我が輩は
我が輩は人である。名前は多分あれである。用もないのに呼びかけられる時によく聞かされるあれだ。
まったく他の人間どもは、何故用もないのに我が輩の名を呼ぶのか?
呼ばれて近寄ってみれば、ただ抱き上げ、人の体を撫で回すだけだ。まったく人の体を何だと思っているのだ。
ぐしゃぐしゃに撫で回すだけ撫で回し、頬をくっつけてはぐりぐりと押しつけてくる。
こちらのご機嫌などお構いなしだ。
そうかと思えば頼んでもいないのに、四肢をばたつかせる我が輩を無理矢理風呂とやらに入れる。
放っておいてもらいたい。
親しき仲にも距離感あり。
それが自立した人間同士の関係というものだ。
ご飯も寝床も用意してもらっていて、何が自立した人間だだと?
何を言う。ご飯ぐらい自分で穫れる。だがまだ何が食べ物で、何が食べられないものかよく分からないだけなのだ。
後学の為に方々のものをくわえてみるが、その度に何故か他の人間は悲鳴を上げてそれを取り上げる。
ろくに味見もできない。強引に口に入るものを取り上げられ、我が輩は仕方なしに用意されたご飯で我慢しているのだ。
寝床も別に何処でもいいのだ。机の下だろうが、イスの上だろうが、何処だっていい。
だが冬は温かい暖房の前。夏は涼しい冷房の前。
皆が譲ってくれるのだ。何を遠慮する必要があるというのか。
我が輩の先輩もそうだと言わんばかりの顔で、そこに寝転んでいる。
そうそう。この先輩は凄いのだ。
自分で毛繕いもできる。ご飯も時折自分で穫ってくる。何よりこの家で堂々としている。
自由気ままで、気高く、孤高。哲学的な眼差しで皆を見つめ、気品という名のフォルムに耳を立たせている。
それでいてすらりと伸びたその尻尾で、人間の相手をすることも忘れない。そんな気さくなところもある。
ご飯を用意する人間への気配りも忘れない。甘い声でさりげなく催促し、食後は褒美にその身に振れることを許してやる。
我が輩もあんなできた人間になりたいものだ。
今日も我が輩が先輩の生き様を見習わんと後を追うと、不意に抱き上げられた。
抱き上げた人間が、我が輩にやはりぶしつけに頬を寄せる。
離していただきたい。この間にも先輩は気ままに何処かにいってしまうのだ。
「この子は本当に猫が好きね」
「いつも一緒だしな」
「そうそう。一緒になってハイハイしてるところなんか、ホント嬉しそうだもんね」
「はは。自分のことを、猫だと思っているじゃないのか?」
失礼なことを言う。我が輩は四本足で歩ける立派な人間だ。いつかあの先輩のように優雅に四肢を駆る立派な大人になる人間だ。
我が輩達は人間である。
そうですね? 先輩?