっと……。
「エルード、僕、君もあの子も大好きだよ」
これは本当。 だから、僕は気付かないフリをするよ。 最後の最後、君が自分の心に気付いて、あの子が君を選ぶその時まで。 だからそれまでは、君がそんな風にしかめっ面しても知らん顔するんだ。
これは僕のささやかな我が儘と抵抗。 最後に、笑顔で君たちを祝福する為に。