八月三十一日
「雄太いるー?」
返事も聞かずに部屋に入ると、床に座り丸机に向かっていた少年が迷惑そうな顔を上げた。
最初は無視して向かいに座ったがまだその顔なので、
「何よ、その顔は。せっかく幼馴染の美少女が家に引きこもりがちな少年の部屋に遊びに来てあげたってのにさ」
「なあ、加奈。自分で言ってて恥ずかしくないか? 美少女とか」
「うっさい! ――ったく、毎年毎年夏休み最後の日になって『宿題が終わらない~』って泣きついて来るから、今年は私の方から来てあげたのよ?」
「ん。余計なお世話って奴だよね」
近くにあった本を投げると雄太の額に綺麗にヒットした。
「で、進んでるの?」
「ん。それなりに。今年は見たいアニメもしたいゲームもなかったから」
「少しは外で遊びなさいよ……」
「いや、夏って暑いし」
「あんたは年中家の中でしょうが!」
はあ、と嘆息して加奈は雄太の白い腕を見る。
「海行って日焼けしたいとか、ないわけ?」
「ん。ない。――ってかほら、俺アルビノだから外でたら死ぬし」
「オマエ全国のアルビノの人に謝れ」
掛かってもいない病気を言う雄太に呆れ、加奈は机の上にある筆箱からシャーペンを拝借する。
「ほら、宿題はあとどの位あるの?」
「え? 何? 手伝ってくれるの?」
「毎年手伝わせてるのは何処の誰よ!」
これも近くにあった時計を投げると、スコーンと頭に当たり雄太が倒れた。
「だ、大丈夫!?」
あまりのクリーンヒットに慌てて向こうを覗くと、雄太が頭を振りながら起きてきた。
「人って自分のした行動が思わぬ事態を招いたら手の平返すよね」
「あんた本当にちょっと黙れ」
机の下で拳を戦慄かせていると、雄太が一冊の問題集を渡してきた。
「これをやればいいの?」
「ん。最初から」
「そう、最初から……って、え?」
驚いてそれを掴み取って開いてみると、綺麗に真っ白。
加奈は愕然としてそれを机に落す。
「さあ、やろう。時間も限られてるゾ」
「ふふ、そうね、限られてるわね。誰のせいかしら?」
「ひたひひたひ、加奈、頬をつねらないで」
「進んでるんじゃなかったのっ?」
「ん。進んでたよ。初めに全宿題を下見して完璧なスケジュールを立てたんだけど、二冊だけその時に見落としててね。お陰で大変だよ」
他人事のように言う雄太に呆れ、しかし加奈は問題集を開いて解き始める。
時間は貴重なのだ。
しばらく黒鉛を紙に擦りつける音が続いたが、加奈はページを捲る時にそれが一つ分だという事に気付く。
顔を上げると雄太は腕を組んで一点を見ていた。
「どうしたの? 何か解けないのでもあった?」
問題を覗き見ると、五角形のベクトル問題だった。仕方がない教えてやろうと身を乗り出すが、ふと思い出し、
「雄太、ベクトル得意じゃなかった?」
「ん? ああ、ちょっと不思議に思ってただけ」
「何を?」
問うと、雄太は真面目な顔をして、
「ペンタゴンっていう建物はあるのに、どうしてトライアングルとかヘキサゴンは無いんだろうかと――あ、加奈、その辞書重くてたぶん凄く痛いから止め――」
「さっさと解きなさい!」
時間は貴重なのだ。
加奈は躊躇い無く雄太の頭頂部からゴス、という音を出した。
「うん。もうすぐ終わると思う。晩御飯はおばさんが作ってくれるって言うから。うん。それじゃ」
加奈は携帯を置き、伸びをして肩を慣らす。
「何て言ってた?」
これも伸びをしていた雄太がのんびりと聞いて来て、加奈は机に突っ伏してんーと唸る。
「おばさんによろしくね、って」
「そう」
宿題は問題集全ページという訳ではなく、二人ともあと数ページといった所だった。
「加奈」
「なによー?」
「ありがとう」
「……へ?」
驚いて顔を上げると、そこには微笑んだ雄太の顔があった。
「ど、どうしたの? 突然」
問うと、雄太は一度頷き、
「思えば、いつも手伝ってもらっておいて礼を言ってなかったなーって。――本当に、感謝してるよ」
「雄太……」
何か、いい雰囲気だった。
「加奈、言いたい事があるんだ」
「う、うん。何?」
動悸が速くなる。おそらく紅くなっている顔を下に向けて思うのは、
これって、もしかして、もしかする?
期待が膨らむ中、遂に、雄太が口を開いた。
「俺、気付いたんだ」
「うん」
「もっと早く言うべきだったんだけど」
「うん」
「それで、今更だけどさ」
「うん」
「あのさ」
「うん」
「――今年は、手借りる必要なかったね」
「うん……は?」
顔を上げると、いつも通りの顔の雄太がいて、
「ほら、今年って金曜が始業式、土日が休みで月がテスト。宿題提出って考えてみると火曜以降なんだよね」
「え? はぁ? 言いたい事って、それ!?」
「ん。まだ四日あるからこの位俺だけでも……って、うわすごーい。加奈、片手で机持ち上げ――」
「この……ばかー!!」
バコン、と。
夏休み最後の日の夜、そんな音が部屋に響いたとか。
電撃掌編王でテーマ「八月三十一日」の時に書いたものです。
自分は高校時代は宿題ありませんでしたね。あればこんな感じに一緒に宿題やれたのでしょうか。
――ええ、男子校でした。