序章 目覚め
初めてのオリジナル作品なので拙いところは多々あると思いますが指摘と批評の程をお願い致します。
更新は恐らく不定期になるかと思います。
人は時たま予想だにしない出来事に遭遇してしまうことがある。
人によってその内容は千差万別で、当人にとっては良いものでも他人からしたら悪いものであるということもある。
当然逆もまた然りというわけだ。
ならば人が見れば、自分に起きたことをどう思うだろうか。
哀れむだろうか羨むだろうか。
一つ自分が言えることは、悪くはなかったということ。
それだけだった。
―序章 目覚め
とても長い夢だ。
全く知らない筈の風景や人々、文化、暮らし、その光景。
だけど、それは見知ったものであるという確かな確信と親しみが胸にあった。
夢はさながら映像劇のように、ある男の人生を追う形で次々と場面が変わっていく。
目で見ているようなのに、頭が直接再生機になっているみたいにしっかりと記憶に刻み込まれるのが分かる。
しかし段々夢という名の映像劇は、意識の覚醒と共にノイズが走り見えにくくなっていく。
最後に見たのは男の死ぬ姿とその末路、白い渦に揺られる姿だった。
目を覚まして、まず目に飛び込んで来たのは緑の色、青々と生い茂る草花や樹木の群れ。
小さい頃に行った山の風景に似ているかもしれない。
耳に入ってくる鳥や虫の鳴き声、風で揺れる葉の音は日本人としての童心や郷愁を誘う、昔から慣れしたんだそれとよく似ている気がした。
自分の記憶が蘇ったことで精神が安定してないことが理解できた。
一体自分は何者なのか。
それを把握するために思考を開始したい。
だがこの場所でジッとしているわけにもいかない。
この体が、同じ場所に留まり続けることに対して危機感という警笛を鳴らしている。
こういう場所には何らかの危険な野生生物がいることを知っているからだ。
体の調子と木々の葉と葉の陰から見える太陽の向きから朝の寝起きであることを把握できた。
大木を背にした体育座りの格好から立ち上がり、体を包んでいた外套が広がる。
胸に抱いていたバックパックに出していた道具類をしまい、背負って外套の中に隠すようにする。
何度も行ってきた体に染み付いている動作になんら手こずる要素はない。
準備を終えたら直ぐに移動を始める。
考えることは移動しながらでもできるからだ。
まずは下山して町を目指そう、それが当初からの体の目標だ。
周囲を警戒して山を下りながら思考を巡らせる。
最後に自分に残る記憶は、あの、まるで巨体な洗濯機の中のような白い渦で魂を揺られる姿。
そこに行くことになった原因は突然の出来事で、外出の最中、通り魔に刺されて死んだのだ。
人は死ぬ際に走馬灯を見るらしいが、自分はただ痛みを堪えているうちにそのまま死んでしまったようで、我がことながらなんとも呆気ないと思ってしまう。
だが今となっては死因はどうでもいい、問題はあの渦だ。
推測でしかないがあれは恐らく輪廻の際に魂を真っ白に初期化するためのものなのだろう。
証拠はあった。
たった一つの洗濯物のために洗濯機を動かさないのは当然のことのように、あの場には自分以外にも当然沢山のものがいた。
犬や猫などの様々な動物や昆虫、魚類、世界中のあらゆる生き物が渦で洗われていたのを覚えている。
川の上流から下流にかけて石が転がり角が取れるように、渦によって全ての魂が例外なく生前の形を失い、真珠のように丸く真っ白いものにリセットされた。
その中で自分は形を保ったまま、渦の中心に沈み混んだということまでは覚えている。
何故自分が形を保てたのかは不思議だが、神ざるものの介入なのか単に偶然なのか判断はつかない。
それに死んでから神というものを目にすることは終ぞなかった。
だから神というものは存在せず、魂の輪廻は世界の機構であるということであるだけなのかもしれない。
しかし所詮は推論でしかなく結論を出すことはできない。
また、解せないことがある。
何故今になって、今も生きているが、生前の自分の記憶が蘇ったのかということと、何故同じ世界で新たな生を受けなかったのかということだ。
自分の記憶が蘇ったのは年を一定まで重ねたから、ということならば作為的なものを感じるし、肉体と脳の成長に合わせて魂が馴染んだから、ということなら単に偶然なんだろうと思う。
違う世界で転生した理由も推論でしかないが、輪廻が魂の総量のバランスを取る為のシステムであるならば、そのバランスは一つの世界、又は惑星だけで取っているわけではないということかもしれない。
地球だけで考えても、地球の誕生から西暦までの歴史において、明らかに生物の総量は変動し続けている筈。
その増減した数の帳尻は地球を含めた宇宙全体で取っているのかもしれないし、又はサブカルチャーでよく言う別の次元、所謂パラレルワールドやら異世界やらを含めているのかもしれない。
この世界ないしは星には魔法というものの存在があることから後者に近い気もするが、これまた結論が出るわけではない。
だが自分は真実を知りたくて推論を重ねたわけではない。
自分を納得させるためだ。
こうして考えることで、いくら考えても無駄であると悟ることができる。
それは一見何の生産性もない思考だが、人間であるならばしょうがない自分の心の安定させる為の思考だ。
一先ず落ち着きは得られた。
今度は体に目を向けよう。
今の自分のことを体というのは前の自分の立場に立って区別するために使った便宜上のもの。
この体だって自分だ。
だから思いだそう。
自分は思い出によれば、親もなく、名もなく、物心ついた頃から一人で旅をしている。
道中親切にしてくれた人がいなければとっくに野たれ死んでいたかもしれない。
それくらいこの世界は前の世界より厳しい。
これまで孤児院やら住み込みでの人手の募集やら、身を落ち着けられる場所は何度かあった。
にも関わらず、何故旅を続けているのかということはようやく納得がいった。
前の自分は、理由は半ば逃避的なものだが旅をしたがっていた。
その思いが、兼ねてから知らず知らずのうちに今の自分に影響を与えたのだろう。
ならばこそ影響の元が、自分の旅の根底がはっきりした今、今の自分を見直そう。
今自分は旅をしている。
ずっとそうしてきたし、前の自分の願いでもあった。
前の自分の記憶を思い出す前はなんとなしにだったが、今は違う。
知らないところに行ってみたい。
知らないものを見てみたい。
そういう素直な好奇心が胸を占めている。
まるでパズルがしっかり解けたようなしっくり感。
前の自分の旅をするのに邪魔だった人間関係なんかの社会的な縛りは何もない。
現代社会の快適な暮らしを羨む気持ちはある。
だがそれをしていたのは前の自分で、自分が体験したことはない。
今の自分は正しく自由だ。
だから行こう。
赴くまま望むままに。
「僕は自由なんだから」
前の自分でも、自分でもない。
そう、自分は僕だ。
もう自分じゃない。
―序章 目覚め 完